現場百篇

昔、吉展(よしのぶ)ちゃん事件というのがありまして、小さな男の子が身代金目当てに誘拐された殺人事件ですが、その時に事件を解決した昭和の名刑事さんが口にしていたといわれるのが「現場百篇」ということ。

迷宮入りしそうな事件でも、現場に百回足を運べば見えてくるものがある。事件解決の糸口は必ず現場にある。
そういう意味だったと思います。

お百度参りなどという言葉もありますね。
百回同じことをするということは、それだけ熱心に自分が望みをかなえたいということを自分自身に言い聞かせることで、それが実現する。
そんなことなのかもしれません。

世の中には101回目のプロポーズということもあるようですから(笑)、まぁ、簡単にあきらめるなという意味もあるかもしれません。

百回と言えば、かれこれ40年近くも昔になりますが、訓練生として飛行機に乗っていた時にやっぱり一番難しかったのが着陸で、最終進入コース(ファイナルレグ)でなかなかピタッと決まらない。
滑走路に対する進入角度もそうですが、目の前から滑走路が右へ左へとズレていくんです。

「滑走路がズレていきます!」
私がそう言うと、隣に乗っている教官が、
「バカ、お前がズレているんだ。」
と言いましたが、確かにその通りで、滑走路がズレているんじゃなくて、自分がズレていっているわけですが、当事者としてはそんなことは理解できないわけです。

その後、訓練課程は無事に終了し、飛行機にはちゃんと乗れるようになりましたが、残念ながらプロフェッショナルとして仕事に就くことはかないませんでした。
でも、こんな、最終進入過程の経験一つとっても、なかなかどうして、若いころに飛行機の勉強をしたことは無駄にはならなかったなあと思うのであります。
自分の意見が相手と対立した時など、普通だったら相手がズレていると思うのかもしれませんが、私の耳には「バカ、お前がズレているんだ。」という教官の言葉が今でも残っていますので、「もしかしたら」といろいろ考えるようにしています。

そんな時に、教官の口から出た言葉。それは、
「百回やればうまくなるよ。」
ということ。

着陸は最初はなかなか決まらないけれど、まぁ、百回もやればうまくなるから心配ないよという慰めの言葉でした。

何しろ、自分がズレているにもかかわらず相手がズレていると思っている状況にある人間には、どうしてよいか解決の糸口が見えないわけですから、焦りまくるわけです。
なぜなら訓練というのは遊びではありませんから、時間が限られている。

自動車の教習所もそうですが、第1段階を終了しなければ第2段階へは進めないのと同じで、さらにそれに時間が限られている。
つまり、規定の時間内に技量を習得できなければ「さようなら」というのが飛行機の訓練の話ですから、「百回やればうまくなる」と言われても、そんな時間的余裕はありませんから、単なる慰めにしか過ぎないのですが、それでも、そういっていただけるだけありがたいわけです。

でもって、実際には百回などという時間は無くて、大体10回ぐらいでうまくなることが求められるわけですが、じゃあどうするかというと、「自分で考えろ!」と言われますから、自分で考えるしかない。
私の場合はどうしたかというと、まず、頭の中で着陸を妄想する。

左旋回してベースターン。
フラップを1段下げて、
高度400ft、速度80
左旋回してファイナルターン。
フラップをもう1段下げて、ギヤダウン。
高度300ft、速度80
だんだん滑走路が迫ってくる。
左にずれた。
ラダーで修正。
ラダーを戻しつつ右翼を少し下げる。
ラダーを当てたまま操縦桿をゆっくりと引いて、
はい、タッチダウン!

というようなことを椅子に座って一人でブツブツ言いながら、右にずれた場合、左にずれた場合、高度が高すぎる場合、あるいは高度が低すぎる場合などと、それぞれ異なる状況を想定しながら、空気椅子ではありませんが、左手で操縦幹を、右手でパワーレバーを、両足でラダーペダルを操作しているつもりになって、10回ぐらい一人でやる。
今のように動画を撮って再生できる時代ではありません。
知らない人が見たらバカみたいな光景ですが、そういうことを10回やって、次の日に実機で着陸訓練をやる。
そしてまた家に帰って、妄想飛行をして、翌日に実機。
あるいは、飛行場で知り合いを見つけては頼み込んで後ろの席に乗せてもらう。
そして、自分の訓練時間を使わずに、後ろで人の着陸を見せてもらって、だんだんとコツを覚えていくのです。

そんなことをやってみると、確かに教官が言われたところの「百回やればうまくなる。」ということが良くわかるようになるのです。

あるいは、その後、30代で家を買おうと思った時のことですが、やっぱり現場百篇じゃありませんが、何度も何度も見に行く。
平日、休日、雨の日、風の日、夜、などなど。
例えばお天気が悪い日はどうなるのか。
土地というのは大雨が降ったら表情が変わるのですが、家を買おうと思う時は自分が欲しい、買いたいと思っている時ですから、どうしても判断基準が甘くなる。
だから、実際に何度も何度も行ってみることで、少しずつ冷静になってくるし、何度も行くうちに、本当に欲しいのかどうかということも自問自答できるようになってくるわけです。
100回とは言わないまでも何十回も見に行って、やっぱり自分はこの家が欲しいんだと思えるようになることが大事だと思うのです。

そんな私は、今、毎日お昼休みに会社の近くを散歩することにしています。

この場所は140年近く前に新潟県で一番最初に鉄道が開通した場所ですから、いろいろ古いものがあるわけで、私の使命は「今あるものをどうやって有効活用するか。」ということですから、毎日毎日会社の周り歩いて、おそらく百回も歩けば、何か見えてくるものがあるのではないか。

そんなことを考えながら、会社の敷地の中を見渡しているのであります。

さて、そろそろ、何かが見えてくる予感がしております。
つまり、五里霧中だった霧がいよいよ晴れる気配を感じるのであります。

ここにも百篇通ってみると見えてくるものがある。
きっとね。