南の島に来ています。

千葉県では房総半島の南部にも雪が降ったようですね。
NHKのニュースでやっていました。
インターネットがつながらないところへ行きますので「しばらくお休みします。」と書きましたが、今の時代、どこへ行ってもインターネットが通じないところを探すのが難しいようで、南海の孤島に来ても皆さんのFACEBOOKを見ることができて、リアルタイムで千葉県の地元の状況を見ることができます。
インターネットが通じないところと思って飛行機を乗り継いで半日かけてきましたが、きちんと通じるのですから、すこしがっかりとでも言いますか、でも、今の世の中、こういうものだと思います。
私たちの世代は、物心ついたころは一部の家を除いて電話がありませんでした。
だから、電話のある家に電話を借りに行くなんてことは普通でしたし、呼び出し電話なんていうのもありました。
電話があっても、市外通話を直接かけることができなくて、長距離電話をかけるときは電話交換手がいる交換台に通話を申し込んで、しばらくたってから通じるのですから、のんびりしていたと思います。
それでも、手紙で3日かかるところが、数分待てば相手が出るのですから、画期的だったのだと思います。
自分の親の世代の人たちが、「便利になったわねえ。」と驚いていたのを思い出します。
だから、近年急速に発展したインターネットや、それを使ったFACEBOOKなんていうシステムができてくると、子供のころ夢にまで見たような道具が実用化されているのですから、わくわくしますし、何とか使いこなそうと努力するのです。
そういうおじさんの世代は、今の若い人から見たら化石みたいなもので、いずれ、今の中学生が大人になるころには、世の大人たちにもインターネットなんて当たり前で、世界中の出来事が瞬時にわかることなど驚きに値しない時代が来るのでしょうが、私にしてみたら、飛行機を乗り継いでやってきたコンビニもないような南の島でも、インターネットが通じて、ビーチで日光浴をしていながら、「千葉は雪だって。」なんて話をしていることが、普通に受け入れられるものではなくて、頭では解ってはいるのですが、少し不思議な感じがするわけです。
さて、私がなぜ年に数回、こうしてはるばる南の島までやってくるのかというと、観光として非日常、脱日常の体験をするのはもちろんですが、観光の仕事をするうえで、自分がお客様になってみる必要が大きいと考えるからです。
そして、どうせお客様になるのならば、ありふれた観光地に行くよりも、あまり人がいかないような、少なくても観光地としてポピュラーでないところや、観光地でもシーズンオフのところへ出かけていく方が、いろいろ気づくことが多いものですから、どうしても飛行機を乗り継ぐようなところが旅の選択先となるのです。
ということで、今、私は、すごーくローカルな南の島にいます。
一番に気が付いのですが、この島の人たちは、皆さん幸せそうな顔をしていますよ。
東京の基準で考えたら、こんな島、無くても困らないし、要らないんです。
でも、わざわざ飛行機を乗り継いで何時間もかけて来てみようと思う、そんな魅力がある島なんですね。
ここは日本ではありませんが、わずかでも日本を離れて、そこから日本を見てみると、いろいろなことを考えるものです。
それが、非日常、脱日常の大切な部分なんだと私は思いますし、別にパスポートを持って家を出なくても、日帰りのショートトリップだって、ふだんの自分の生活や行動を振り返ることができるから、私はふらりと旅に出ることの大切さを感じるのです。

こういう飛行機に乗って、フワリと飛び上がって海を越えて島に渡ります。


ふつうの人はこういう飛行機は不安に思うでしょうが、私はこういう飛行機に乗ると安心します。
なぜなら、機長が突然意識を失っても、自分で操縦して目的地まで飛んで、着陸させることができるからです。
なーんちゃって。([:back:]これも化石か)