3分の2 経過

トキめき鉄道に就任するときに私は仕事のサイクルを3年で考えるように決めました。

2009年にいすみ鉄道に就任した時は存続のための検討期間というのが2年と決められていて、私の前の社長がその2年の半分近くを使ってしまっていて、私がバトンをもらったときは残り10か月という状態でしたからかなりスピードを上げて仕事をしましたが、トキめき鉄道では少しスピードを落として、ひとつの仕事のサイクルを3年間と決めました。

なぜ3年間かというと、外国の会社に勤務していた時代、本社から派遣されてくるいわゆるキャリア組と話をしていた時に、「自分たちの仕事は3年サイクルなのだ。」と教えてもらったことが頭に残っているからです。

1年目は地域になじんで、地域をよく知ること。
2年目は思いっきり仕事をして結果を出すこと。
そして3年目は次へのステップにすること。

外資系というところはかなり厳しい世界で、日本の会社の幹部候補生のように地方の支店へ転勤して3年後に戻ってくると本社で課長の椅子が待っているなんてことはありませんから、皆さん必死になって次へ行く場所を探すわけで、3年目になるとしょっちゅう本社をはじめとして各地へ出張して、多分次の仕事場を見つけていたのでしょうね。

本社は本社で、さらに上を目指す人たちが次のポジションを探していますから、なんだかんだで空席もできるわけで、人脈を頼りにのし上がっていく世界だったと思いますが、私のような現地採用の人間はそういう競争とは無縁でしたから「たいへんそうだなあ。」と思って見ていたわけですが、そういう世界に長いこと居るということは、つまり、幹部の仕事というものはそういうもので、自分の中に常に目標を設定して、時間を設定して、時間ごとに仕事の進捗状況をチェックしながら、遅れているのか、それとも順調なのか。あるいは進み過ぎているのかを客観的に考えながら仕事をするスタイルというものは、航空会社時代に私の中に出来上がっているのであります。

ということで、トキめき鉄道に着任した時に、私は自分の中で1つの仕事のサイクルを3年と決めたわけでして、かつて本社から派遣されてきた幹部候補生が言っていたように、1年目は地域になじんで、会社になじんで、仕事のやり方を覚えること。そして2年目は思いっきり仕事をして一気に結果を出すことを忠実にやってきたのであります。

トキめき鉄道に着任したのが2019年9月9日。
そして本日めでたく丸2年が経過して、3年目に入るのです。


2年前の9月9日、嶋津前社長からバトンタッチした時の写真です。

この時の報道はこちらをご覧ください。

「トキ鉄を全国区に」鳥塚亮氏が新社長に就任 記者会見で方針など述べる

私は前任の嶋津社長さんを尊敬しておりまして、彼は藤田観光のご出身で、フォーシーズンズホテルを立ち上げた方です。
フォーシーズンズホテルは椿山(ちんざん)荘の敷地を利用して建てられたホテルで、1990年代には東京を代表する外国ブランドのホテルとして脚光を浴びたところです。
昔は宴会をするとお土産に籠に入った鈴虫をくれたような古めかしい椿山荘が、コンベンションホールを備える外国ブランドのホテルに生まれ変わったのでありますが、その時中心になって仕事をされたのが嶋津さんで、彼はその後、肥薩おれんじ鉄道の立ち上げに加わり、さらにその実績を買われて並行在来線の立ち上げ2社目となるトキめき鉄道の初代社長に就任されて、列車の安全運行はもちろんのこと、雪月花という世界に通じる観光列車ブランドを確立されたのであります。

これだけ実力がありながら決して優等生ではなくて、全線電化区間にディーゼルカーを走らせるなどという、ちょっとトッポイことをするようなところが私が嶋津さんを尊敬する理由でありますが、その大社長から会社を引き継いで今日でちょうど丸2年が経過したということであります。

ということでこの1年間を振り返ってみると、ずいぶん仕事をしましたよ。
目に見えるところではD51を持ってきてレールパークを作って、413系電車を導入して観光急行列車の運転を開始したり、コロナで雪月花のお客様がいなくなってしまったので、地域感謝として地元の皆様方に乗っていただくようなプランを作ったり。大雪でもタダじゃ起きずに国交大臣にお見舞いに来てもらったりと、赤字の解消以外には何でもやってきたのであります。

とりあえず2年目で目に見える結果は出せたと私は考えています。

で、明日からの3年目はどうするか。
私の計画では、これからは目に見えないところの結果を出すことに注力していくことになります。

まず、人材の育成。
若手職員を立派な幹部にすることです。

私の友人でJAL幹部の江利川さんが、会社立て直しの時に稲盛さんと一緒にいる時間がかなりあったそうで、「稲盛さんから何を教わったの?」と聞くと、稲盛さんって特に何を教えてくれることもなかったよ。と言うのです。

いや、あれだけの偉大な人物だから、そばにいるだけで勉強になるでしょうと言うと、
「稲盛さんは『中小企業はおできと同じ』って言うんだよ。」
「何それ?」
「大きくなったら、潰れるからだって。」
とまあ、そんな禅問答のようなことばかりだったようですが、面白いなあ。

私はそんな教え方はできませんし、そもそも教えるなどという偉そうなことはできませんから、一緒に働いて、自分で動いてその姿を見せてそこから学んでいただくしかありません。

それともう一つ、目に見えない結果を出すということは、30年後、40年後へ向けて会社をきちんと存続させること。その道筋をつけることです。
会社というのは「Going Concern」と言って、きちんと継続する仕組みがなければなりません。現時点でのトキめき鉄道はその仕組みが十分に機能しているとは言えない状況です。
この鉄道は並行在来線ですから30年後も40年後もきちんと運営していくことが地域に求められるのですが、そのための仕組みづくりを早急に構築するという2つの目に見えない結果を出すことが私の3年目の仕事だと考えています。

一言お断りしておきますが、私は外資系航空会社の幹部職員のように3年でこの地域からいなくなるつもりはありません。
もちろん望まれればの話ですが、3年サイクルの第2期、第3期もお任せいただきたいと考えておりますが、自分の延命はともかく、公募社長として仕事を請け負った以上、期間を決めて結果を出していくということは当然のことであり、そのための3年目が明日から始まるのでありまして、その3年目の結果を持って第2期3年計画があるわけですから、一つの仕事のやり方として、あと3分の1の期間で、第1期3年計画を完成させなければならないのであります。

と言ってもですね、会社を黒字にするというお約束は私は最初からしておりません。
経営者としてそういう軽口を叩くのはけしからんと言われる方もいらっしゃると思いますが、何度も申し上げますようにここは並行在来線です。
並行在来線というのは、新幹線ができて長距離輸送、つまり特急列車のお客様がすべて新幹線へ移行してしまうのですから、JRとしてこの路線は黒字にはできないとして手放したところなのです。

新幹線ができても見込みがありそうだというところは、例えば長野―篠ノ井間や、青森-新青森間、五稜郭-函館間、鹿児島中央-川内間、博多―熊本間のようにJR線として残っていますから、JRが並行在来線に手放した区間というのは、鉄道単体ではどうやっても黒字にならない路線ということです。
そういう路線を新幹線と引き換えに引き継いだのですから、しっかりとした仕組みを作ることが「Going Concern」として必要だということなのであります。

ということで、明日から3年目に入ります。
皆様、3年目もご支援くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

▼去年の今日のブログはこちら
2020年9月9日 今日でまる1年です。

来年の今日はどんなことを書いているのでしょうか。
今からワクワクしますね。