あっ、トーマスだ!

今日も全国の皆様方からメールやメッセージをいただきました。

このところ世間様をお騒がせしているようで、ご心配をおかけして申し訳ございません。

私は元気ですので大丈夫です。

ていうか、基本的にエゴサーチはしませんので、通りすがりの方が何を言おうが耳には入ってきませんから、気にならないのでありますが、先日長男に
「ネットではいろいろと騒がれているけど、私は大丈夫だから心配しないでね。」
とメールを送りましたところ、
「ネット見てないから大丈夫だよ。」
と返事が来まして、あぁ、そういえば長男と次男は昭和の男だったと、改めて自分が年を取ったことを実感した次第であります。

前職、前々職時代から私にはあるイメージが付きまとっているらしく、
「あいつは金儲けのことしか考えていない」とか、
「イベントばかりやっていて安全をないがしろにしている」などと言われているようですが、実は私は昭和の時代からの鉄道事故や航空事故をほとんどすべて研究し尽くしていまして、そりゃそうでしょう。20代のころから航空会社で安全教育を受けて来ていますし、昔は自分でも操縦桿を握っていた人間ですから、安全に関しては骨の髄まで染みついていると自負しています。

以前に誰だったか、どこだったかは忘れましたが、「あなたは安全に関してどういう考えを持っていますか?」と私を試すような質問をしたスタッフがいまして、私としては「こいつ、何言ってるんだ?」ということで、鶴見事故から桜木町事故、三河島事故から近年では尼崎の事故までの状況と事故原因をすらすらとその人間の目の前で話をしました。
加えて、全日空の羽田沖墜落事故から松山事故、モスクワ、ニューデリー、クアラルンプールの日本航空連続事故、雫石、ばんだい号横津岳墜落事故の事故原因などを畳み込むように話をしましたところ、その人間はたじたじになって、「申し訳ありませんでした」と平謝りしたことがあります。

私は別に論破しようと思ったわけではありませんが、航空会社の安全教育というのは、おそらく鉄道会社のそれとは比べ物にならないほどシリアスなもので、私は当時悪名高かった「てはなんごん」にいたものですから、20代のころからとにかく一生懸命文献をむさぼるように読み漁っていたのであります。

ということで、今の私の最大の関心事は、昨日も書きましたけど間もなくやってくる蒸気機関車の運転士の試験でありまして、井川線のディーゼル機関車の訓練生と合わせて3名が今、一生懸命訓練をしているのを毎日のように注目しているのです。

もっとも、社長が訓練を見ているとなると、訓練生は嫌でしょうから、私はまるで柱の影から飛雄馬を見守る姉、明子のように、遠くから見ているのであります。(平成生まれにはむずかしいかな)

新金谷駅ホームから見た今日の訓練シーン。
踏切事故が発生したと仮定して、それぞれの役配置で頑張っているところです。

で、広場の方に移動してみたら、あれれれれ?

皆さん、気が付きましたか?

パーシーで訓練しているその後ろの方にトーマスがいるではありませんか。

時刻は16時半過ぎ。
トーマスが出てきていました。
近づいてみると今日は火が入っていましたが、まだ自力では走行できないようで、アントと呼ばれる構内移動用の黄色い機械が付いていました。

車両区のSL整備班が微調整を行っているところです。

で、そのアントがトーマスを推して移動すると・・・

線路の向こうの公園でお母さんとちびっ子が汽車を見ていました。

で、この光景を見て私はフラッシュバックのように思い出しました。

昭和38年から40年ごろにかけて(1963年から65年ごろ)、私は房総西線(今の内房線)の巌根駅の近くに住んでいて、夕方になると生まれたばかりの妹を連れて、おふくろさんが散歩がてらに汽車を見に連れて行ってくれたんです。

田んぼか畑かは覚えていませんが、その向こうを蒸気機関車が煙突から火の粉を吐きながら走っていく。
それが私の原風景なんです。

1つ柊(ひいらぎ)、冬の花、日の暮れ時に匂います。

こんな数え歌の絵本を父が読み聞かせてくれましたが、その10番目、

十(とお)は遠くの汽車の音、とおさん帰りの遅いこと。

当時住んでいた家は駅から10分ほど離れたところだったと思いますが、夜、汽笛の音がポ~ッと聞こえます。
巌根駅の発車の汽笛です。
すると母が、
「もうじきお父さん帰ってくるよ。」
と言うのですが、それからしばらくすると父が本当に
「ただ今」
と言って帰ってくるのです。

今ならスマホで連絡できますが、家にはテレビも電話もない時代でしたから、なぜ父が帰ってくるのがわかるのかとても不思議でしたが、当時の日本はそういう時代だったのでしょうね。

線路の向こうで汽車を見る親子。
お母さんは前抱っこで赤ちゃんを抱えていて、3歳ぐらいのボクが夢中になって汽車を見ているその姿に、60年以上前の自分が重なりました。
昭和の時代と違うのは、お母さんがスマホを持っていることでしょうか。

60年経ってもはっきりと覚えているのですから、この写真のちびっ子も、もしかしたら自分はおふくろさんと一緒に汽車を見た景色を60年後も覚えているかもしれない。
そんなんことを考えると、汽車の思い出を持った人たちが次の世代を生きていくのですから、今から60年後と言うと私が巌根の駅で汽車を見た時から120年後ですから、そこまで汽車の思い出が続くわけですから、なんだか壮大なロマンを感じませんか。

静岡県島田市に住む子供たちは50年後60年後まで、汽車の思い出を持ち続けるのです。
そしてその汽車と言うのが、私たちの時代は真っ黒なシゴナナやハチロクでしたが、今の時代はトーマスでありパーシーなのです。

お爺さんたちは「SLは黒じゃなければダメだ!」と自分たちの価値観を押し付けようとしているかもしれませんが、時代によって役者が変わってもいいではありませんか。

今日のこの光景を見て、そんなことを思いました。

そして、この光景を見て育った子供たちが汽車が好きになって、大きくなって、厳しい訓練を受けて機関車乗りになっていくとしたら、それって素晴らしいことではないかと私は思うのです。

残念ながら私は機関車乗りにも飛行機乗りにもなれませんでしたが、そんな私としては次の時代を作っていくことが使命ではないかと考える今日この頃であります。