趣味の終焉

日本航空の国内線時刻表が廃止になります。

今出ているこの号が最終号です。

これまでのご愛顧ありがとうございます。[国内線時刻表 最終号]です。

すべてネットで調べることができる時代になりましたので、実際に予約して旅行するためには紙の時刻表が持つ役割は終了したと言えるでしょう。
でも、私のように過去の調べ物をしたりする場合は、ネットの時刻は消えてしまいますから、こうした紙の時刻表があると助かるのです。

私の航空時刻表の趣味は実は中学生の頃にさかのぼります。

代々木の塾に行くときに池袋の旅行センターに立ち寄って毎月無料でくれる時刻表をもらってきては「熟読」していたのです。

並べてみました。
TDA東亜国内航空は懐かしいですね。
後に日本エアシステムになって、その後JALと合併しました。

会社によっていろいろなデザインがあって子供ながらに楽しいものでした。
未知の世界の航空旅行にわくわくしたものです。


例えば日本航空の1974年7月号。
中を見てみると、こうです。

これから何がわかると思いますか?

まず、当時の日本航空国内線は札幌、東京、大阪、福岡、沖縄だけしか飛んでいなかったことがわかりますね。
当時は国の指導の下、航空会社には役割分担があって、日本航空は国際線と国内幹線。全日空は国内幹線と国内ローカル線。東亜国内航空は国内ローカル線だけしか運航することができませんでした。

次に、フライトナンバーを見てみましょう。
東京から札幌便は500番代、大阪便は100番代、福岡便は300番代、沖縄便は900番代ということは、今も引き継がれている伝統の便名ということになりますね。

他にもわかりますよ。
飛行時間。
東京-大阪は55分で飛んでますね。
今は65分です。
50年近く前の方が10分速かったんですね。
飛行機の性能が良くなっているのにどうしてか?
今は羽田空港の混雑や途中の航空路の変更で遠回りになっていたりする部分がありますので、10分余計に見ているのです。

その他にも飛行機の機種がわかりますね。
ピンクの便がB747-SR。
日本の空に登場したばかりのジャンボジェットが幹線の一部の便で飛んでいました。
その他の便はBはB727。DはDC8-50シリーズ。無印はDC8-60シリーズです。
無印がDC8ということは、それだけDC8が一般的な飛行機だったのですね。

Ⓜと書いてあるのはお食事がサービスされた便です。
どんな食事なのか、当時は知る由もありませんから、ワクワクするのです。

私にとって航空時刻表というのは長い長いおつきあいの趣味なのです。

そして、その趣味も、もう終わりということなのであります。

昭和がまた一つ遠くなっていきますね。

日本航空の時刻表の表紙を飾ったお姉さま方も、なんだかんだで後期高齢者に近くなられていらっしゃる。

そろそろ、お後がよろしいようで。

たくさんの夢をありがとうございました。