「昔はよかったなあ」と言うおじさん その2

前回は、房総半島はかつて大変な賑わいを見せた観光地でしたから、「昔はよかったなあ」と言うおじさんたちがたくさんいると申し上げました。
それは房総半島だけの話じゃなくて、同じような賑わいを見せた小海線沿線の八ヶ岳なども同じで、交通の変化によって、今は昔ほどに賑わいがなくなってしまったところには、必ずと言ってよいほど、「昔はよかったなあ。」と言うおじさんたちがいるということなのですが、それは何もかつて栄華を極めた観光地じゃなくても、どこにでも「昔はよかったなあ」と言う人たちは存在するわけで、何を隠そうこの私も、その「昔はよかったなあ。」というおじさんの一人なのであります。
昨日は流鉄さんのイベントで久しぶりに流山駅へ行きましたが、どのぐらい久しぶりかと言うと、実は私はこの流山駅へ行くのはほぼ40年ぶりで、高校生の時以来だったのです。
以前にお話しさせていただいたことがありますのでご記憶の方もいらっしゃると思いますが、高校生の時の流山線には多分戦前から走っていると思われる古い電車が走っていました。
今は「戦後70年」と言われますが、私が高校生だった時代は、「戦後30年」でしたから、戦前から走っている古い電車といっても車齢とすればせいぜい40年程度のものが多かったと思いますが、それでも都心からほど近い常磐線の馬橋駅から分岐する流山線にそういう電車が走っていることが珍しかったのです。
多分模型雑誌のTMSか何かで取材されたのだと思いますが、その頃の私はこの流山線の電車をHOゲージのペーパークラフトで作ってみようなどと考えていて、そのためには写真が必要だと考えていました。ちょうど同じクラスに沿線から通ってくる女の子がいたこともあって、ある日曜日にフラリと出かけたのですが、昨日の流山駅訪問は、それ以来ということなのです。


▲昭和52年の流山駅。後ろの建物は市役所だと思います。

▲昨日の流山駅。
こうして比較してみると面影がありますね。
駅舎の赤い屋根への左側のところにタクシー会社の営業所の看板がかかっていたのです。

▲流山線の電車はオレンジ色に白い帯の小さな車両の2両編成でした。

▲全く同じ位置というわけにはいきませんが、昨日の流山駅です。
歩道橋の下、緑の電車が停まっているあたりが上の写真を撮影したところだと思います。

▲スタッフ通路を通してもらってその緑の電車の位置まで行ってみましたが、当時と同じ写真は撮れませんでした。
東京の近郊で40年もの時が経過すれば、そりゃあ景色も変わってしまうものですが、その割には流山駅には当時の面影が残っていたので、とても懐かしくなりました。
長年同じ趣味をやっているということはこういうものなんだなあと思いますが、「昔はよかったなあ。」とおじさんたちが言うのは、人間にとっては「過ぎ去った時は常に優しい。」という原則があるからで、どんなに辛いことがあったとしても、不思議と時が解決してくれて、懐かしい気持ちになれるものなんですね。
昭和から平成になって28年ですが、そのぐらいの時間が経てば時代も変わるし人々の気持ちも変わり、思い出として美化されるのですから、きっと今の昭和ブームはそういうところに理由があるのかもしれませんね。

▲▼昭和50年清里駅 クリックすると大きくなります。

前回の八ヶ岳の写真で思い出すのは、若い女性がたくさん列車に乗っていたということなのですが、中学生だった私が50代半ばになるわけですから、写真に写っている若い女性の皆様方だって、とうに還暦を迎えられていらっしゃるということは紛れもない事実でありますので、やはり、おじさんたちにとっては、写真を見ながら「昔はよかったなあ。」と言うに留めておくことが賢明であるということも、これまた事実なのであります。
つまり、私が申し上げたいことは、世の男性諸君は、ゆめゆめ、「あの娘は今ごろどうしてるかなあ。」などと考えてはいけないのであります、ということなのですが、ご理解いただけますでしょうか。
(つづく)