ちゃっかり根性

座席指定というのは、その指定席を持ったお客様が必ず席に座ることができますよという制度ですから、指定席を持ったお客様がいなければ、誰が座っても構わないんじゃないか思ったのは、実は台湾国鉄を利用していた時なんです。
台湾では、基本的に優等列車は全車指定で、でも、指定席が売切れた場合は「無座」と表示された切符を発売します。
特急や、急行には自由席車両が付いていませんので、この「無座」券は日本でいうところの立席特急券にあたります。
でも、その「無座」のお客さんは、車内に入るとどこでも空いている席に座ります。
停車駅が来て、指定券を持ったお客さんが乗り込んできますが、自分の席に誰かが座っているのを見つけると、「もしもし」と声をかけて、席を代わってもらいます。
「無座」のお客さんは、「やあ、すみません。」と言って立ち上がって、今度は他の空いている席に座ります。
そうやって、ある意味ジプシーのように車内を移動しながら、自分の下車駅に着いてしまえば結果として座っていくことができますし、満席になってしまえば、その時点で通路やデッキで立って行くことになります。


[:up:] 台湾国鉄の乗車券と特急列車「自強号」の車内。
新幹線と並行する在来線でも特急を走らせていて、それがかなりの乗車率です。
新幹線開業後の在来線だって、もともとの需要があるということですね。
私は台湾でこの制度を見た時に、とても合理的な制度だと思いました。
中国人は基本的に合理的な人種ですから、杓子定規な日本人から比べると、トラブルも少なく、空いていれば「どーぞどーぞ」ということなんです。
座席指定で、例えば東京から新大阪まで切符を買おうとすると、「満席です。」といわれることがあります。
でも列車に乗ってみると実際には空席があります。
どうしてだろうと思っていると、名古屋からお客様が乗ってくる。
つまり、名古屋―新大阪間が売れてしまっているから、東京―新大阪間も売れないということなわけで、だったら名古屋までは座っていくことができるということです。
実際に、名古屋からお客様がご乗車になる座席でも、東京から名古屋までのお客様には販売するわけですから、私としてはもう少し合理的に考えて、名古屋まで座って行ってもよいと思いますし、名古屋からは名古屋で降りて空席になった別の席に移動して座れば、結果としてもう少し効率が良い運用ができると思うのです。
なぜかと言うと、私の実際の経験ですが、航空会社では20年以上も前からそういうことをやっていて、昔は、成田からアンカレッジ経由ロンドン行などという便がありまして、東京からロンドンへ行くお客様と、アンカレッジまでのお客様。そしてアンカレッジから乗ってきてロンドンまで行くお客様の3種類のお客様がいて、どうしたら効率よく多くの座席を販売できるかということを毎日考えていました。
どういうことかというと、1つの座席であっても、アンカレッジまでのお客様とアンカレッジからのお客様をうまく調整すれば1つの座席を2人のお客様に販売することができるわけで、東京からロンドンまでのお客様を合わせると2つの座席を3人に販売することができますから、半分が売れなくなるということは無くなるのです。
新幹線の場合はどうなっているかわかりませんが、東京から名古屋までのお客様の座席を名古屋から新大阪までのお客様に提供すれば、東京から新大阪までのお客様に1つ別の座席を販売することができます。つまり飛行機と同じように2つの座席を3人に発売することができますから合理的なんですが、鉄道会社と航空会社が根本的に違うのは、チェックインというシステムが航空会社にあることで、とりあえず総人数で座席分を販売しておいて、空港で調整するのがチェックイン。最初から座席を確定して販売するのが鉄道会社ですから、発車直前に虫食い状態になっている座席を調整してさらに別のお客様に販売することが、鉄道会社ではできないんですね。
そういう経験から私はいすみ鉄道の座席指定を柔軟に考えて、「指定席であっても空席であればお座りいただいても構いませんよ。」としているのです。
ところが、そういう好意的な制度であるがゆえに、その制度のすきまを見つけて、「どうせ空席だろうから。」と最初から指定席券を買わないで指定席に座ろうとたくらむ「ちゃっかり組」が必ず現れます。
日本人は杓子定規に考える人が多いですから、そういう人を見ると一言言いたくなる人もいるでしょうし、そうすると、「きちんとするべきだ。」とか、「指定席を買う人がいなくなる。」などという意見をまことしやかに言う人も出てきます。
鉄道会社は、そういうもっともらしい意見を相手にするのも疲れますから、会社としても杓子定規に規定を設けて、お客様を従わせる方がはるかに簡単で、柔軟な運用ができない原因となるような考え方が正当化されがちですが、そういう考え方が、この国がすべてにおいて袋小路に入り込んでしまった所以であると私は考えますから、いすみ鉄道の座席指定は、あえて世の中に柔軟さを問いかけているのです。
でも、そういう「ちゃっかり組」はどこの世界にもいるわけで、人間がある程度の数集まれば、利口な人間と阿呆がある一定の割合で存在するように、必ず存在する「ちゃっかり組」を根絶すること自体が無理なのです。
いすみ鉄道の経営が苦しいのを十分承知していながら、たかだか300円の座席指定料金を惜しんで、それでも指定席に座ろうと考えるような人間を根絶することを目指す気は私にはありませんし、そういう人間は人生をトータルに考えた場合、必ず損をするようになっているということをできるだけ早い時点で気づくことが必要ですから、「誰か来るかもしれない。」という不安感と300円とを比較して、「得した」と思っていることが実は大きな間違いであると知ることも、いすみ鉄道の役割りなんじゃないかなあと思うわけです。
私がなぜこんなことを言うかというと、私たちが子供のころは走行中でも汽車のドアが開く車両がふつうでしたから、国鉄ではさんざんただ乗りをしたんです。
運賃をただ乗りするだけでなく、上野から大宮まで特急に特急券なしでただ乗りするなど、昭和40年代からさんざんやってきた私は、ある時、ハッと気が付いて、その日を境に、ピタッとそういうことをしなくなったのです。そして、やらなくなってみて解ったのですが、そういう小銭をケチっているような人間は、一生小銭で頭を悩ませるようなスケールの人生になるということなんですね。
だから長い人生をトータルで見たら、そういう人は大きな損をしているわけで、若い人はできるだけ早くそのことに気づいた方が良いし、いすみ鉄道で300円の指定席を買おうかケチろうか考えることで、その人がそれに気づけば、いすみ鉄道としては、輸送以外にも大きな役割があるんじゃないかと思うのです。
人生、いろいろなところで「気づき」がいかに大切であるかということも、できるだけ早い段階で知っていた方が、その人のためには良いわけですが、可愛そうなことに、気付かないまま人生を過ごしてきて、いい年になってもそういうことを平気でやっている人もいるわけで、若い人たちはそういうおじさんやおばさん達を見て、「ああはなりたくないな。」というのも人生勉強なのです。そして、それがローカル線で見られるということは、やっぱり、ローカル線というのは世の中の縮図なんだということだと思います。
若い皆さん、世の中そういうものですから、皆さん、それぞれの人生、迷うことなく頑張ってくださいね。