公募社長総括 5 なぜムーミン列車なのか。

私が就任した時にはいすみ鉄道の会社内には活気というものがありませんでした。

なんとなく「どよ~ん」とした感じ。

まあ、今でもそういう人は一部にいることはいますが、会社全体がそういう人だらけだったのです。

 

そりゃそうでしょうね。職員のほとんどが地域に住んでいる地域の人たちですから、万年赤字のいすみ鉄道に勤めてるということは、「お前らの会社は赤字の垂れ流し」だとか、「お前らの給料は俺たちの税金で払ってやってるんだ」的な、平気でそんなことを言う人たちも地域には居るわけで、私だったら、そんなことを言われたら「あんたはいったいいくら税金払ってるんだ。消費税以外払ってないだろう。」なんてことを相手に向かって言ってしまいますが、田舎の山の中で長年暮らしている人たちは、そういうことは言ってはいけない掟がありますから、何と陰口を言われても、黙っているしかありません。だから、皆さん「どよ~ん」という感じになる。

そういう会社の中の雰囲気を見て、私は「この人たちはかわいそうだなあ。」と思いました。

 

だって、いすみ鉄道の仕事というのは、毎日毎日、安全、正確、低コストで列車をきちんと走らせているにもかかわらず、自分たちの仕事が社会からきちんと評価されていないんですから。でも、だからといって「冗談じゃない、やってられるか!」と仕事の手を抜くことはできません。何を言われても、感情を表に出さず、黙々と列車を走らせている。そういう人たちの集まりでした。

 

ふつうは経営改革などというと、敏腕な管理者が入ってきて、バッサバッサと切るところを切って組織を一新するというような印象がありますが、私の場合は外資系航空会社といっても、日本人以上にきちんと相手のことを考える会社でしたし、そういう会社で教育を受けてきましたから、誰をクビにして・・・などという考えは毛頭ありませんでしたが、会社の中の人たちの雰囲気を見て、必要なのは人員整理などではなくて、モチベーションだと感じました。

外国人、特に欧米人と付き合っていると、日本人の考え方が案外遅れていることに気づきますが、20年ほど前までの日本人は「気合」とか「根性」とかばかりでした。最近でこそ教育などで「モチベーションを与える」などといわれるようになりましたが、私は30代の時にはすでにそういう社員教育を受けていましたので、この会社の雰囲気を変えるためにはモチベーションが必要で、そうすれば自然と力が出てくるだろうかと考えました。だって、もともとプロフェッショナルの集団なんですからね。

 

そこで私は、就任当日の朝礼でこのように申し上げました。

「この会社を、『いい会社に勤めてるね。』といわれる会社にしましょう。『いすみ鉄道に勤めてる』と胸を張って言えるような会社にしましょう。そのためには、この会社をブランド化する必要があります。」

 

その時の職場の印象を私は今でも覚えています。

皆、ポカ~ンとしていました。

「この人、何を言ってるんだろう?」って感じです。

 

そこで、登場するのがムーミン列車です。

「ムーミン列車を走らせましょう。」という計画をお話ししました。

 

そうしたらまた、ポカ~ン。

 

何しろ、ムーミンなんで20年以上も前の忘れ去られたキャラクターでしたからね。

何をいまさらムーミンなんだって感じだったのでしょう。

それでも、計画が進んで、なんとなくムーミン列車の全体像が見えてくると、だんだんと会社内の雰囲気も変わり始めました。

 

ムーミン列車を走らせたら、ムーミンファンのお客様がやってくるはずです。でも、その時に運転士が「俺には関係ない。」という態度だったらどうでしょうか。感じ悪いですよね。だから、私は、ムーミンキャラクターのカラーチャートを運転士全員に配って、どれが誰だかきちんと覚えてくるように伝えました。そして、出勤点呼の時に一つ一つキャラクターの絵を出して、名前を言わせて、きちんと覚えているか確認させました。

その時のいすみ鉄道の運転士さんたちは、皆50代後半から60代で、JRからの出向者。泣く子も黙る労働組合の幹部経験者も何人もいました。普通の人たちから見たら、強面(こわもて)の、ちょっと近寄りがたい人たちです。

そういう人たちが、「冗談じゃない、なんで俺たちがこんなものを覚えなきゃいけないんだ。」と言いつつ、渋々とそのムーミンキャラクターの一覧チャートを家に持って帰りました。

 

ところが、2~3日すると、なんとなく様子が変わり始めました。

朝、出勤してくると、中にはニコニコしている人もいます。

どうしたのか尋ねてみると、

「あのムーミンの絵を家に持って帰ったら、カーちゃんが、『あら、ムーミンだ』って言うんだよ。娘も『ああ、懐かしい。可愛い』ってね。カーちゃんも娘も、スナフキンとかミイとか、みんな知ってんだよ。」

