テレビで終末期医療の延命中止の特集をやっていました。
もうこれ以上治療を施しても効果がない、あるいは回復が望めない。
そういう時に、事前の本人の意思が確認できれば医師や救急隊員が延命措置を中止することができる。
こんな話です。
でもわずか10年ぐらい前までは、患者や家族の希望を聞いて延命装置をはずしたお医者さんは、殺人罪でK察に逮捕されていました。
そのさらに10年ぐらい前でしょうか。
農家のおじさんが、「俺の作った米は日本一だ。」と言って、自信がある米を消費者に直接販売したところ、やはりK察に逮捕されました。
農家のおじさんとしては、農協に出してしまうと自分の作った米が他のコメと混ぜ合わされて流通に出されてしまう。これじゃあ、せっかく丹精込めて作ったおいしいコメが台無しになってしまう。だったら、おいしいお米を求めている消費者に直接販売して価値を共有してもらおう。生産者としてはそう考えるのは当然です。
でも、当時は食管法という法律があって、農家が直接消費者に米を販売するということは許されていませんでした。つまり、法律違反。だから、おじさんはK察に逮捕されて全国ニュースになりました。
農家が消費者に直接コメを売るなどということは、今では当たり前なのですが、当時は法律違反だったのです。
若い人たちは知らないかもしれませんが、このように法律というのは時代に合わせて変わっていくのです。
だから、当時は禁止されていたことだって、時代が変われば何の問題もなくなることがたくさんあるのです。
と考えると、今、禁止されていることだって、将来は全然問題にされないことだってあるかもしれないのです。
だから、何かにつけて、鬼の首をとったように、「コンプライアンス違反だ!」などと言うことはやめた方が良いと私は思います。
少し前に、芸能人が線路の中に立ち入って写真を撮ってお叱りを受けたニュースが話題になりました。
「線路内立ち入りなんて大したことじゃない。昔はさんざんやったよ。」
そういうおじさんたちもたくさんいると思います。
でも、上の話とは正反対ですが、昔は良かったことでも、今は許されないことだってたくさんあります。
でも、そういうことを見聞きした時に、「どうしてダメなんだろうか?」と考えてみることも必要だと思います。
なぜなら、昔ダメだったことが今大丈夫になっているのに理由があるように、昔良かったことが、今ダメになっているのにも理由があるはずで、その理由というものが、どういう経緯でそうなったかを検証して、本当にダメなのかどうかも考えてみる必要があると私は考えています。
(だからと言って、線路に入ってよいという話ではありませんよ。)
さて、テロ等準備何とかという法律を成立させようかどうしようか、国会でもめていますね。
この法律が成立すると、今までよかったことが悪いことになる可能性がある。だから反対だというのが野党の主張です。
私は野党の主張に「フムフム」と耳を傾けます。
なぜなら、この法律が制定されるとK察の権限が大きくなるからで、ただでさえ職務権限で違法な捜査をやりがちなK察に、さらに好き勝手を許すことになりますから、つまり、大多喜の駅前の一時停止標識に気が付かずに通り過ぎてしまう不慣れな観光客のドライバーを見えづらいところから待ち構えていて、「はい、ご苦労さん!」とノルマ達成のために日夜励んでいるK察官たちに、さらなる権限を与えることが許せないからです。野党の先生方はそのような了見の狭いお話はしていないでしょうけど、過去の日本のK察の歴史をひも解いてみると、もっともっとひどいことをやって来ているわけで、だから未だに昭和のころの冤罪事件の再審などと言うことが現実問題として発生しているのでありますが、その根拠となっているのがコンプライアンスでありますから、法律は正義の味方になるとは限らないのであります。
では、そのテロ等準備なんとかという法律が制定されなければ、いったいこの国はどうなるのかということを考えた時に、度重なるイギリスでのテロ事件や、フランスでのテロ事件のように、オリンピックを控えた日本だって同じようなことが起きることが十分に考えられるわけで、では、その点に対しては具体的にどうやって対処しましょうか、という観点が野党にはない。つまり、国を預かる与党であれば、「何とかしなければならない。」という使命感がありますが、野党には批判ばかりでそういう使命感を感じないというのが、ローカル線を何とかしなければならない社長としてはひしひしと感じるわけです。
もっとも、野党の先生方の中には、その昔、ヘルメットを被ってK察とケンカした経験を持つ方々もいらっしゃるようですから、私はその点で大変尊敬申し上げているわけですが、ただ、「じゃあ、どうしたらよいのでしょうか?」となった時に、理想論ばかりで具体的政策をお示しいただけなければ、全く現実味がない机上の空論であると笑い飛ばされても応援はできないというのもまた事実なのであります。
とうことで、若い皆様方も、よーく注意していないと、知らない間に新しい法律ができて、「お前は何をやってるんだ!」とK察に逮捕される時代がやってくることだってあるし、だからと言って、具体的に行動しないと、フランスやイギリスで起きているテロ事件が、東京ドームや武道館でいつ起きるかもしれません。
つまり、これからの時代を作っていくのは皆様方だということだけは確かなのです。
これまた若い人たちは知らないことだと思いますが、実は日本でもかつてテロ事件がたくさん発生していました。
ていうか、テロ事件というのはもしかしたら日本から始まったのかも知れないと私は考えているわけで、なぜなら昨今話題の自爆テロですが、もとはと言えば神風特攻隊だし、ハイジャックはよど号事件だし、大手町の三菱重工ビルがお昼の時間に爆破されて、多数の死傷者が出たのも大規模テロですし、テルアビブ空港のテロ事件も日本赤軍ですから、日本はテロ発祥の地と言っても良いかもしれないのです。
そして、その時代のテロの片棒を担いだ人たちが、今、ある程度の年齢になっていて、その年代の人たちが、テロ等準備なんとかという法律に必死になって反対しているということも、どうやら事実なのです。
だから、海外におけるテロ対策は宗教対立として、見た目でわかる相手をテロリストかもしれないとチェックすれば良いかもしれませんが、日本におけるテロ対策は、実は同じ顔した見た目では判断できない人たちが対象かもしれません。
そういう点で、同じ顔をした同じ毛色の人たちが、新しい法律の制定にあたり、賛成と反対に分かれているというのも、この国の特徴なのです。
だから、コンプライアンス云々と言って、鬼の首をとったようなことを言うのは意味がないことで、もっと他にやることがあるはずだと、若い人たちに向かって私はそう訴えかけたいのであります。
ぜひ物事の本質を見抜く力をつけていただきたいと、そう思うのであります。
なぜなら、日本の学生運動や思想活動を振り返った時に、皆様方のお父さんお母さんが、かつて、K察とケンカしていた「テロリスト」と同じかもしれないからです。
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