「てんやもん」という言葉はすでに死語になっているのでしょうか?
てんやもん=店屋物。
お蕎麦屋さんやお寿司屋さん、ラーメン屋さんなどから出前を取って家で食べることを、「てんやもんにする。」と言いました。
子供のころは、お昼や夕方に「今日はてんやもんにしようか。」とおふくろさんが言うと、「わ~い」って大喜びしました。
家で作って食べるごはんが当たり前だったころは、お店のものを食べるってのはそれだけで特別感がありましたから、子供たちはみんな大喜びでした。親戚のおじさんやおばさんが来たり、お客様が来たときは、出前を取って食べるというのがとてもごちそうだったんですね。
でも、今のようなハンバーグだとかステーキだとかじゃないんですよ。ざるそばやきつねうどん、ラーメンなど、今の外食で言えばベーシックなメニューですけど、それがとてもうれしかったんです。
例えば、もり蕎麦とざる蕎麦。もり蕎麦が60円だったころ、ざる蕎麦が80円ぐらいでした。
国鉄の初乗りと都電が同じ20円でしたから、今でいうと400~600円ぐらいの感覚ですが、いつもはもり蕎麦なんですけど、親戚のおばさんが来るときはざる蕎麦を取ってくれる。もり蕎麦とざる蕎麦の違いってわかりますか?
厳密にはそばつゆの出汁が違うようなんですが、うちの商店街にあった蕎麦屋は大した蕎麦屋じゃなかったですから、見た目が違っていただけで、もり蕎麦が四角いザルでざる蕎麦が丸いザル。もり蕎麦は汁と薬味だけでしたが、ざる蕎麦には海苔がかかっていて、ウズラの卵が付いてきていました。たったこれだけのことですが、うれしかったなあ。
つまり、昭和の人間は、ほんのちょっとしたことで幸せになれるという特技を持っているんです。
特にうちのカミさんなどは子育てに追われて何一つぜいたくな暮らしをしたことがありませんから、実に幸せのハードルが低い。
ということで「お~い、今夜はてんやもんにするか。」と声をかけてみました。
もっとも、今住んでいるような地方都市の住宅街では出前をしてくれるようなお店はほとんどありませんので、ちょっと食べに行こうということで、今夜の夕食はこれ。
ゆで太郎の日替わりセット。お蕎麦とミニカツ丼セットで550円。
カミさんは天ざる蕎麦580円。
580円の天ざるですから可哀想なものですが、これが昭和の夫婦の「てんやもん」です。
サンデー毎日の旦那に声を掛けられて夕ご飯の支度をしなくてよくなっただけで、うれしそうでしたから、やはり幸せのハードルは低いのです。
そして、こういう小さなカツ丼を食べて「贅沢したなあ。」と幸せになれる私もハードルが低いのです。
「てんやもん」。この言葉を聞いただけでなんだかわくわくしていたころを忘れないようにしないといけませんね。
最近ではおいしいものが世の中にあふれていますが、人間贅沢をしだしたらキリがありません。
私の一番の好物は牛丼とたぬき蕎麦とカレーライスなのであります。
いやあ、安くてうまいものは幸せへの近道ですから。
あっ、メタボへの近道でもありますね。
炭水化物同士の夕ご飯ですから。
まっ、いいか。
子供のころ貧乏していた人間は、どうしても安くてカサが張るものに目がないのです。
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