今やっておくべきこと。

国鉄形通勤電車の代表選手だった103系がいよいよ最後だそうですね。

 

この写真は今から12年前に撮影した奈良駅でのシーンですが、この時この電車にカメラを向ける人は誰もいませんでした。

 

鉄道百年の年1972年に小学校6年生だった私は、当時SLブームと呼ばれ、大人気だった消えゆく蒸気機関車を追って、少ないお小遣いを工面してできる限りいろいろなところへ出かけました。

でも、お小遣いが貯まるスピードよりも速く、ダイヤ改正ごとに蒸気機関車が無くなって行きました。

私は東京でしたから中学に入学した昭和48年にはすでに関東近郊で蒸気機関車の姿はなく、一番近いところで福島県の会津若松。あとは山形県の陸羽東線や東北の五能線、そして北海道。西へ目を転ずれば関西本線、山陰本線、そして九州と、とてもじゃないけど中学生のガキがお小遣いをためて写真を撮りに行くことなどできるはずもなく、ただただ遠い存在でした。何しろ、当時は会津若松と言ったら夜行列車で行くところだったのですからね。

当時の私は北海道や九州の中学生をうらやましく思いました。同い年で住む地域によっては思う存分煙にまかれることができたのですから。

 

そんな時、友達のお兄さんがこう言いました。

「トリヅカ、蒸気機関車ばかり追いかけないで、蒸気機関車の次になくなるものを探すんだ。そして、今のうちに、それを撮影しておくんだ。」と。

そのお兄さんは5歳年上で当時高校生。夜行列車に乗ってあちらこちらに撮影に出かけていましたが、私もお小遣いが続く限り、一緒にくっついていろいろなところへ連れて行ってもらいました。一人で行くというと親が許してくれませんが、友達のお兄さんが一緒ならOKが出たのです。

 

そうやって色々なところへ一緒に出掛けている時、このように言われたのです。

「蒸気機関車の次になくなるものを探せ。」

小学校6年生かせいぜい中学1年生の私にはなかなか理解できることではありませんでしたが、そう言われてみて気づいたのが茶色い旧型国電でした。茶色い電車は小学校低学年のころまでは赤羽線にも常磐線にも総武線にも走っていましたが、気が付けば23区内にすでにその姿はなく、横浜線、南武線、青梅線で残っているだけでした。

 

 

時々披露いたしますが、1972年4月、小学校6年生の私が撮った写真です。

労働組合のストで電車が汚く落書きされてがっかりしましたが、これもよい記録です。

運転士さんが、「こんなの写さないでくれよ。」と言っていましたが。

 

「蒸気機関車の次に何が無くなるかを探して、今のうちにそれに乗って写真を撮っておけ。」

 

46年前に言われたこの一言が今でもはっきり頭に残っています。

つまり、先手先手で行動しろということですね。

 

それ以来、私は、今何をするべきなのかということを常に考えるようになりました。

電車の写真を撮るだけではありません。仕事も人生も、今、何をするべきか。

人気が出てから自分も始めるのでは遅いわけです。

 

いすみ鉄道で国鉄形のキハを走らせようなんていうのもまさしくそれで、当時は「そんなオンボロ買ってどうするのか?」と言われましたが、今となっては手に入らない貴重品です。

人よりも少しだけ先を見て、あまり先を見すぎると世の中が着いてきませんから。

 

そういうことを何十年もやっていると、いろいろ面白いものが見えてきますよ。

 

 

 

 

 

ね、わかりますか。

 

この113系の写真だって、撮影してからすでに13年。

もう見られないんですが、撮った時には誰もカメラを向ける人はいませんでした。

 

世の中に振り回されるようなことは、おやめになった方がよろしいと私は思います。

 

ということで、今なら何をするべきでしょうかね。

電車の写真はもちろんですが、お仕事も、人生も、将来をイメージして今を生きていきましょう。

 

昭和48年4月 木原線 上総中野

 

次になくなるものを探せ。

そう言われてこの線に乗りに来たはずだったんですが・・・

 

ここに関して言えば、大ハズレでしたね。(笑)