YAHOOニュース 「あれ? 宙に浮く蒸気機関車D51(デゴイチ)の不思議。

YAHOOニュースに記事を書きました。

 

「あれ? 宙に浮く蒸気機関車D51(デゴイチ)の不思議。

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181010-00099923/

 

いすみ鉄道のキハ52やキハ28を運んできてくれた輸送会社のアチハさん(本社:大阪市)が、千葉県の白井市の個人宅に40年以上保管してあったD51を茨城県筑西市に輸送しました。

とても珍しいシーンでしたので、アチハの島部長さんに取材をさせていただきまして記事にしてみました。

 

100トン近くの重量のD51をどうやって運ぶのかと思ったら、前部の機関車と後部の炭水車を分けて、さらに前の機関車部分をボイラーと動輪の二つに分けるという大技で空中に吊り上げてトレーラーに載せるという実に不思議な光景が見られました。

 

でも、不思議なのはそればかりではありません。

 

運び出した機関車の番号がD51の1116号機。

D51という形式の1116番目の機関車ということになりますが、実はD51は合計製造両数が1115両ですから、本当ならば1115が最終機番になりますから、1116号という機関車はあり得ないんですね。

 

D51という機関車は、昭和11年(1936年)から製造が始まった貨物用の機関車で、戦争で貨物の需要が高まったことからとにかくたくさん製造されました。昭和18年までに954両という大所帯になって、日本全国の幹線に配置されたのですが、戦争が激しくなった昭和19年からは戦時型と言って、物資が不足する中で設計が少し変わっているんです。

この戦時設計のD51を番号を分けて1001~としたことで、955~1000番までの番号が欠番となって、その番号の機関車が存在しないのです。

これが、1116号という番号の機関車がある理由です。

 

今の電車や機関車の番号は、同じ形式でも用途が違ったりすると番号の桁を増やしたりして対応していますから、1115という番号があっても、実際にその形式が1115両製造されたということはありませんが、戦時型のD51はその考え方を取り入れていたということになりますね。

 

私が昭和50年に室蘭本線で最後に乗ったD51は1120番でしたし、その時に隣の線路で貨物列車を引いていたのは1160番という機関車でした。1161が最終機番ですから、最後から2番目、つまり一番新しいD51の1両だったことになりますが、この1160という機関車を帰路の飛行機に乗るために千歳へ向かう列車待ちの間に、沼ノ端駅で見たのが、私が見た最後の現役蒸気機関車ということになります。

1000-954で46両分の欠番があるということですから、1115+46で1161ということになるのでしょう。

全部並べてみたわけではありませんから真偽のほどはわかりませんが、記録上はそうなっているというこのになるのだと思います。

 

このようにD51という機関車はいろいろ不思議な面があるのですが、まあ、知らない人が聞いたら、ナメクジとかスーパーナメクジなんて言うのも不思議でしょうね。

興味のある方は是非ご自分でお調べいただきたいと思いますが、私が一番不思議なのはD51の呼び方なんです。

 

小学生~中学生のころSLブームがありました。

私の記憶では、最初は「デコイチ」と呼んでいたんですが、小学校4年生のころ、ちょうど大阪万博があったあたりから「デゴイチ」と呼ばれるようになってきました。おそらくテレビのアナウンサーか誰かが、そう呼んだことでデコイチからデゴイチに変わったのかもしれませんが、今となってはどうでも良いことかもしれませんが、「不思議だなあ」という点では気になることであります。

 

鎌倉幕府が開かれた年も、昔と今では違うようですから、まあ、どうでも良いことですけど、気になるものですね。

 

ちなみに9600はキューロクがふつうで、クンロクという言い方は一般的ではありませんでした。

C11はなぜがシーチョンチョン。

この言い方は不謹慎なのでしょうか?

今ではほとんど聞かなくなりましたね。

 

ご存じの方はぜひFACEBOOKでご教示ください。