江戸っ子は3代続くと馬鹿になる

先日、軽井沢の駅で上越妙高へ帰る新幹線まで30分ほど時間がありました。

同行の皆様はお土産物屋さんを見に行くために「では、新幹線のホームで」と離れていきましたので、私は駅の構内にあるワインバーへ入りました。

長野県の赤ワイン。それも、東御市が今一番ワインの生産に力を入れているということで、ではグラスで一杯いただきましょう。

私はワインはあまり飲まないのですが、長野県という所は昔からブランド化が上手で、いろいろお勉強をさせていただいているところですから、その長野県の新しいワインということなので、一杯いただいたのです。

こんな写真を撮ってFacebookにUPして、ごちそうさまと言ってお店を出て新幹線のホームで皆さんと合流したのですが、この間約20分。そうしたら同行の香羊さんがそのUPしたタイムラインを見てくれていて、「社長、この20分ほどの間にボトルで頼んだんですか? 空けてきたんですか?」と聞いてきました。

20分でボトルを1本空けてきたと思ったようです。

「あっ、あの写真ね。実はグラスワインの写真を撮ってたらお店のお兄さんがサッとボトルを持ってきてくれて『どうぞ』って置いてくれたんだよ。」

「へえ、そのお兄さんなかなか粋ですね。」

と、こんな会話がありまして、「おぉ、そうか。『粋』なんて言葉は久しぶりに聞いたぞ。」と思ったのが本日のテーマ。

グラスワインですから本当はこんな写真になるのですが、お店のお兄さんがサッとボトルを持ってきて置いてくれたんです。

彼女的にはこれが『粋』。

じゃあ、『粋』って何だろうか?

私は正真正銘の江戸っ子ですから、子供のころから親戚のおじさんや友達のお父さんなどいろんな人を見てきて、まあ確かにいろいろな人がいました。
育ったのは板橋ですから正確に言えば江戸ではありませんが、本籍地は中央区築地小田原町。今の築地7丁目。
雑司が谷のお墓の墓石の裏側などを見る限り、4~5代前からお江戸に住んでいたのだろうと、子供のころ親父や伯父さんたちから聞いた話を総合するとそう考えているのですが、かの「あ~、う~おじさん」の大平首相が言うには「東京に3代住むと馬鹿になる」そうですから、私なぞはその馬鹿を通り過ぎて大馬鹿もよいところと言えましょう。
親父も宵越しの銭は持たない性格で、おふくろも随分苦労してましたから。

さて、その大馬鹿の江戸っ子的に、『粋』とは何かと考えるのでありますが、『粋』というのは一つの美意識なんですが、できないことをできると言ったり、見栄を張ってやせ我慢して財布をすっからかんにしたり、知識をひけらかして俺はすごいんだぞうと言ってみたり、あるいは分不相応なことに背伸びをして格好をつけてみたり、といった、そんなことではないように思います。

では何かと言うと、美意識ですから、つまり生き方の問題でもあるわけで、簡単に言うと身なりやしぐさが洗練されていて、人から見て格好が良いということ。これはあくまでも他人様から見てそう見えるかどうかの話ですから、自分から格好をつけて「俺って粋だろう」ということではありません。そういう人がもし居るとすれば、それは『野暮』というものなのであります。

では、身なりやしぐさが洗練されているというのは具体的にはどういうことかというと、ブランド物の服を着たり、外国製の時計をこれ見よがしにしていたりすることではなくて、さり気なく、先手を打って、相手が望むことを言われる前にして差し上げること。それも、嫌みの無いように、わざとらしくなく。という所なのではないかと思うのです。

例えば女性で言ったら高級料亭や旅館の女将のような立ち居振る舞いであったり、コンラッドのコンシェルジュのような立ち居振る舞いなのではないか。
イギリスの会社に長いこと居たものですから、なんとなく、イギリス人にも『粋な人』はたくさんいたように記憶していますが、イタリアの優男が格好つけているのとは違うのです。

そう考えると、グラスワインの写真を撮っていた私の横に、さっとそのワインのボトルを置いてくれるバーテンダーのような方は、なかなか粋なのではないかと、香羊さんの言葉を聞いてそう思ったのでありました。

でも、それってなかなか難しいですよ。
なかなかできることではありません。

相手が望むことを、先手を打って、さり気なく、さっと提供する。

う~ん。

自分中心の人はダメだろうな。
常に私を見て、私を振り向いて的な人、いっぱい居るからね。

そういう人はやはり『野暮』という言葉が似あうようでございます。

あくまでも他人さまから見て格好よく見えるかどうかですからね。

ということで、『粋』。
4代続いた大馬鹿者の江戸っ子としては、毎日が精進でございます。