アリバイ工作

38・44・135・144・149

 

何の番号かわかりますか?

きっとパスワードにこういう番号を使ったらばれないかもしれませんね。

 

 

昨日、札幌の行きつけの酒場でホッピーを飲む永山さんと私。

この時の会話です。

 

「永山さん、わかりますよねえ。」

「昨日の昼飯に何食ったか思い出せない癖に、そういうことだけはしっかり覚えている。」

 

そうそう、そう来なくちゃ。

 

さて、何の番号か。

 

これね、昭和50年に室蘭本線に最後まで残ったC57、5両の番号なんです。

 

永山さんがおっしゃるように、こういうことは、忘れたはずなのに忘れていない。

覚えているはずなのに、覚えていないという年齢なんですけどね。

 

実は永山さんは私より1つ年上。

この1年の差が実に大きいんですよ。

 

なぜなら、永山さんは高校受験が終わって、さあ、これから蒸気機関車に乗るぞ! と言っていた同じ時に、私は、ああ、これから悲しい受験生。だから、蒸気機関車を追いかけて旅行をすることなど夢のまた夢だったからです。

 

それがこの間、4月2・3日のブログでお話した「日帰りで北海道へ」となったのでありますが、実はこの間、永山さんがこんな入場券を見せてくれたんです。

 

 

昭和50年3月25日の追分駅の入場券。

私が追分駅に行ったのは4月2日。

わずか1週間ほどの差で、高校1年生になる永山さんと中学3年生になる私が同じところを訪ねていたわけで、それも永山さんは京都の御出身。私は東京からと、遠路はるばる同じところに向かって出かけて行ったという、実に奇妙な偶然です。

いえいえ、決して偶然ではありません。

当時の追分というところは、そういう全国の鉄道少年たちの求心力があったパワースポットだったのです。

 

だから、お酒を飲むと意気投合するんです。

 

ところで、先日のブログでお話させていただきましたように、昭和50年4月2日に、初めての北海道に日帰りでひとっ飛びして最後の蒸気機関車の思い出を作った私は、夕方7時前には自宅へ戻り、何食わぬ顔で夕飯を食べていたのでありますが、それを実行するにあたって、心配なことがありました。それは、もし親から、「今日はどこへ行って来たのか。」と聞かれたときのことです。そのためには、「今日はここへ行ってきた。」ということが必要で、後日、その時撮った写真が必要になると考えたのです。つまり、アリバイ工作。そのための写真を事前に撮影しておく必要があったのです。

 

で、私は、数日前の昭和50年3月28日、アリバイ用の写真を撮りに出かけたのです。

 

それがこの写真です。

 

 

 

昭和50年3月28日、常磐線の石岡駅です。

当時の常磐線にはこのような電気機関車がけん引する客車列車がたくさん走っていて、私はこの写真を撮りに行きました。

上の写真はEF80のファーストナンバーでしょうか。

 

 

 

こちらは交直両用電車の急行「もりおか」ですね。

今思うと貴重な写真です。

 

実はこの時の本命は関東鉄道(後の鹿島鉄道、2007年廃止)で、関東鉄道に乗って沿線を歩いて写真を撮りました。

その写真はネガをスキャンしていないので、とりあえず常磐線の写真をUPしておきます。

 

さて、このように用意周到にアリバイ工作までしたものの、結局親からは何も尋ねられることはなく、私の北海道旅行は現在に至るまで完全犯罪となっているわけでありますが、人間というのは不思議なもので、たとえアリバイ写真の撮影に出かけたとはいえ、子供の頃に出かけた石岡は私にとって忘れられない町になり、関東鉄道は大切な思い出の鉄道になりました。

 

 

だから、それから何度も沿線に出かけましたし、

 

 

2007年に廃止される直前には、こんなDVD作品も制作しました。

 

だから、私の前面展望作品の中では、今でも鹿島鉄道は元気に走っているのです。

 

 

さて、実は本日も私は先ほどまで北海道に居て、今は佐倉市の自宅で焼酎を飲みながらこのブログを書いているわけでありますが、そんなことは40年以上前からやっているのでありまして、いちいち特記することでもないのですが、北海道から帰って来たのに以前の私と違うのは、わざわざアリバイ工作などしなくても良いということで、その理由は、今回北海道へ行った目的は末っ子の大学の入学式でありますから、当然カミさんも同行しているのでありまして、つまりは家人を納得させるためのアリバイ工作など不要なのであります。

 

40数年の歳月を経て、私が人間として進歩したとすれば、おそらくはこの部分だけではないかと思う今夜なのであります。