さよなら 時さん

いすみ鉄道の中心的人物で、いろいろな方面で活躍してくれた君塚時雄さんが先週末に亡くなりました。
今日はその葬儀が行われました。
君塚時雄さん、通称「時さん」は、私がいすみ鉄道に入った時からいろいろと相談に乗ってくれて、アドバイスをくれたり、力を貸してくれたり、私が子供のころの思い出の総武本線の蒸気機関車の話をしてくれたりと、年の離れた兄貴のような存在でした。
2010年3月に定年になった後も嘱託社員として残ってくれましたが、そのころから闘病生活が始まり、会社に出勤することができなくなってしまいました。
皆に迷惑をかけるから退職したい、と申し出られましたが、私が絶対に辞めてもらっては困る。早く治って皆と一緒に働いて欲しいから残ってくれとお願いして、定年された後も会社に在籍をしてもらっていました。
今、いすみ鉄道の最若手で、キハ52の運転も務める影山運転士、麻生運転士の育ての親でもあり、いすみ鉄道職員の陰の心の支えだった時さん。
もう会えないのかと思うと、もう佐倉機関区の蒸気機関車の話をしてもらえないのかと思うと寂しいです。
今日の葬儀は大多喜の法輪閣という葬儀場で行われました。
いすみ鉄道の線路の横です。
葬儀の最中、出棺の直前に恋塚運転士が乗務する14D列車が葬儀場のわきを通り過ぎる時、大きな汽笛を一声して時さんに別れを告げました。
葬儀場を出た時さんを乗せた車列が火葬場へ行く途中、大多喜駅前を一回り。
勤務していた職員が駅舎から出て整列し、時さんを見送りました。
時さんの相方として永年勤めてきた運輸課長の磯野さんが車庫の中から時さんに向かって列車の汽笛を長く吹きました。
いすみ鉄道は赤字ばかり垂れ流す地元のお荷物だ! といわれていた時代からみんなが家族のように助け合ってがんばってきた会社です。
私は、いすみ鉄道に来ることができて本当に良かったと思います。
時さん、ありがとう。おつかれさまでした。
さようなら時さん。
これからも私たちを見守っていてください。
2009年12月11日に私が時さんを紹介したブログです。