「昔はよかったなあ」と言うおじさん

房総半島にいると、「昔はよかったなあ。」というおじさんたちがたくさんいるのに気が付きます。
その「よかったなあ。」の意味するところは、賑やかで、活気があって、人がたくさん来たということで、それはつまり地場産業である漁業が盛んで、当然関連する産業も盛んでしたし、海水浴シーズンになると、都会からたくさんの人たちがやってきて、とにかく賑わっていた、ということを指しているわけです。
それはだいたい昭和30年代後半から昭和40年代いっぱいぐらいまでで、昭和50年代に入ると房総半島の海水浴は急速に廃れていきましたし、昭和30年代前半は、戦後を引きづっていてレジャーどころではありませんでしたから、「昔はよかったなあ。」というその昔というのは、わずか15年間ほどのことだったのです。
で、その頃のことを「よかったなあ。」と言う人たちはだいたい60代から70代の方々で、もちろんそれ以上の人たちもたくさんいらっしゃるようですが、簡単に言うと当時すでに大人として活躍されていて、儲かった経験をされている方々ということになります。
私自身も勝浦のおばあちゃんちの実家が漁師でしたし、民宿などもやっていましたから、房総半島のおじさんたちの中に入って、「昔はよかったなあ。」という話を聞くと、素直に「そうですね。すごかったですね。」と当時を思い出します。
つまり、私自身も「昔はよかったなあ。」と言うおじさんになっているのです。
今思えば昭和50年ごろが房総半島の海水浴のピークだった気がしますが、昭和50年と言えば日本の国鉄から蒸気機関車が姿を消した年でありますが、考えてみればその年に「おぎゃー」と生まれた子どもがもうすでに40おやじになっているわけですから、「思えば遠くへ来たもんだ。」の心境で、自分としてはつい昨日のことのように思ってはいても、「そりゃあ確かに昔になったなあ。」と感じるのです。
さて、その「昔はよかったなあ。」というのは何も房総半島だけのことじゃなくて、例えば、昔から都会人の憧れの場所だったところに、小海線で行く清里、野辺山というところがありました。
「ありました」と過去形で言うのは、今はほとんどその名を聞かなくなったからで、気候的には良いところですから少なからずファンの人たちはいると思いますし、別荘などもあるのは知っていますが、列車に乗りきらないほどお客さんが殺到するということはないでしょうから、あえて過去形で申し上げている次第です。
中学3年生のとき、その清里、野辺山へ出かけた昭和50年8月の写真が出てきましたのでご覧ください。

▲3両編成の小海線の気動車が清里駅に入るところを貫通扉から前面展望撮影。
ホームには鈴なりのお客さんがいます。

▲清里駅に到着した列車。ホームからあふれるお客さんです。
(ネガからスキャンした写真はかなり退色が進んでいますが、クリックすると拡大します。)

▲わずかな停車時間で発車していく列車。先頭はキハ52です。
停車時間中に反対側の改札口へ渡りきれなかったお客さんたちが列車が通り過ぎるのを待っている様子がわかりますが、ホームに入りきらない人たちは線路にあふれています。

▲私たちは道路伝いに清里から野辺山まで2時間ぐらいかけて歩きました。
途中、国鉄最高地点で記念撮影した記憶があります。
当時の野辺山駅です。


▲ここ野辺山から、下り列車に一駅乗車して次の信濃川上へ向かいました。
列車が混み合っている様子がわかります。
上の写真の対向列車の前に若いお母さんが小さな子供を連れている姿が写っていますね。
当時の小海線というと八ヶ岳の登山客のイメージが先行しますが、決してそれだけじゃなくて、若い夫婦が子供を連れて旅行に来るような、ある意味オシャレな場所だったことがわかります。
この子が3歳だったとして、今年44歳ですね。

▲信濃川上駅です。列車を見送ってパチリと1枚。

▲すると、列車のむこうの線路に貨物が停車しているのに気付きました。

▲そしてその貨物列車はほどなく発車。
赤字国鉄を象徴するようなかわいそうなほど荷のない貨物列車ですが、最近DLやSLの復活運転はどこも旅客列車ばかりで、こういう貨物列車を復活運転する鉄道会社があっても良いと思うのですが。
いすみ鉄道では無理ですよ。機関車がありませんから。(笑)
これが中学3年生だった昭和50年に私がクラスメートと一緒に出掛けた小海線です。
なぜ小海線に出かけたのかと言えば、それはやはり憧れの地だったからですが、その憧れの地も、今は夏でも当時のように混み合うことはないようです。
きっと、小海線沿線にも、「昔はよかったなあ。」のおじさんたちがたくさんいるはずですね。
では、なぜ、このように「昔はよかったなあ。」という昔話になってしまったのでしょうか。
一般的には、このころを境にマイカーが普及したことで、ストばかりやっている国鉄に頼らなくても旅行ができるようになったことが大きな原因だと言われていますが、それだけじゃないはずです。
それは、国民の意識がどんどん変わってきたからで、房総半島や八ヶ岳高原、日光や箱根といった観光地へ行くことに魅力を感じなくなってきたからだと私は考えています。
(つづく)