驚愕の瞬間。

この間、若い営業マンと話をしていた時のことです。

 

「うちは父も祖父も国鉄マンだったんです。」と彼が言いました。

私は、「ほう、そりゃあうらやましい環境ですね。」と答えました。

何しろ昔は国鉄一家と言って、親子2代や3代、兄弟で国鉄で働いていたという人がたくさんいました。

鉄道というのは、安全正確が求められる仕事ですから、一般採用で知らない人間を採ることよりも、身元のしっかりとした人を採用したいという傾向があったのかもしれません。お父さんが鉄道マンなら、その家庭の子供ならしっかりしているだろう。

情報の無い時代はそういう考え方だったのでしょうね。

そういえば、私も高校3年生の時の進路指導の先生に、「国鉄に就職したい。」と申し出たら、「兄弟や親せきに国鉄の人間は居るか?」と聞かれたことを思い出しました。

もう40年も前の時代ですから、そういう人は入り易かったんだと思います。

 

そんなことを思い出しながら、

「だったら、家にたくさんお宝があるんじゃないですか?」

私がこう聞くと、彼は「はい、なんだかいろいろたくさんありました。」と答えましたが、それに付け加えるように、

「でも、二人とも亡くなったので、全部処分しました。」と言うではありませんか。

 

私は、「え~~~~~!」

 

まさしく驚愕の瞬間です。

 

「はい、たぶん社長さんが見たらお宝かもしれませんが、私は興味がないので、処分してしまいました。」

 

驚愕のあまり、どんなものがあって、どうやって処分したのかなど詳しいことは聞きませんでしたが、あまりにももったいないことです。

 

でも、価値がわからない人にとっては、単なるガラクタですからね。

 

現在の日本では、こうして貴重なお宝がどんどん処分されていってるのでしょう。

 

前に聞いたことがありますが、おじいちゃんがSLが好きで、昔いろいろな所へ出かけて写真を撮影していたネガがたくさんありました。だから、おじいちゃんが亡くなられたときに、

「大好きなSLを一緒に持って行きな。」

と言って、ネガを棺に入れて火葬したということもあるのです。

 

これは文化の喪失です。

日本の文化にとって大問題なんです。

だから、何とかしなければいけないと私は考えています。

 

できれば、写真やコレクションなどは、その方の思いやコメントを一緒に記録して後世に伝えたい。

そういう活動をしていかなければ、たぶんあと数年で、すべてが灰になってしまうような危機感を私は持っているのです。

 

だって、私が15歳、中学3年生の時にSLが国鉄線上から姿を消したのですが、その私が57歳になるのですから、25歳だった人は67歳で、35歳だった人は77歳になるのです。

語り伝える活動は、今のうちにスタートしないと手遅れになる。

 

驚愕の瞬間に、私はそんなことを考えたのでした。

 

とりあえず、身近な方がお亡くなりになられて、鉄道関係のコレクションが出て来た方は、処分をされるのであればFacebookで私に直接ご連絡ください。後世に伝える価値があるかどうか目利きをさせていただきます。

ただしお金は払えませんよ。

そして、定期刊行物の月刊雑誌などは要りません。

コレクションというのはなんでもそうですが、自分が考えているほどの価値はないものですし、今後保管して管理していくのにもお金がかかるわけですからね。

 

近日中にご相談窓口を設けようと考えております。