とニコニコ顔なんです。

「で、覚えてきた?」って点呼の時、チャートを指さすと、「それはスナフキンだろ。こっちはスニフ。」とかきちんと答えます。

中には自分の体形を振り返って、「よし、俺はムーミン運転士だ。」とか言い出す人もいて、「そりゃ、お前、ムーミンがかわいそうだよ。」などと笑い声が広がるようになりました。

 

これは意外でしたね。家族が味方になってくれたんですから。

 

そして2009年10月1日に、いすみ鉄道のムーミン列車が走り始めたんです。

 

 

当時は稼働していた6両の車両にそれぞれのキャラクターのヘッドマークを取り付けて運行開始しました。

これが大人気となり、テレビなどでもたくさん取り上げられるようになりました。

すると、当然家族でも話題になって、「いすみ鉄道またテレビに出てたよ。」「お父さんの会社って、すごいね。」という話題になります。

乗務しているときも、ニコニコ顔のお客様が多くなりましたから、運転士だって仏頂面しているわけにはいきません。

観光客って不思議なんですが、皆さんニコニコしてやってきます。

そりゃそうですよね。だって、ムーミン列車に乗りに来たくてわざわざ遠くから来てくれているんですから。

つまり、好意的なお客様ばかりになるんです。

そうすると、会社の中の雰囲気も少しずつ変わり始めました。

沿線地域の皆さん方も、ムーミン列車がテレビにいろいろ取り上げられるにつれ、喜んでくれるようになりました。

なんとなく上昇スパイラルが始まったんですね。

 

どうです。可愛いでしょう。

こんな列車が走っていたら、お客様は皆さんキャーキャー言いますよね。

でもね、よく見てください。

実はいすみ鉄道のムーミン列車は、車体にシールを貼っただけなんです。

もちろん権利関係はクリアしていますが、駅や車内にムーミンなんていないんです。

それでも、大人気になるのはなぜか。

これは、世界観の提案なんです。

いすみ鉄道はお花畑の中を走る可愛い黄色い列車。

ムーミンのお話もお花畑の中で可愛いキャラクターたちが仲よく遊んでいる。

こういう世界観の提案。

つまり、「あなたには見えますか?」ってことなんです。

そして、来てくれるお客様にはみんな見えているんですね。

 

ローカル線のお客様って、自分で楽しめる方が多いんです。

いすみ鉄道の仕事は、安全、正確に列車を走らせるだけ。これは素材の提供です。

その列車に乗って、何が見えるかはお客様の仕事なんです。

自分で自分の楽しみを見つけられる人じゃないと、ローカル線のお客様にはなれないんです。

お客様ご自身で付加価値を付けられること。これがブランド化なんですね。

 

それと、ムーミンは女性向けキャラクターです。

ムーミンは当時は忘れ去られたキャラクターでしたが、子供のころムーミンを見て育った人たちは皆さん30代、40代になられていて、子育てをされていたり、可処分所得が多い方々が多くいらっしゃいます。観光のお客様になっていただくにはピッタリでしょう。

男はダメですから。なぜなら男はお金を持っていない。だから行動力も購買力もない。これ、常識ですから、お客様にするのであれば女性なんです。

 

私は、会社が集客のためにキャラクターを使うのであれば、ゆるきゃらは不向きだと考えています。

なぜなら、ゆるきゃらというのは、生んで育てるのに大変な手間と時間と労力がかかります。そして、なかなか知名度が上がりません。こういうのは地元の行政がじっくりと育て上げるためのもので、会社が集客のために使うものではありません。例えば大人気のチーバくんだって、千葉県の小中学生はみんな知っているけど、東京や神奈川へ行ったら、ほとんど誰も知りません。

こういう時は、やっぱりすでに浸透しているキャラクターでなければだめなんです。お金を払ってでも、その力を利用すること。ムーミンならば全国区ですから。

当時は地元にも今のようなおたっきーやいすみんといったゆるきゃらはありませんでしたしね。

当時から、アンパンマン列車や鬼太郎列車などありましたが、ムーミンなら相手を攻撃することもなく、みんな仲良しですから、千葉県のいすみ鉄道沿線の里山にぴったりだと思ったのです。

 

以上がムーミン列車誕生のいきさつですが、実はもう一つ余談がありまして、私のカミさんが昔からムーミンが好きで、原書を読むほどなんです。でもって、50を前に航空会社を辞めてしまったバカな亭主としては、ムーミン列車を走らせることがせめてもの罪滅ぼしになるんじゃないかなあ、と思っていたのであります。

 

ところで私は、ムーミン列車も来年で10年になりますから、もうそろそろ次へ行くのもよいのではないかと考えています。

その理由は、来年は埼玉県に大規模なムーミン谷ができますから。そして、その埼玉県のムーミン谷へ行くのは黄色い電車なんです。

大きな会社が、そういうことに気づいて、大々的にやるとすれば、忘れ去られたムーミンキャラクターが日の目を見ることですから、いすみ鉄道としての使命は終了してもよいのではないか。私はそのように考え始めていたのですが、まあ、それは私の次の経営者が判断することですから、あとはお任せしたいと思っています。