何周年記念日?

昨日は東日本大震災から4年の記念日でした。
もう4年。まだ4年。
思いは皆さんそれぞれで、「子供に会いたい。どうしても会いたい。」と失った子供を思う母親の姿が心に刺さりました。
津波にのみこまれ突然命を失った人たちは、さぞかし無念だったことを考えると、4年経った今も言葉がありません。
津波警報が出ているのに、逃げなかったんだから、自己責任だという人も中にはいるようですが、ご本人たちには何の罪もありません。
大震災の前年、今から5年前の2010年春に、房総半島付近を震源とする震度5級の大きな地震があり、津波警報が出て退避勧告が出されました。
ちょうどその時は勝浦ビッグひな祭りが開催されていて、いすみ鉄道も売店を出していましたので、私はすぐに「店を閉めて退避しろ。」と連絡を入れました。
ところが、会社の中の誰もが、「大丈夫ですよ。津波なんか来ませんから。」と言うし、店のスタッフは退避せずにそのまま営業を続けました。
結局、お祭りの実行委員会がお祭りの中止を宣言して、仕方なしにお店も営業を止めて閉店しましたが、スタッフが店を出たのは地震発生から1時間以上経過していて、周囲にはたくさんの人が非難することなくいつも通りだったということですから、たまたまその時は津波が来なかったというだけの違いで、私には東日本大震災の津波の被害は他人ごとではないのです。
東北では、所によってはビルの4階にまで津波が来たところがあったのですから、もし同じ規模の津波が房総半島に来ていたら、当時の沿線地域はひとたまりもなかったはずなんです。
房総半島地域では、あの地震と津波の教訓を生かして、建物の耐震補強を行い、避難場所を高台に設置するなど、急ピッチで安全対策を取っていますが、本当に大切なのは、命を落とされた方の犠牲を無駄にしないように、こうやって対策を立てて、いずれやってくるだろう災害に対して被害をできるだけ最小限に食い止められるようにすることだと思います。
今年は東日本大震災だけじゃなくて、阪神淡路大震災から20年の年であり、戦後70年の節目の年でもあり、ということは3月10日の東京大空襲からも70周年でしたので、そういう式典が都内で行われたのをニュースで見ました。
震災被害と同じように、戦争で犠牲になられた方々や大きな事故で亡くなられた方々についても、二度と同じことが発生しないように、私たち皆で考えて、共通認識を持って、そういうことを未然に防ぐことが人類の英知なのではないでしょうか。
こういう悲しい出来事は何年経っても忘れてはいけないと思いますが、昨今のように、あちらこちらでいろいろ大きな事件や事故があると、なかなか覚えていられないというか、忘れていることだってあるわけです。
先日もニュースでやっていましたが、日比谷線事故から3月8日で15年。同じく日比谷線がらみですが、地下鉄サリン事件からは3月20日で20年です。
御巣鷹山からは今年が30年の年に当たります。これらの事件事故では、大勢の方がなくなられて、今でもご遺族の方々がテレビに出て、インタビューをされている姿が映し出されます。そういう姿をマスコミで見ると、この方々の悲しみは何年経っても消えないんだなあと改めて実感させられますし、マスコミは社会に対して「忘れてはダメだぞ。」という情報を発信しようとしている意図が感じられます。
でも、それはどちらかというと日本で発生した日本人に対しての事故や事件だけで、では、「昨年マレーシア航空機が離陸後行方不明になったのはいつだか覚えていらっしゃいますか」と問えば、そんな報道はほとんどされていないのも事実です。あれは3月8日のことで、先日1周年でしたが、まだ残骸すら発見されていないというのに、日本ではすでに忘れ去られているようですね。でも、あの飛行機に乗っていた239人の乗客たちの御霊はどう考えるべきで、そのご家族の悲しみはどうとらえたらよいか。日本人は、海外の事件では、日本人が居合わせたかどうかが必ず焦点になって、日本人がいないとなると、すぐに忘れてしまう反面、日本で起きた事故や災害は、ある意味執念深く、とことんまで誰かの責任を問うて、誰かを非難しようとしている。それが、「事故を風化させない」ということのように取り扱われているマスコミ報道を見聞きすると、私は少し違うのではないかと感じるのです。
