何が来るかなあ。

2月16日の運転を最後にキハ52はお休みをいただいて塗り替え作業を行っています。
実の所、私はここ数日大多喜へ行っていませんので、明日、3月1日の観光急行列車は新塗装のキハ52が走るのか、それとも今週もまた先週同様にいすみ200型の3両編成なのか知らないんです。
むかしむかしの話で恐縮ですが、今から40年も前に山陰本線の線路の脇でカメラを構えて待っていた時のことです。
D51が貨物列車を引いてやってくるはずだったのですが、遠くの駅を発車する汽笛は「ピョー」。
あれあれ? と思っているうちにカーブの向こうから現われたのはオレンジ色のDF50だったんです。
「えっ? なんだよ。」と思いながら、私はフィルムが無駄だと思ってシャッターを切らなかったんですが、今思うと、何ともったいないことをしたのでしょう。
でも、D51より、DF50の方がはるかに貴重になるとはその時は知る由もありませんでしたからね。
その山陰本線に行くためにやっとGETしたのが寝台特急「彗星」。
本当は東京発の「あさかぜ」に乗りたかったんだけど、とてもじゃないけど寝台券が手に入らない。
「彗星」の寝台券が取れたので新大阪まで新幹線で行って、そこから乗り換えて下関に向かいました。
そのころの寝台特急は特急専用機EF65の500番台が颯爽と列車の先頭に立っていて、中学生の私の憧れだったんですが、新大阪駅で待つ私の前に現れたのは、EF65ではなくてEF58でした。
寝台特急といえばEF65であるべきなのに、私が乗る列車の牽引機はよりによって年季が入ったEF58。
EF58は当時、急行列車や普通列車、そして時には貨物の先頭にも立っていましたから、EF58が先頭に立つ姿を見た途端、これから自分が乗る「彗星」がくすんで見えました。
まして、東京発の寝台特急は食堂車を連結した豪華編成だというのに、大阪からの「彗星」には食堂車などなく、編成の半分に「あかつき」が連結されていましたからヘッドマークもナシ。
だから写真なんかありません。
これから出かける山陰本線のために、EF58にシャッターを切る余裕はありませんでした。
こちらも今思うと何とももったいない話ですね。
それからしばらくしたある日、室蘭本線の苫小牧駅で室蘭発岩見沢行の225列車に乗ろうと待っていました。
この列車はご記憶の方もあると思いますが、博物館入りしたC57135が最後に引いた現役蒸気機関車最終旅客列車で、その前からずっとC57の仕業だったのですが、その時やってきたのはお目当てのC57ではなくて、当時でもゴロゴロしていたD51だったんです。
中学3年生の時でしたが、これにもガッカリしました。
この年には国鉄の線路の上から蒸気機関車が消えると言われていた時で、記念列車とかではなく、時刻表に載っている定期列車としての蒸気機関車に乗るのはこの列車が最後になる。両国から出るC57の引く列車に何度も乗っていた私は、自分が最後に乗る蒸気機関車の引く列車を急客機であるC57で飾りたかったんですが、結局、私にとっての国鉄最後の現役蒸機列車は貨物機のD51になってしまいました。

[:up:] その時の写真がコレ。昭和50年4月、追分駅で。
私たちの時代にはインターネットなどありませんから、SLダイヤ情報(今の鉄道ダイヤ情報の前身の雑誌)の最新版を片手に撮影に行くものの、運用の変更などでちょくちょく使用する車両が変わるものだから、ガッカリすることもあれば、時には「やった! ラッキー!」と思うようなこともあって、まあ、今思えば、良い思い出になっているのです。
というわけで、皆様にも同じ体験をしていただこうという意図があるわけではありませんが、明日の観光急行列車は何がやってくるか。
いすみ200なのか、それともタラコ色のキハ52か。
沿線でカメラを構える皆さんも、ご乗車される皆さんも、どうぞお楽しみにということで、ご期待ください。
私も明日の朝、会社へ行くのが楽しみです。
明日のキハの運行に関する会社への問い合わせは業務に支障を来たしますのでご遠慮ください。