卒業後、お爺さんの生きる道

今日は年度末ですね。

私と同じ昭和35年生まれの皆様方は今日で「さようなら」。
卒業です。

定年というのは会社によって違いますが、多くの会社は60歳定年。
60歳になったお誕生日に定年だったり、あるいはお誕生日月の月末が定年だったり、最大でも年度末。
63歳まで定年延長しているところでも、再雇用だったり出向だったり、一旦リセットされる会社が多いと聞きますから、つまり、本日この日を持って、ほとんどの昭和35年生まれの人は「さようなら」なのであります。

自分のことでもありますから実感するのですが、ついこの間まで若造だった昭和35年生まれが定年ですから、ある意味で驚きです。
私は自分の人生で後悔したことはありませんが、この世の中の変化を考えると、もしあのまま航空会社に残っていたらとても定年までいることはできなかったと思いますし、再就職と言ってもはたして活躍できる場所があったかどうか。そう考えると50を前に思い切って新しいことにチャレンジして良かったなあと思います。

では、本日をもって長年勤めた会社から「さようなら。」を宣告された我が同志たちはいったいどうやって生きていくのでしょうか。

再就職とか出向、再雇用などいろいろな形はあるにせよ、職場だけではなくて働き方も変えることが求められます。
具体的には、今まで部下だった世代の人たちに、今度は使われる側になるということです。
ところが、これがなかなか難しいんじゃないでしょうか。

だいたい60歳と言えば世間的にはお爺さんの仲間入りをする年齢ですが、体も頭もまだまだ元気ですから社会の第一線から退くということに「自分自身が納得する」ことができないと思います。
そういうコンディションの人が、昨日まで部下だった年齢の人たちに使われる側に回らなければならないのですから難しいですね。

でも、難しいのはお爺さん本人ばかりではなくて、職場でそのお爺さんを受け入れなければならない若い人たちはもっと難しいでしょう。
なぜなら相手は昨日まで部長や課長だった人たちですから、簡単に言うとそういう人たちって使えない人が多いからです。

バブルが崩壊して会社を追い出されたおじさんが再就職の面接で
「あなたは何ができますか?」
と尋ねられた時に、
「はい、私は部長ができます!」
と胸を張って答えたという笑い話を聞いたことがありますが、つまりはそういう人たちって使いずらいし使えない。
そんな60過ぎのお爺さんたちを受け入れなければならない職場というのも、現役世代にとって見たらはっきり言って迷惑な話かもしれません。

ということは、昭和35年生まれの同志たちは、自分がやりずらいということよりも、相手がもっとやりにくいと感じているということを理解しなければならないということです。

さて、じゃあ、どうやって生きて行ったらよいのかという話ですが、私たちの世代は昔から「年寄りの話は聞くものだ。」と言われて育ってきました。

「亀の甲より年の劫」とかね。

その理由は長年の経験に裏打ちされた判断力というのは若い人たちにはありませんから、年寄りというのはそれだけ役に立つという人生訓のようなものです。

では、本当に長年の経験というのは役に立つのでしょうか?
その人がどんな仕事をしてきたか、あるいはどんな働き方をしてきたかによって、使える経験と使えない経験があると思いますが、正直申し上げてサラリーマンが仕事で経験してきたことというのは、今の時代はほとんど使い物にならないと思います。
なぜなら、これだけ変化が激しい時代ですから「過去の延長線上に未来はない」ということは誰でも感じると思います。過去の延長線上に未来がある時代であれば今までの経験が役に立つかもしれませんが、過去の延長線上に未来が見えない時代だとすれば、昭和を引きずっているおじさんたちが経験蓄積してきたことは、今の時代、これからの時代には通用しないからです。

だから、俺たちの時代はこうだったんだなどという武勇伝は、本人にとっては唯一の心のよりどころかもしれませんが、使えないばかりか、下手をすれば会社の足手まといになるのですが、人間は年齢が行くと頭の中のフレキシブルさがなくなってきますし、ましてやかつての部下や自分の子供の年齢の人たちの前では「俺の実績は・・・」などと蘊蓄をたれたくなるのでしょう。
でも、それって「ずいぶん偉そうだな。」と、威張ってるようにしか見えませんからね。

例えば鉄道会社ですが、安全正確に長年列車を走らせてきて、結果として廃線になって会社そのものがなくなっているというのが現実です。長年そのやり方で一生懸命やってきて良くなっていれば良いですが、会社がダメになっているというのが現実ですから、やり方を変えなければなりません。
安全正確な運行は当たり前のこととして、それ以上の何かをやって行かなければならないのです。
これだけ世の中の変化が激しいと、ローカル鉄道だけじゃなくてJRだって新幹線だって今までの延長線上に将来はないということが誰の目にも明らかになってきましたが、そういう時にお爺さんが過去40年やってきた仕事の経験がどれだけ役立つかは推して知るべしですね。
役立つどころか、その経験が邪魔になって、かえって足かせになるかもしれません。
はっきり言って、「俺はこうやってきたんだ。」と自分の実績をひけらかして威張っているような人は、要らない人になってしまうのです。

じゃあ、我が同志のお爺さんたちはどうして生きて行ったらよいのでしょうか。

多分、たった一つ。
相手の役に立つかどうか。

これだけじゃないでしょうか。

自分がこうやって来たとか、そんなことはどうでも良くて、相手が何を求めているか。その求めにどうやって答えていくか。
もし、相手がアドバイスを求めているのであれば自分の経験が役立つかもしれませんが、相手がトラブルに巻き込まれていたら率先して助けてあげなければなりません。
職場に年配者がいるというのは、若い人たちにとっては安心感につながりますから、トラブル発生時こそ活躍できるチャンスなのですが、威張っている人は恥をかきたくない人ですから、トラブルの時には尻込みしてしまう傾向があります。
そうじゃなくて、クレームの電話などは積極的に出るようにして、職場の信頼を得ることをまず獲得すること。

つまり、自分が何をやりたいかよりも、相手が何を求めているかを察して、それに応えていくことが、おじいさんが社会で生きていくことなのではないでしょうか。

今までやってきた仕事のやり方は通用しないかもしれませんが、経験してきた人生訓は使えると思いますよ。
特にトラブル発生時こそ自分の出番が待っていると思ってください。
薄くなった頭を下げることができるかどうかが問われているのではないでしょうか。

昭和35年生まれの我が同志に明るい未来が待っていることを願っております。

私も頑張らねば。


上越市の各所で見られる残雪の山と桜。
春ですね。

皆さんの旅立ちに乾杯!