そこで、必要になってくるのは、いったいいつまでこの「何周年」をやらなければならないかということと、それを社会的にいつまで取り上げなければならないかということだと思うのです。
御巣鷹山の悲しい事故から30年。日本の航空会社はあの事故の教訓を、すでに十分すぎるほど生かしていると私は考えますし、その証拠に、会社を問わず、あれだけ発生していた1960年代から1980年代にかけての墜落事故が、御巣鷹以来全く発生していないのですから、私は、教訓としては十分なような気がしますし、風化などしていないと考えています。
もっとも、安全というのはどこまで対策を取っても、「これで良し」ということはありませんので、今後も未知のものを既知として、事前に対策を立てていくような努力はし続けなければなりませんが、少なくとも、御巣鷹の教訓というのはすでに航空業界で、技術的、システム的には十分生かされていて、事故防止対策に役に立っているというのが、この30年間日本の航空会社が大規模な死亡事故を発生させていないゆえんだと私は考えています。
このように、過去には他にもいっぱいいろいろな事件や事故があって、たくさんの人が犠牲になられていて、その犠牲になられた人たちにはそれぞれにご家族がいらっしゃって、皆さん悲しみを乗り越えようと頑張って生きていらっしゃるわけですから、うっかり「忘れてました。」なんて言えない雰囲気が無きにしも非ずですが、私は最近、「いったいいつまで、どんなことを忘れてはいけないのだろうか?」と、どこかで線引きが必要なのではないかと考えるようになりました。
ちなみに、ベトナム戦争が始まって今年で50年だし、三井山野炭鉱事故(犠牲者237名)からも50年。よど号ハイジャック事件からは45年。炭鉱の事故でいえば日本最大の三井三池炭鉱事故(犠牲者458人)からは52年になるのも忘れてはいけないと思いますが、そんなことを報道しているマスコミはほとんどありません。
鉄道関係でいえば、めでたい話題ですが、この3月10日は昭和50年に山陽新幹線が博多まで開業してから40周年でしたし、ということは、筑豊地区から蒸気機関車が消えてから40周年なわけですが、もしかしたら他にも忘れていることが何かあるかもしれませんね。
人生長く生きてくると、「ああ、そういうこともあったね。」的に、サラリと流してしまうようになりますが、50過ぎのオヤジとしては、どうも最近の「何周年記念日」的な風潮に疑問を感じないでもないのです。
人がなくなってから一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌など、法要の時期が仏教にはありますが、これは、中国の昔の言い伝えにある、「人は死んだら十王様の裁きを受ける。」ことに由来しているようで、あの世では初七日、四十九日、100日、一周忌の日にそのさばきが行われるらしいのですが、聞いたところによると、最大が三十三回忌だそうで、それを過ぎたら普通の人はもうやらない。なぜかと言えば、33年も経てば亡くなったその方の子供の世代も死ぬ時期を迎えるからで、施主がいなくなってしまうかららしいのです。
前述の御巣鷹山から30年ということも、当然ご遺族の方々は高齢化していますから、いつまでも慰霊登山に行くことができませんが、最近の日本の報道を見ていると「風化させてはいけない。」という理由で、責任ある側が主催してエンドレスに何周忌を行っていくのが正しいと言っているようにも思えてくるのです。
私は、御巣鷹山もそうですが、ある一定の期間が過ぎたら、個人的な思いが絡む「何周忌」的な儀式はもう終わりにして、それでも、例えば戦争のように、その事故や出来事が教訓として後世に伝える必要があると考えるなら、その後は、たとえ関係者がいなくなっても、教訓として伝えていかなければならない社会的な儀式として残していくように、方向転換するべきなんじゃないかなあと思っています。
