昭和41年に四国の松山で全日空の飛行機が墜落事故を起こしました。
大阪から飛んできて着陸しようとした飛行機が設置点を誤り、滑走路の真ん中付近で接地したため、機長は直ちに着陸やり直しの行動に出ます。エンジン出力をアップして操縦桿を引いて、飛行機は再び上昇に転じます。ところが、いったんは浮上したものの、あまり上昇せずにそのまま海の中に墜落してしまいました。乗客乗員全員がなくなられた大事故です。夜で暗かったため、目撃者も管制官ら数人のみでした。今から50年も前の話です。
その飛行機はオリンピックの年にデビューした日本製のYS11。墜落した機体は全日空に導入されてから半年ほどしか経過していないピカピカの新品でした。
事故調査委員会が招集され事故原因の究明に当たりましたが、なかなか事故調査が進みません。なぜなら当時の飛行機にはブラックボックスと呼ばれるボイスレコーダーもフライトレコーダーもついていなかったからです。
今ならレーダーの航跡はもちろん、操縦室内の会話や飛行機をどういう操作していたのかなど、ほとんどすべてが記録されていますが、当時はそういう考え方がまだ浸透していなかったのです。
事故調査団の団長を務めたのは木村秀政さんという大学の先生で、当時の日本では木村先生の右に出る人はいないというほどの航空の権威で、専門家の中の専門家と言われていました。当時の日本人の誰もが、木村先生が事故調査委員長をやるのが当然だと思っていたほどの大先生でした。
ところが、その大先生をもってしても事故原因の究明が進まない。例えば高高度を飛行している飛行機が空中分解するような事故ならまだしも、低速で進入してきた飛行機が着陸をやり直そうとして失敗し、高度100メートル程度から滑走路の先の、陸地に近い比較的浅い海に墜落した事故ですから、それほど時間がかからなくても原因究明はできるだろうと思われていた事故の原因がわからなかったのです。
機体の残骸の散乱状況を見ると片方のプロペラが他の部位とはずいぶんかけ離れた地点で見つかったことから、何らかの原因によりプロペラが脱落するなどして飛行を継続できなくなったのではないかという意見も出されたようですが、事故調査報告書には取り上げられることはありませんでした。
結局、事故原因は不明ということですが、パイロットの疲労による操縦ミスを連想させるものになっています。
で、私が思うのは事故調査団の団長を務められたこの木村秀政先生という方なんですが、実はYS11型機の開発にかかわった当事者なんですね。当時の日本は戦後に航空が再開されてから12~3年しかたっていませんでしたから、航空の専門家と呼ばれる人は少ないわけですが、その少ない専門家の方々が国産初のYS11の旅客機の設計開発を行い、その開発にかかわった木村先生が事故調査団の団長を務められている。そして、当時の日本はこのYS11型機を海外に売り込もうとしていた矢先であって、事実、その後、アメリカをはじめとする複数の国の航空会社が,このYS11を買ってくれているのです。
そういう状況を考えると、どうなんでしょうかねえ。あくまでも想像の域を出ませんが、自分が開発にかかわった航空機の事故調査団の団長になって、「機体の欠陥が原因です。」などといえるわけありませんから、今の日本ならそういう当事者は事故調査団に加わることなど考えられないということは皆様方もご理解いただけると思います。
ところが、当時の日本にはそういう考え方がなかったから、一番詳しいのは木村先生だから、木村先生にお願いしようとなったわけで、事実としていえることは、その結果、事故原因は操縦ミスをにおわせるものの原因不明。機体がおかしかったなどということは出てこなかったのです。
つまり、簡単に申し上げると、当事者になる可能性がある人は事故調査に加わってはいけないということですが、今ではその程度のことは基本的常識になっているはずなんですよね。
ところが、世の中を見ると、例えば警察官が何か事件や事故を起こしたら、それを警察が調べているでしょう。
この間の選挙がらみで大分県警が隠しカメラを仕掛けた。それを捜査しているのは部署は違うけど同じ警察でしょう。
自分の周りを見渡すと、そういうことって意外にあるんじゃないでしょうかねえ。
JR北海道の経営がおかしくなっている。じゃあ、いったい国鉄からJRになってから、JR北海道を誰がやってきたんだと思いますか。JRと国でしょう。今年の3月に国策で30年遅れて開通した北海道新幹線ですが、経営危機だといわれているJR北海道がさらなるお荷物として新幹線を引き受けなければならない。それは国の指導であるわけですが、そういうことを長年やってきてJR北海道はダメになったといわれているのです。ところが、そのJR北海道の立て直しを誰が計画するのかといえば国とJRなんですから、私はおかしいのではないかと思います。
長年やってきてダメにしちゃった人たちが、再建計画を立てるということは、航空機の設計にかかわった先生が事故調査をやるのとなんら変わらないのではないでしょうか。
JR北海道の経営がたちいかなくなったことが事故だとすれば、会社の再建は原因調査と言えましょう。
航空事故調査では50年前の話ですが、鉄道会社の立て直しは50年を経過した今でも因果関係の整理すらできていない。そういうダメにした当事者、関係者たちが、人や組織の名前は変わるものの、結局やっていくわけですから、私は正直申し上げて、出鱈目なんじゃないかと思っております。
だってそう思いませんか?
もう一度言いますが、経営危機にあるJR北海道が、集客力が見込めない北海道新幹線を引き受けなければならない構造は誰が作ったのですか。そしてその人たちが、北海道の経営再建案を作っていくんでしょう。
そういう出鱈目が、誰も何の疑問も抱かないうちに着々と、ある意味なし崩し的に進んでいるようですから、誰も言わない代わりに私が言ってみようと思った次第です。
地方創生だってそうですよ。
その地域がなぜ今のように廃れてしまったのか。
それは長年その地域に住んできた人たちがそうしてしまったことが原因の一つですから、そういうことをきちんと整理していかなければ、うまく進むとは思えないのであります。
そろそろ秋めいてまいりましたので、皆様も、世の中のまやかしを見抜くすべを研究されるのもいいかもしれません。
今夜は50年前の飛行機事故から何を教訓とするべきなのかを考えてみました。
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