主婦の店 ダイエー その2

日本における流通革命の先頭を切って走ってきたのが、実はダイエーという会社で、私たちがオレンジジュースをがぶがぶ飲めるようになったのも、牛肉をおなかいっぱい食べられるようになったのも、安い家電製品が手に入るようになったのも、みんなダイエーの経営陣が頑張ってきてくれたおかげです。
そのダイエーの頑張りというのは、朝から夜まで一生懸命働いて頑張るのはもちろん、制度やシステムの改正や撤廃を求めて、国や大手家電メーカーと「戦争」してまで流通を改革してくれたからだというお話をしました。
そんなダイエーですが、消費者とは勝手なもので、自分たちの生活が向上すると、だんだん安い物に目が向かなくなります。あれだけダイエーが日本人の食卓や文化的生活に貢献してきたにもかかわらず、そのダイエーのおかげで生活が向上した消費者は「安売りの店」には行かなくなってきたんですね。
この変化が見られ始めたのが昭和60年代に入ってからで、これが時代とともに変わる消費者の嗜好の変化で、大きくなりすぎたダイエーはその変化についていくことができなかったのがダイエーが経営危機に陥り、今回消滅した原因だと言われています。
ダイエーはこの消費者のニーズの変化に対応することができずに、結果的に大きな赤字を抱え、バブル崩壊後に経営の立て直しを求められるようになりましたが、この経営立て直しに社長として2001年にダイエーに送り込まれたのが、当時の高木邦夫社長です。
送り込まれたというのは、実はその当時の高木さんはリクルートの専務で、経営破たんしたリクルートの立て直しを任されていたんですが、リクルートを10年で再建するという道筋をつけたところで、「では次はダイエーだ。」とダイエーの社長に就任されたんです。
高木社長が就任した当初、ダイエーの負債は2兆円超。1民間企業としては天文学的数字ですが、売上金額が相当ありましたので、借入金の金利はきちんと払っていかれる状況にありました。高木社長はこの営業実績をもとに、ダイエーもリクルート同様、10年で再建ができるというプランを組んで実行に移します。
ところが時はまさに小泉政権の金融再編時代。銀行そのものの存続が危ぶまれ、大手都銀と言えども生き残りをかけて統合していった時代です。国の政策もダイエーの再建という課題よりも、銀行に体力をつけることが優先されました。そのためにダイエーが抱える2兆円もの債務は、不良債権として処理されることになったのです。
確かに借入金の金額は大きなものでしたが、金利はきちんと支払っていましたから、これは不良債権ではなくて過重債務です。だから10年間で道筋をつけて、きちんと元本も返せるようになりますよと再建の道を歩み始めたダイエーの前途に、「お前の会社のことよりも銀行の存続の方が大事だ。」と、産業再生機構が立ちはだかったんです。
かくして政府主導の産業再生機構がダイエーの再建を引き受けることになり、高木社長の役割はここまでとなりました。これが2004年の話なんですね。
簡単に言えば、ダイエーは10年で返済しますというお約束で頑張って働いてお金を返していたのに、3年で全額返せというような、いわゆる「貸し剥がし」と同じようなことを政府から求められたのです。
高木社長はその時点で退陣し、産業再生機構がダイエーの再建の責任を持つことになったわけなんですが、あれから10年の歳月が経過し、今回ダイエーの看板そのものが消滅することになったのです。
こういう経緯を検証してみると、私は、この一連のダイエー消滅劇の原因は政府主導の産業再生機構にあるとみています。
その理由はリクルートの再生と再上場で、10数年前に破たんしたリクルートは見事に経営再建を果たし、この10月に再上場をすることができました。
