ゲテモノ趣味の友人

先日、高校の同級生の渡辺君が訪ねてきてくれた話をしました。
渡辺君も実は鉄道が好きで、「乗り鉄」として高校生のころからいろいろなところへ出かけていたようですが、私は50過ぎて初めて彼が「鉄分が多い男」だと知りました。
私たちが高校生だった35年ほど前の時代は、自分が鉄道ファンであることは、あまり人に知られたくないヒミツのようなものでした。
最近でこそ、女性の鉄道ファンも増えてきているようですが、当時、「鉄道が好き」などというと、まず女にもてないから、みんな知らん顔をしていたのです。
そんな時代に、高校2年になったときのクラス替えで、後に日本テレビに入った高瀬君と同じクラスで席が隣になりました。昭和52年のことです。
私は小学生のころから鉄道好きを公表していましたし、当時も時刻表が愛読書でしたから、毎日時刻表片手に学校へ行ってましたので、そんな私の姿を見て、高瀬君が「今度はどこへ行くの?」と声をかけてきたのでした。
私はちょうど北海道旅行を計画していたので、その話をすると、「今度、うちに遊びに来いよ。」と高瀬君が言うので、家も近いこともあって、さっそく椎名町の高瀬君の家にラッタッタに乗って出かけました。
家について部屋に入ると、彼の部屋というか、家じゅうが鉄臭いのに驚きました。
そしてそれはどうやら彼のお父さんの鉄分だったのです。
彼は、当時まだ珍しかった親子鉄で、私は理解ある父親がいる彼をうらやましいと思いました。
ふと部屋の壁を見ると、額に入った写真は尾小屋鉄道です。
彼の口から飛び出してくる言葉は、「尾小屋」から始まって、「東金の九十九里」 「下津井」 「井笠」 「沼尻」 そして 「別府(べふ)」。
熱が入ってくると 「浜中町営」 や 「西大寺の単端(たんたん)」 などという言葉が飛び出します。
それを聞いて私は「さてはこいつ、相当のゲテモノ趣味だなあ」と思いました。
彼の口から出た言葉はほとんどがナローで、私は当時、1067にしか興味がありませんでしたから、ロングシート車でも座ったら前の座席のお客と膝がぶつかるような軽便(けいべん)のマッチ箱などはどうも食指が働かなかったのですが、当時40~50代だった昭和一けた生まれ以前の大人たちは、その頃まだ各地で走っていたこういったナローゲージのゲテモノ趣味の人が多く、彼もきっとお父さんの影響を受けていたのだと思います。
当時の私は宇都宮のEF57が大好物で、上野を11時過ぎに出る一ノ関行や、16時の福島行普通列車の旧型客車によく乗りましたが、少数世帯のEF57の中でも、兄弟機のEF56に良く似た57のファーストナンバーが先頭についていると上機嫌になったものです。
(これでも十分にゲテモノですかね・・・)
ところが、ゲテモノ趣味の人から言わせると、私のように本線の客車列車や長編成の気動車急行などの嗜好は「お子ちゃま」だというのですから、少々ムッと来ることもありましたが、年齢を重ねた今では、何となくゲテモノ趣味が理解できるようになってきましたので、自分でも不思議な感じがします。
まあ、当時から東上線に乗るときは8000じゃなくて、わざわざ7800が来るのを待って乗ったりしてましたから、皆様にも何となくお解りいただけるとは思いますが。
そんな高瀬君のホームページがこの「T’s GALLALY」
昭和40年代から50年代にかけての懐かしい写真が一杯ですから、皆様どうぞご覧になってみてください。
おい高瀬! リンク切れているところがあるぞ。
たまには更新しろよな。

[:up:] ゲテモノ趣味と言っても当時の私はせいぜいこのレベルでした。 1976年 成増。
[:down:] こちらは最近見かけた十鉄ゲテモノ編成。こういうのって良いですよね。

本日は難解な日本語が並ぶお見苦しい文章で失礼いたしました。
完璧にご理解いただけた方は、ゲテモノ趣味入門資格所持者です。