ふるさとは遠くにありて思うもの

今日は信濃町へ行きました。
妙高高原の隣りじゃなくて、お江戸の信濃町。
平井で人身事故があって緩行電車が止まっていてちょっと難儀しましたが、そこはそれ、もともと東京っ子ですからスイスイと回避して目的地に到着です。

今日のお仕事は金融財政事情研究会、きんざいさんの金融経営塾。
実はもうかれこれ7~8年、私はここで毎年講師をさせていただいております。
どういう方々が生徒さんかと言いますと、全国の金融機関さんの幹部候補生の皆様方で、1泊2日のお勉強会が行われているのですが、つまり、全国の金融機関の皆様方は、幹部研修で私からローカル鉄道の経営について授業を受けているということなのであります。

新潟県の地元の会社の方もいらっしゃいまして、お話しを聞いていただきました。

さて、お仕事終了後、まだ帰るには早かったので周辺を一回りしてみようと思いました。
ちょうどよい季節なので、ブラブラと。

というのも勝手知ったる場所ですから、来る時と違うコースで帰ろうと、信濃町から青山まで歩いてみようかなと思ったわけでして、何しろここは私のふるさと東京で、私は小学生のころから千駄ヶ谷の英語塾に通っていましたから、ふるさとの勝手知ったる町を、ちょっと回り道をしてお家へ帰ろうかなという気分だったのです。

そうしたら、まぁ、すごいことになっていて、若い人たちとアジア系の外人でごった返しておりました。
なんだこれ?
って感じです。

そこへちょうどロンドンの2階建てバスが来たもんだから、さあ、大変。
このバスはロンドンの2階建てバスの中でも古いタイプのバスで、私がイギリスの会社に勤めていた14年前の時点で、ほとんどの2階建てバスが新型に切り換わっていて、このバスが走っていたのはロンドン市内の82番とか85番とか、そんな系統のみでしたから私も「おっ」と思ったのですが、皆さんも被写体にするにはおあつらえ向きということで。

お巡りさんがたくさん出ていて、「横断歩道上で立ち止まらないでください。」と叫んでいる。
梨泰院の事故がありましたからね。

まぁ、確かにここは映えるスポットかもしれませんが。

今日の私にとって40数年ぶりにふらりとやって来たふるさとは、まったく優しさの無い場所でした。
40数年ぶりに勝手にやって来て、「優しくしてね。」という方が悪いと言われればそうかもしれませんが、これがいわゆる「ふるさとは遠くにありて思うもの。」ということなのでしょう。

次は無いな。
残りの人生で、多分もう来ることはないと思います。

町というのは生き物ですから、次の時代を作る新しい世代の若い人たちが、自分たちの場所にしていってくれれば良いですね。
そうすれば次の時代へ続きますから。
私はエトランゼにも入れてもらえない気分でしたが、世の中、そういうものなのでしょう。

明日は上越に帰ります。

ていうか、早く上越に帰りたいなあ。