高木社長がリクルート専務として、10年で経営再建ができ、将来的には再上場も可能である。その時の株価は3万円ぐらいになるだろうと10数年前に発言して、彼が作った通りの再建計画にのっとってリクルートは再建を進め、この10月に再上場したわけですが、同じ高木さんが社長として10年で再建できる道筋をつけたダイエーを、銀行の経営立て直しのために過重債務を不良債権と定義付けし、政府が産業再生機構を送り込んだことが、結果として今回ダイエーを消滅させたことになるからで、当時の高木社長が唱えた再建計画をきちんと実行していれば、ダイエーは消滅するどころか、今頃は再上場も視野に入っていたと思うのです。
なぜなら、同じ人が経営再建計画を作ったリクルートが見事に再上場を果たしているからで、政府としては対外的な政策もあって、銀行の再編を優先させて、ダイエーを切り捨てたのです。
その証拠に、当時のS銀行N頭取などは、今でものほほんと経済界に君臨しているわけで、こういう世の中を食い物にする人間たちが、「消費者に良い品を少しでも安く。」をスローガンに頑張ってきたダイエーを食い物にしたわけです。
日本の国ではマスコミは政府に都合が悪いようなことを報道しない傾向がありますし、唯一、政府に抵抗してきた朝日新聞が見事につぶされましたから、マスコミ各社は誰も怖くて冒険しなくなっているように見受けられます。
でも、私は、真実はきちんと伝えるべきだと思いますし、今回の11月9日の読売新聞の経済欄のコラムは、担当の経済記者さんが、オブラートに包んだ表現ながらも、この辺を訴えているように私には読めるわけです。
ところで、このリクルートとダイエーの再建に奮闘された高木邦夫社長さんですが、実は今、私は同じ佐倉市の町内に住んでおりまして、いろいろと親交を深めさせていただいております。
簡単に言えば、高木社長さんはいすみ鉄道の社長である私を支援してくれていて、いろいろと経営的なアドバイスをいただいているのです。
月に2~3回お会いして、一緒にお酒を飲みながら、この私の危なっかしい社長業をサポートしてくれているのですから、いすみ鉄道はリクルートが経営再建した方法を勉強し、ダイエーがダメになったのと同じ轍を踏まないようにという高木社長さんからのアドバイスで、大樹に頼らずに、煎餅、饅頭、もなかやカレーを売って、観光列車で外貨を稼ぎながら、細々とキャッシュフローをつないで、ゆっくりと再建を目指しているのです。
そう、10年後にはいすみ鉄道も上場しているかもしれませんよ。
そういう明るい希望をいすみ鉄道と一緒に持ち続け、「ローカル線を使って日本の国を地方から元気にしていきたい。」というお考えの皆様方は、どうぞいすみ鉄道社長に出資してみるのは如何でしょうか?
会社は第3セクターですからいろいろな縛りがありますが、社長個人であれば皆様と一緒にローカル線ビジネスで将来を具現化していくことが十分に可能ですから。
一緒に夢を見るのが、ローカル線の大切なところだと私は思います。
ちなみに、2000万円あればキハ30が車籍復活できます。
同じ2000万でいすみ鉄道居酒屋第1号店を都内に開店することもできます。
キハが走るローカル線を話題に、居酒屋で夜な夜な夢を語ることができます。
そうすれば、いすみ鉄道だけじゃなくて、他のローカル線だって、それぞれの地域を売りに出すことで新しい経営の柱ができると思います。
これがローカル線の夢なんですが、政府や行政では無理なんです。
だから私がやるんです。

地元佐倉の仲間たちです。
前列右から2人目の方が高木社長さんです。
政府や国に対していろいろ言いたいことはおありだと思いますが、高木さんは今は一切口に出すことはありません。
男ですねえ。
ダイエーと産業再生機構の戦いなどは私が調べた範囲の話で、高木さんは何もおっしゃらずに、その分、「佐倉をもっと良い町にしよう。」と地域の活動に専念されています。
この高木社長の生き方から、いすみ鉄道は多くのものを教えてもらっているのです。
かつてダイエーが「良い品をどんどん安くお届けする主婦の店」として世の中を変えていったように、私は「ローカル線を上手に使えば必ず日本は地方から元気になる。」をスローガンに、日本の田舎を元気にしようと日夜活動しているのです。
決して多くを語らず、男の背中を見せて私を育ててくれている高木社長さんに感謝、感謝の毎日です。
(おわり)