主婦の店 ダイエー

11月9日付の読売新聞の経済欄に「消えるダイエーと天ぷら」というコラムが載っていました。
ダイエーの名前がついに消えることになったことに対する総括の意味があるのだろうと興味深く読ませていただきました。
私は子供のころから商売に興味があって、商売の勉強をする中で、ダイエーはどうしてもはずせない大きな存在でした。
それは会社の規模という点ではなく、会社の姿勢というかポリシーというか、「世の中をよい方向に変えて行きたい。」という使命感をずっと感じていたからです。
以前にも書きましたが、商売というのは仕入れてきた金額に利ザヤを乗せてお客様に売ることです。
世の中には自分のところだけがもうかればよいというような商売をやっている会社がたくさんあります。
それは、何も小売業だけではなくて、大きなところでは銀行だってそういうところがたくさんあります。
そんな世の中にあって、少しでも「世の中をよい方向に変えていきたい。」というポリシーを貫いてきたのがダイエーだったのです。
私がダイエーと聞いてすぐに思い出すのは、牛肉です。
私が生まれ育った昭和30年代から40年代にかけて、牛肉は高級品でした。
特に関東では肉と言えば豚肉が当たり前で、当時の肉屋さんでは牛肉など置いていないところも多くありました。
そんな時にダイエーの創業者の中内功さんは、「日本人に牛肉をたっぷり食べさせてあげたい。」という目標を立てて、外国から牛肉を安く仕入れるにはどうしたらよいかを探ります。すると、輸入障壁にぶつかります。つまり政府が牛肉に高い関税をかけて、できるだけ日本に牛肉を輸入させないようにしていたのです。
当時アメリカを視察したダイエーの経営陣は、アメリカでは子供たちがオレンジジュースをがぶがぶ飲んでいる姿を目にします。もちろん果汁100パーセントのオレンジジュースです。
私と同年代の皆様方はご記憶されていると思いますが、子供のころ、果汁100パーセントのオレンジジュースなんて身近にありませんでした。ジュースと言えば合成着色料と合成甘味料でできた袋に入った粉ジュースが当たり前で、スプーンですくってコップに入れて水で溶いて飲むのがジュースでした。
だから、飲み終わった後は舌ベロが赤くなって、みんなでそれを見せ合って「おいしかったね。」と言っていたんです。
そんな時代にアメリカでは子供たちがオレンジジュースをがぶがぶ飲んでいる。
「日本の子供たちにも本物のジュースをがぶがぶ飲ませてあげたいなあ。」とダイエーの経営陣は考えましたが、そこにはやはり政府が設定した貿易障壁が立ちはだかります。
つまり、牛肉もオレンジも、国内産業保護のために、日本への輸入が大きく制限されていたんですね。
ダイエーという会社は、「こういうことでは国内は良くならない。」という考えで政府と長年にわたる戦いを行います。そして勝ち取ったのが「牛肉・オレンジ自由化」で、1991年のことでした。
今、スーパーで安く手に入ることが当たり前で、誰もありがたみなど感じなくなっている牛肉やオレンジジュースは、ダイエーのおかげで日本の食卓に上るようになったのです。
もう一つ、ダイエーが世の中の道筋をつけたものがあります。それが家電量販店です。
当時の家電製品は、大手では販売が難しい流通経路がありました。東芝もパナソニック(松下)も日立も、それぞれのメーカーに加盟する町の電気屋さんが窓口になって、自社の製品を地域に販売するのが家電の流通でした。
そこで、ダイエーは一括で大量に仕入れて大量販売できればもっと安い値段で商品を仕入れることができると考えたのです。
そして、ダイエーのお店で白物家電をはじめとした家電製品の安売りを開始します。
これに対して家電メーカーが猛反発。自分たちの利益が確保できなくなるばかりでなく、系列の町の電気屋さんの存亡に係わります。
松下などは家電製品の見えないところに隠し番号を付けて製品を出荷することも行いました。そしてダイエーの店頭で自社商品を購入して、裏返して隠し番号を調べ、どこの問屋がダイエーに商品を卸したかを突き止めて、その問屋を出入り禁止にするようなことも行いました。
当時の家電メーカーが消費者のことなどまるで考えていない商売をしていたかが、今考えるとよくわかります。
ダイエーの「良い品をどんどん安く消費者へ」というポリシーが、経営の神様と言われたあの松下幸之助との戦いになったわけで、これが約30年間続いた「ダイエー松下戦争」と言われるものです。
この間にダイエーはいわゆるプライベートブランドというのを立ち上げ、ウーロン茶からカラーテレビに至るまで、自社ブランド商品として安く供給するシステムを立ち上げました。
牛肉もオレンジジュースも家電の量販もプライベートブランドも、今では当たり前のことで、誰も何も感じなくなっていると思いますが、すべてダイエーが先陣を切って開拓してきた分野で、今を時めくIY社などは、その後の歩きやすくなった道を歩いてきたにすぎないと私は思うのです。
私は、今でもスーパーマーケットへ行って冷蔵庫にオレンジジュースが100円ぐらいの値段でたくさん売られていて、我が家の子供たちはオレンジジュースをがぶがぶ飲んで大きくなりましたし、高級牛ではありませんが、牛肉を思う存分食べさせてあげられる時代になったことに、ダイエーという会社がどれだけ社会に貢献してきたかが良くわかるのです。
すでに時代が変わり、40代以下の皆様方にはダイエーという会社が果たしてきた役割をご存じない方も多くいらっしゃると思いますので、本日は今では当たり前になっている日本の制度やシステムは実はダイエーが作り出したものが多くあるというお話をさせていただきました。
(つづく)

11月9日付の読売新聞のコラム