実は、私が前に勤務していた飛行機会社も、かつて富士山で墜落事故を起こしました。
富士山のような高い山の周りには山岳派と呼ばれる乱気流があるのですが、その山岳派というものが当時の技術では未知のものであって、操縦士はそういう乱気流が存在することは誰も知らなかった。だから、外人観光客を喜ばせようと、富士山の近くを比較的低空で飛行したために、この山岳派に巻き込まれたのが事故の直接の原因でありますが、この事故から今年で49年、来年で50周年になります。
私の先輩で、新入社員当時にこの事故を担当した方がいますが、その方は、定年退職するまで、毎年、墜落現場となった太郎坊という場所に慰霊登山に出かけていました。定年退職の時に、「これからも登りますよ。」と言っていたのがとても印象に残りますが、私は、こうしたある意味、個人的に一生をかけた自己犠牲の精神を目の当たりにしていますので、10年なら10年として、ある程度のところで線を引かなければならない気がするのです。
つまり、失われたものに対する家族の悲しみや追悼ということと、再発防止のために忘れてはいけない教訓を別にするべきだと思うのです。
ここからは笑い話ですが、この何周年記念日的な考え方は、実は日本人だけではなくて、お隣の韓国ではもっと盛んのようです。
2月14日は皆さんご存知のバレンタインデーで、そのお返しのホワイトデーが3月14日というのは日本も同じですが、韓国の場合は翌月の4月14日がブラックデーと呼ばれる記念日です。
どういう日かというと、ブラックデーはバレンタインデーでもホワイトデーでも恋人ができなかったさみしい一人者の男女が黒い服を着て集まって、黒い麺(ジャージャー麺)を一緒に食べる日だそうで、ここでめでたくカップルになった男女は、翌月の5月14日にバラの花束を贈り合うために、5月14日はローズデー。
残念ながらブラックデーにも彼女ができなかったさみしい男は、5月14日には黄色い服を着てカレーライスを食べるイエローデーで、同じ5月14日のローズデーにバラの花束を受け取ったカップルは、翌月の6月14日には人前でおおっぴらにキスをしても良いということで、6月14日はキスデーなる記念日で、以後、7月14日はシルバーデー、8月14日はグリーンデーと、延々とこの毎月14日の記念日が1月まで続くのです。
つまり1年中毎月14日は記念日。
そして韓国人の彼女がデートの度に彼に向かって口にするセリフと言えば、
「ねえ、今日は何の日だか覚えてる?」
というのは韓流ドラマファンならご存知だと思います。
でも、こうなると男の方は気が気じゃありません。
「え~と、ちょっと待って。」とでも言おうものなら、必ずひと悶着あるのは明らかで、じゃあ何の日かというと、彼女の口から出てくる言葉は、
「初めてデートした日から3か月目の記念日でしょ。」的な、その程度のことなのですが、これが二人にとって見たら大問題だということなのです。
隣国人のこういう姿を見るにつけ、私は「人の振り見て我が振り直せ。」という言葉を思い出します。
そろそろどこかで区切りをつけた方が良いことって、いっぱいあると思いますよ。
ちなみに今年は私が今のカミさんと出会ってから40年目。
ちゃんと覚えてますよ。
新幹線の博多開業と絡めて記憶していますから、忘れないのです。
本籍地は所帯を持つときにそれまでの中央区築地から、東京駅がある千代田区に移しましたが、これも鉄道と関連付けてないと忘れてしまうからなんです。
私の妻は残念ながら韓国人ではありませんが、覚えてないと、大変なことになるという点では、同じ人間として国籍は関係ないようです。
だから、いろいろな何周年記念日は、どこかで線引きをする必要があるのではと考えるのです。
皆さんも、自分のことに置き換えてみたら、きっとそう思うのではないでしょうか。