今日は都内へ行きました。
大正大学の先生から地方創生の講義を1本頼まれていました。



都内の割には落ち着いた雰囲気の良いキャンパスです。


場所は西巣鴨。
そう、私のふるさとです。
王子にガールフレンドがいましたので、この辺りはよく覚えております。
でも、当時はラッタッタ(原付バイク)に乗ってましたので、三田線の電車で西巣鴨に降り立った記憶がありません。
1回か2回はあるでしょうけど、何しろ50年も前のことですから。
王子のガールフレンド、今頃どうしてるかな?
時が経つといろいろと思い出すことがありますが、私はガールフレンドのことは思い出しませんのでご安心ください。
その後、子供を5人も産んで育ててくれて、今では毎日猫のトイレの世話をするおばあさんですから。
さて、思い出すと言えば年をとるといろいろと昔のことが頭に浮かんできます。
しかも突然に。
都営三田線は私が小学校2年生の頃に開通したのですが、板橋の不動通りにある観明寺というお寺の保育園に通っていた時は中山道には都電が走っていました。
その都電が廃止されて地下鉄工事が始まったのですが、2年生の冬には地下鉄が走りだしましたから、かなりの突貫工事だったと思います。
地下鉄工事中は巣鴨までバスに乗って出かけていましたが、西巣鴨の交差点のちょうど地下鉄の出入り口付近のところに「西巣鴨」のバス停がありました。
でも、地下鉄工事が始まるとバス停が移動になりまして、西巣鴨の交差点の手前になったんです。
で、バス停の名前も変わりました。
どう変わったかというと、「臨時西巣鴨」。
バス停って移動させると名前を変えなければいけないのでしょうかね。
小学生のガキにはよく理解できなかったんですが、臨時ということばを知ったのはこの時でした。
結局、このバス停は地下鉄ができるまでは「臨時西巣鴨」だったと思いますが、そんなことをふと思い出すのですから不思議ですね。
脳みそのどこかに隠れている記憶が他にもたくさんあるのかもしれません。
その頃は千葉へ行く列車は両国駅から出ていて、私は学校が休みになるとキハの急行に乗って勝浦のおばあちゃんのところへ遊びに行ってました。

勝浦のおばあちゃんは明治の人でしたが、東京へ嫁に来て渋谷に住んでいました。
大正の終わりから昭和の初めの頃の話ですが、戦争が激しくなってくると子供たちを連れて自分の実家に疎開したようです。
おじいちゃんという人に私は会ったことがありませんが、多分東京で空襲にあってなくなったのだと思います。
そんなお婆ちゃんでしたから、汽車が煙を吐いて走っていた時代にも朝食はいつもパンとコーヒーでした。
私が遊びに来る時には「あきら、木村屋の木の葉パンと三日月パンを買ってきてくれないか。」といつも言っていて、親父が「これ、おばあちゃんに渡してくれ」と言って、急行に乗る時に両国駅で木村屋の袋を渡されました。
私は小学校低学年の頃から一人で急行列車に乗って旅をする子供だったのです。
家に着いておばあちゃんにパンを渡すとお婆ちゃんは嬉しそうで、木の葉パンか三日月パンだかをコーヒーに浸してニコニコしながら食べていました。
その木の葉パンというのが、いったいどういうパンだったか私は記憶にないのですが、三日月パンって今でいうクロワッサンのことですから、私のおばあちゃんは結構ハイカラな人だったんだなあと今になって思います。
しばらくして東京にダンキンドーナツというドーナツ屋さんができて、行列ができるほどにぎわっていましたが、そのドーナツを食べているときにアメリカ人の英語の先生に「ダンキンドーナツの意味わかるか?」と聞かれて、「さて?」。
すると先生は、私たちの目の前でドーナツをコーヒーカップの中にドブン。
コーヒーがしたたり落ちるドーナツを「こうするとおいしんだよ。」と言いながら食べました。
ダンキン、つまりDUNKIN。
コーヒーに浸して食べるのがアメリカ流だと聞きました。
その後、イギリスで女の子が「こうやって食べるとおいしいのよ。」と言ってビスケットを紅茶に浸してビチャビチャにして食べるのを教えてもらいましたが、そう考えると、やっぱりお婆ちゃんは当時としてはかなりハイカラな人だったことになりますね。
西巣鴨のバス停の話から両国発の急行列車の話になって、おばあちゃんの朝食のパンへと、記憶がずるずると引き出されてきたのが本日の午後のことでして、それではということで帰りに木村屋さんに立ち寄ってパンを買いました。
そうすると当然ではありますがコーヒーもセットで欲しくなって、新幹線のホームでコーヒーも調達。


何だか私にはよく理解できないのですが、自動販売機には「こだま」「ひかり」「のぞみ」の各ブレンドがありまして、静岡へ帰るのですから当然ではありますが「こだまブレンド」のボタンを押したのであります。



でもって、ちょうど小腹が空いた時間帯だったので、電車の中で木村屋のパンをいただきました。
他の地域のことはよくわかりませんが、私の時代は東京では木村屋のパンが一番おいしいと言われていました。
昔ながらのジャムパンでしたが、やっぱりおいしかったですよ。
コーヒーにはダンキンしませんでしたけど。
そうそう、そういう食べ方をすると昔は行儀が悪いと言って怒られたのですが、おばあちゃんは歯がなくて硬いものが食べられないからという言い訳をしてましたっけ。
イギリス人の女の子もビスケットを紅茶に浸けて食べた時にお母さんに「そんな食べ方しないのよ。」と怒られていましたから、行儀が悪いのは共通だったかもしれません。きっと、だからおいしいんでしょうね。
そんなことを思い出した本日の東京詣ででした。


ところで、今日の新幹線ですが、行きも帰りも新富士でこの電車とすれ違いました。
走行中すれ違っても気付かないでしょうけど、行きも帰りも同じところで停車中に出会うなんて、ドクターイエローに出会うのと同じぐらいラッキーだと思いませんか。
まぁ、どうでもよい事なんですが、小さな幸せを見つけられるかどうかが幸せになれる秘訣ですからね。
本日お世話になりました大正大学の皆様、ありがとうございました。
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