ときどき航空業界の話題 その2

青い翼の会社がYS11の時代に、「国際線を目標に」というスローガンを立てて、社員みんなで頑張っていた時代があって、その時代には、応援したい会社ナンバー1の存在でした。
YS11の会社が国際線を目標にするといってもピンと来ないかもしれませんが、単行気動車のいすみ鉄道が、新幹線の運行を目指しているというぐらいの、当時としては無謀とも思えることだったんですね。
その時代、赤い翼は上流階級のようなおっとりした会社で、青い翼は前述のように「赤い翼に追いつけ追い越せ」で、野武士のような存在だったんですが、日本の空にはもう1社、虹色の翼という会社があったんです。
この会社がローカル線専門の会社で、YS11やDC9といった60~120人ぐらいの飛行機で、日本全国のローカル空港を飛んでいたんです。
この虹色の翼も実は意外にのんびりした会社で、例えば1980年代に幹線に就航するためにワイドボディー機を導入しようと、フランスのエアバス社からA300という飛行機を購入したんですね。
このA300という飛行機は約300人乗りの大型機で、操縦室の設計が2種類あって、1つは最新型のコンピューターを駆使して2人で操縦できるタイプ。もう1つは今まで通りにフライトエンジニア(航空機関士)を乗せて3人で飛ぶタイプで、当時の2エンジン機の主流はフライトエンジニアを乗せないコンピューター制御の2人乗務だったにもかかわらず、「今いるフライトエンジニアの仕事を確保するため」という名目で、わざわざ3人クルーの機体を発注したりしてたんです。
パイロットが3人か2人かということは、経営的にとても大きなことで、当時の労組との関係がどうだったかという問題はあるにせよ、わざわざ3人クルーの機体を発注するような会社ですから、やがて会社そのものが立ちいかなくなって、最終的には赤い翼に吸収合併されてしまったんですね。
ところが、虹色の翼と、赤い翼の2つの会社は給料や労働条件が全く違っていて、その2つの会社が1つになるときに、赤い翼の当時の経営幹部は、自分たちの労働条件を低い方の虹色の翼に合わせるのではなく、逆に低い方の虹色の翼の労働条件を高い方の赤い翼に合わせたものですから、それが会社にとっての大きな負担となって、10年あまりで赤い翼そのものが立ちいかなくなってしまったというわけなんです。
もっとも、もともと国策会社であった赤い翼は、昔からある種の方々に食い物にされてきた経緯がありますから、いくら内部で努力しても、そんなことではどうにもならないところまで行ってしまっていたわけで、最終的にはそういうある種食い物にされてきた縁を断ち切るために「いったん清算しましょう。」となったのだと思います。
会社が大きな負債を抱えて、社員のみなさんがどんなに努力して、たとえ飛行機を全便満席にしても立ち直れないところまで行ってしまったということは、かわいそうなのは社員たちということなんですが、世間一般から見ると、航空会社の社員というのはさぞかし優遇されておいしい思いをしているんだろうなあという目で見られていますから、(思い込みというか幻想なんですがね)、いざ会社が傾いて、助けてくださいといっても、世間の人たちは誰も助けてくれないわけで、結局、税金を投入して再建することになったのは、皆様方のご存じのところです。
では、税金を投入したことが、本当に私たちのプラスになっていないのかどうかというと、その投入した税金で会社を再建して、黒字となった今、投入した税金はどうなったかということは誰も言いませんし、私は大きな利子がついているかもしれないし、それだけでも国民にプラスになっているんじゃないかと勘繰りたくなりますが、赤い翼としてはそれなりの貢献をしているんじゃないかと思うのです。
飛行機だってまだまだ使えるジャンボジェットを早々に売り払い、A300だってまだ10年そこそこの機体を含めて、おそらく二束三文の金額で全機売却。その代わりにB737やB787など、すべて新造の機体にいつの間にか入れ替えてしまいましたから、もしかしたら、誰かに食い物にされるという構造はいまだに変わってないのかもしれません。
詳細につきましては山崎豊子さんの本を読んでいただくとして、私は、日本の航空会社が、真の意味で世界をリードする会社になってもらいたいと思いますし、そういう意味では、青い翼はまだまだ勉強しなければならないところが多いんじゃないかなあと思うのであります。
「調子に乗るなよ。」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、その反骨精神で「追いつけ追い越せ」時代の青い翼を思い出していただきたいですね。

虹色の翼のA300 (2005年帯広空港)
赤い翼に吸収されてからも初期型はこの虹色の翼で2006年まで飛び続けました。

震災直前の羽田空港にて。
この後、すぐにA300は日本の空から引退しました。
一番よく乗った機体かもしれません。
今頃はイランの空で飛んでいるようです。
まあ、こうやって赤い翼の応援をしている私なんですが、このところの会社の態度やサービスの内容、切符の売り方などを見ていると、過去の経緯を知らなくても「調子に乗るなよ。」と言いたくなる気持ちは理解できないでもありません。
上級会員のカードをもらっても、空港のラウンジを含め、あまりありがたみを感じるサービスを受けることはできませんから、最近では乗る度にいろいろ会社を変えて、それぞれの会社のサービスを再研究しているんです。
さて、最後になりますが、昨今言われているパイロット不足の解決策に自衛隊からパイロットを供給していただくという話。
私はどうも賛成できません。
というのも、事実として、昭和40年代の日本の航空会社の連続墜落事故の多くは自衛隊出身のパイロットが引き起こしているという事実があります。
自衛隊は軍隊ですから、軍の飛行機の操縦が染みついている人たちが民間機に乗って大丈夫なのかということは、お隣の国を見ても同じことが言えるのですが、私は自衛隊のパイロットが悪いと一概に決めつけているわけではありません。
そういうことではなくて、この自衛隊から融通してもらうパイロットは、一般に「自衛隊割愛組」と呼ばれていて、つまり、自衛隊から割愛されて民間航空に来ているのです。
割愛というのは、「もったいないんだけれど、仕方ないから手放します。」ということで、惜しまれながら自衛隊を辞めて民間へ来ることなんでしょうが、実際問題として、どんな組織でも、自分のところに必要な人材は手放したりしませんから、自衛隊からのパイロットは、その程度だということで、そういう人たちが、民間航空機の機長として総合的な判断を求められるオペレーションシステムのマネジメントになれるかどうかという点で、大変な疑問を持つからです。
(今の飛行機はただ飛ばせばよいというものではなくて、取り巻く状況を瞬時に判断して運航を行うマネジメントスキルが大切なんですね。)
いずれにしても、これからの時代のヒントは過去の歴史の中にあることも一つの事実ですので、航空業界の皆様方は、過去の歴史を振り返りつつ、将来に向かって進んでいく決断をしていただきたいと思います。
赤い翼の会社が「調子に乗るなよ。」と言われなくなって、
青い翼の会社が応援したくなる会社になってくれることを願っています。
(おわり)