北京訪問 その3

わずか2泊。それも月曜日の午後に到着して水曜日の朝には北京を発ってしまうという正味1日半の滞在で、いろいろな皆様と会合を持たせていただきましたが、やっぱりせっかく北京へ来たのだからと、観たいところへは行ってきました。
私が北京へ来たのは今回で3回目。
前回は2006年か2007年ですから北京オリンピックの前。
町には自転車があふれていましたが、今では自転車などほとんど走っていません。
北京の人たちは2008年のオリンピックの前のことを、「昔は・・・」というようですが、とにかく急速に変わっていく中で、あれれ? と思ったのがトロリーバスでした。
到着した初日に、江利さんに「せっかく北京へ来たんだから」と故宮博物館へ連れて行ってもらったのですが、博物館はササっと30分ほどで通り過ぎて、出口で見つけたトロリーバスにくぎ付けになりました。
日本では、トロリーバスは法律上「電車」に分類されていて、「無軌条電車」と言われていますが、今では黒部第4ダムへ行くトンネル内を走るものしかありません。
私が子供の頃には池袋から浅草寿町を通って亀戸へ、そして江戸川の今井までのかなり長い区間を緑色した都営のトロリーバスが走っていましたが、交通渋滞が激しくなってくると、都電よりも早くなくなりましたし、横浜でも昭和46年ごろには市電と共にトロリーバスが廃止されてしまったので、思い出だけが残っている状態だったのですが、久しぶりに見たトロリーバスに目が釘付けになったわけです。

[:up:] 北京のトロリーバス。比較的新しい車両ばかりでした。

[:up:] 連接車両のトロリーバスも来ました。この1枚の写真だけで4台のトロリーバスが写っています。それだけたくさん走っているということです。

[:up:] 子どもの頃、「よく外れないなあ」と思ったポール。池袋六つ又の先、道路が貨物線と交差する踏切部分では、ポールをはずして補助動力で渡っていたのを記憶していますが、北京でもそういうところがあるそうです。

[:up:] 停留所では架線から大きく離れて道路の端に寄りますが、ポールは横に伸びて斜めになっています。この光景を都営のトロリーバスで見ていましたが、50を過ぎて再度見られるとは感激です。
翌日は鉄道博物館へ連れて行ってもらいました。
鉄道博物館の存在は前回来た時から知ってはいましたが、言葉がわからないので行きようがなかったので、今回は日本航空北京支店の方に連れて行ってもらったのです。



蒸気機関車から最新型の新幹線まで編成で展示されているとてもスケールが大きな博物館です。
新幹線にはCHINA STARの文字が。
確かに「中華の星」ですね。

中国の鉄道は標準軌のため在来線も車両が大きく1両25メートル級。
重量も70トン近くあるようです。
こういう表記を見ると、戦前の日本が当初の建設を行った名残ということがわかると思います。


いやあ、いましたね。満鉄の生き残りが。
公務車として編成を組んで展示してあって、中には毛沢東、周恩来の執務室が当時のまま保存展示されています。
当時の政府要人はモスクワあたりまで列車で旅をしていたことがわかりますね。

最後に見つけたのがコレ。
私が、「あっ、日本の機関車だ。」と叫ぶと、同行してくれたJALの中国人スタッフが解説書を読んで、「その通りです。社長さんよくわかりましたね。」と驚かれていました。
だって一目見れば解るでしょう。紛れもなくキューロクです。
彼に解説書を読んでもらうと、ベトナム国境の鉄道だけは日本と同じ狭軌だそうで、そこで使われていたとの事。
マスコミでは「中国人は日本が嫌いだ」とばかり言っていますが、日本時代の物もきちんと保存してあるのですから、まんざらでもないと思います。
ちなみに、国が右肩上がりでイケイケの時代に陰りが見えてきた中国では、今になって少しずつ歴史を見直そう、古いものを見直そうという動きが出て来ているようで、北京でも古い街並みを再現する工事も行われているようです。
日本の博物館のように営業熱心ではありませんが、こういうものを保存して後世に伝えようとしているところを見ると、なかなかこれからが楽しみな国といえるかもしれませんね。
(北京出張報告 あと1回、つづく)