キハ通学

 昔、会社の同僚の女性からこんなことを言われたことがあります。
「うちの姉は高校に通っているときに、毎日汽車通学だったから、今日はD51の何番だったとか、家に帰ってくるとよく言ってました。」
彼女の家は筑豊本線の近くにあって、お姉さんが高校に入った時は、まだSLだったらしい。
彼女は私と同い年でしたから、お姉さんが数年上だとすると、蒸気機関車の引く列車で学校へ通っていた時代というのも理解できますね。でも、女子高生が毎日乗った機関車の番号を見ていたというのは、今思えば不思議なことのようですが、昭和40年代後半は世を挙げてのSLブームでしたから、そういう女子高生がいたのも理解できることなのです。
私は、その話を聞いて、昭和40年代に筑豊本線沿線で育った彼女ら姉妹を、とてもうらやましく思ったことを思い出します。
蒸気機関車の列車は昭和50年までは北海道や九州に残っていましたし、その前の年までは山陰や東北にも残っていましたから、汽車通学の経験がある最終組は現在57~8歳ぐらいになると思いますが、東京育ちで地下鉄が故郷の鉄道である私にとっては、実にうらやましい経験をされている人たちということになりますが、その私よりも下の年齢の方々には、蒸気機関車の次の世代の車両が懐かしい対象ということになります。
いすみ鉄道で国鉄形のキハを走らせるようになって、いらしていただくお客様の口から出るのは、
「ああ、なつかしい。」という言葉。
今日もレストラン列車に訪れた妙齢の女性が、入線してくるキハ52を見て、
「あら、昔八高線で乗ってた車両だ。」と驚いていました。
考えてみれば、キハというのは国鉄形ですから全国区なわけで、つまりは日本全国で活躍した車両ですから、北海道から九州まで、全国の皆様方がキハ52やキハ28を見ると「懐かしい」と思ってくれるわけです。
いすみ鉄道や大多喜に初めてやってきた人にとっても、「懐かしい」と思っていただけることは、これはすごいことなんだと私は思いますし、国鉄形というのは、観光資源としては実に有能な「役者」であると思います。

写真は大原駅に到着したいすみ鉄道の列車。
昨日今日と、平日の臨時運転で、試験のために早帰りの高校生の通学列車にキハ28+キハ52が入りました。
大多喜高校の生徒さんたちは、国鉄形ディーゼルカーで、汽車通学ならぬ「キハ通学」なのです。
40数年前に私がうらやましいと思った汽車通学が、時代を超えてここに残っているわけですから、全国の鉄道ファンの皆様、いすみ鉄道沿線の高校生をうらやましいと思いませんか。
通学時間帯にキハが入るのはめったにないことですから、彼らも改札口へ向かう途中で、先頭のキハ28にスマホのカメラを向けていましたが、その光景を見られたレストラン列車にご乗車いただいた女性たちが、「高校生が通学列車の写真を撮るなんて珍しくないですか。」と不思議そうな顔をしていたのが印象的でした。
自分たちが通学で乗ったいすみ鉄道の列車が「キハ」だったり、「ムーミン」だったりしたこと、いつまでも覚えてくれていると良いなあと思います。
ちなみに、この間どなたかに質問されましたのでおさらい。
キハとは?
キ:気動車。ディーゼルカーのこと。
ハ:イロハのハで昔の3等車という意味。
昭和40年代前半までの国鉄は3等制で、イ:1等車(貴賓車)、ロ:2等車(グリーン車)、ハ:3等車(普通車)に分けられていた時代の名残です。
つまりキハはディーゼルカーの普通車ということ。
ディーゼルカーのグリーン車は「キロ」になります。
おっと、そんなことより、高校生の皆様方は、一生懸命勉強して、立派な大人になってくださいね。