公募社長総括 6 なぜキハなのか

ムーミン列車が走り始めると、いすみ鉄道沿線にはたくさんの観光客、それも女性のお客様がいらっしゃるようになりました。

女性の皆さんは購買力もありますから、お土産もたくさん買ってくれる。そうして売り上げもどんどん上がって、いすみ鉄道は存続することができました。

そう、いすみ鉄道は女性の皆様方のお力をいただいて、存続を勝ち得たのです。

 

ところが、女性がたくさん来るということは、男性もたくさんいらっしゃるということで、旦那さんが運転して来たり、ボーイフレンドと一緒に来たり、なんだかんだで男性客もたくさんやってくるのですが、その男性客を見ていると、実につまらなそうなんです。

「ムーミン列車なんて興味ないんだけど。」という感じです。

そこで私は、存続が決まったらすぐに次の手を打たなければなりませんから、今度は男性向けの列車を走らせようと考えてみました。

 

本当は就任当初から男性向けの、それも鉄道ファンの心をくすぐるような列車を走らせたかったんですが、鉄道好きの人間が社長になって、鉄道ファン向けの列車を走らせるのは、私は邪道ではないかと考えていました。それだと自動車や生命保険のセールスマンが、親兄弟や親戚一同に契約を求めるのと同じですから、自分のビジネスの力を試すのであれば、そういう手近なところではなくて、顧客開拓をしてこそだと考えて、一番苦手な、女性向け商品としての「ムーミン列車」にチャレンジしたのでありますが、それである程度の成功を収めたのだから、次は好きなことをやらせてもらおうと考えたのです。

 

ちょうど2010年の夏でしたが、JRの友達から、大糸線のキハ52が退役するので、いすみ鉄道でどうかという話をいただきました。

でも、私はいろいろ考えて、ちょっと話を保留にしたんです。

それは何かというと、いすみ鉄道は旧国鉄路線ですから、国鉄形の車両が走ることはできるでしょう。でも、キハ52ってどうなのよ? という感じです。

国鉄形ディーゼルカーというのは、私の時代もさんざん乗りましたから懐かしいんですが、それは蒸気機関車の撮影に行くために乗ったのであって、キハ52そのものが乗車の目的で乗った車両ではないんですね。

だから、私自身には観光列車としては疑問があったんです。

「はたして、それで人が集まるのだろうか。」という疑問です。

 

▲昭和の時代のキハ52。1976年、田老駅。

▲蛍光灯にステンレスの窓枠の列車よりも、蒸気機関車が引く木造の旧型客車にあこがれていた世代です。

 

ところが40代以下の人たちに聞くと、「キハ52は素晴らしい。」と言います。

年齢の差が10歳離れると、価値観が違うんですね。

私たちのころはもっと古い蒸気機関車や旧型客車を追いかけていましたので、キハ52は比較的新しい車両でしたが、蒸気機関車がなくなった後の世代の皆さんにとっては、キハ52が一番古い車両になりましたから、つまり、それが追いかけるターゲットになったわけです。

子供のころのことを思い出してみたら、例えば函館本線で最後の活躍をしたC62が廃止された後、もし、千葉県に来て走ることになったとしたら、これはすごいことになっていたはずです。飛び上がって舞い上がったと思います。だから、大糸線で最後の活躍をしたキハ52が、引退した後に千葉県で走るようになれば、ファンの人から見たら夢のような出来事で、大きな反響になるはずだろう。私はそう考えて、自分が子どものころに見ることができなかった夢を、今の若い人たちに見せてあげてもよいのではと思いました。

 

それと、もう一つは、商売の話になりますが、観光用の車両というのは基本的には土日や祝日だけの運行です。そういう季節波動の大きい運用には新車を入れることはよくありません。なぜなら、大きなお金を投入して導入した新型車両が、平日は車庫で眠っているのですから経営効率としてはよくありませんからね。昔から、年末年始の波動輸送用の臨時列車などには、ふだん使われていない予備の車両が充当されるのがお決まりでしたし、最近でもJR九州の「ゆふいんの森」などの観光列車も、基本的には古い車両を改造して作られています。だから、うまくいくかどうかわからない時点では、観光用に新型車両を入れるべきではないのです。

これが私の考え方です。

 

いすみ鉄道は、存続が決まってから新車に置き換える話が進んでいました。当時6両あったいすみ200型を新型車両6両に置き換える予定でしたが、私は沿線の高校生の減少などを考慮して、置き換えは5両で十分と判断しました。ところが、5両で十分と判断して進み始めたころから、観光のお客様が増えはじめまして、観光用にも車両が必要と考えるようになりましたので、1両減車した分を中古の車両で充当するという手段で、キハ52を導入することが最適だったわけです。

 

ところが、ここで一つ大きな問題が起きました。

それは鉄道の歴史は近代化の歴史という世の中の流れに逆行することになるという点です。

当時は車両の入れ替えについては、その一部分を国の補助金を使うことができましたが、これはあくまでも、「古い車両を新車に置き換えることによって安全性が向上する。」という前提での補助金だったのですが、昭和40年製のキハ52の導入は、いすみ200型(昭和62年製)よりもはるかに古い車両を入れることになるわけで、補助金が出る出ないにかかわらず、「そういうことをやってもよいのだろうか。」という考え方が鉄道業界にあったのです。

 

私はいすみ鉄道を管轄する関東運輸局に相談しました。案の定、担当者は「さて、どうしたものか。」という表情です。何しろ前例がありませんからね。そうしたら、そこに当時の運輸局の神谷局長という方が、「面白そうじゃないか。やってみなさい。」と言ってくれたんです。

これはありがたかったですね。

後述しますが、いすみ鉄道で募集した「訓練費用自己負担運転士」も、実は神谷局長さんの時で、廃止の瀬戸際をさまよっているいすみ鉄道を何とか助けてくれようと、いろいろ調整してくれていたのです。

 

国のお役人さんというのは冷たい印象がありますが、本当に上に立つ方というのは、きちんと国のことを考えてくれていらっしゃるわけで、いすみ鉄道でうまくいけば、これは日本全国のローカル線の手本になるだろうし、そうすれば、全国各地のローカル線が元気になれるし、そうなれば国全体の利益につながる。

おそらく神谷局長さんはこのように考えてご判断されたんだと思います。

 

そうして、震災直後の2011年3月末に、キハ52は招待運転、4月29日に本運転を開始したのです。

 

▲いすみ鉄道を訪ねていただいた神谷局長さんです。

鉄道ファンにとっては神様のようなお方です。

 

だから、鉄道ファンの皆様方は、神谷局長さんには足を向けて眠れないのですよ。

おそらく、いろいろな列車の復活運転や新型車両の導入なども、表には出ないけれど、こういう国の偉い人たちが、何とかしようと知恵を絞ってくださっているはずで、じゃなければ、いくら観光列車とはいえ、客室の外へ出る展望席などがある車両を新車で作ることは、実は困難な話ですからね。

私はローカル線を通じて、この国を元気にしようと考えていますが、立場は違いますが、国交省の皆様方も、国を思う気持ちは同じだと私は考えています。

 

いずれにしても、キハ52は「できれば解体したくない。」というJR西日本の担当の方の思いと、「面白そうじゃないか。やってみる価値はあるだろう。」とご判断された神谷局長さんと、運輸局の皆様方のお知恵で走ることができたというのは事実なのであります。

心ある人はどこにでもいらっしゃるんですね。

 

ありがたいことでございます。