お盆は田舎が忙しい。

東京生まれ、東京育ちの私にとって、お盆の期間は町中が静かになって、電車もすいているし、車も少ない過ごしやすい時期というように考えていました。
でも、いすみ鉄道で仕事をするようになると、お盆は都会からみんな帰ってくるし、花火大会や盆踊りなど行事もいろいろあるから、忙しい時期だということがわかりました。
道路は渋滞するし、人は多くなる。
考えてみれば東京から人や車がいなくなるのですから、その分、田舎がにぎやかになるのはわかりそうなものですが、実際に自分が体験してみて初めて実感しました。
地元のスーパーマーケットも渋滞ができるほど混雑するし、売っている商品もいつもと違うわけです。
例えば、お総菜コーナーではパーティーセットやオードブルセットなどを売っているし、鮮魚コーナーではサザエやアワビなど、ふだん売っていないものがドーンと売られています。
お寿司もお刺身も、みんな大きな盛り合わせで、つまり、都会から帰省してきた人たちと大家族になって一緒に食べる高級食材と盛り合わせセットが売り場の中で幅を利かせています。
まるでお正月と同じ感じです。
私など、ここ一週間、大原で独り身ですから、夕ご飯のおかずを買いに行っても、ドーンと並べられたパーティーセットばかりで買うものがない。
仕方がないから冷凍食品やカップラーメンが夕ご飯になる始末です。
さて、私は昭和40年代に少年時代を過ごしました。
当時、私の住んでいた板橋にはお不動様の縁日があって、多分何百年も続いていたのでしょう。1日、15日、28日に商店街に出店が出て、夕方になると子供たちが楽しそうに集まって、その日だけは夜更かしをしても怒られなかったことを記憶しています。
夏休みは勝浦のおばあちゃん家に両国からキハ28の急行「そと房」に乗って出かけます。
汽車はいつも混んでいて、浜辺はいつも海水浴客で満員状態でした。
そんな私ですが、昭和50年代に入ると、それまで楽しみにしていた縁日も勝浦のおばあちゃん家も、なんだか子供じみているようで、「そんなところ、もう行かないよ。」と見向きもしなくなりました。
そして気づいたら大人になっていて、気づいたらお不動様の縁日も房総の浜辺も誰も行かなくなっていたのです。
そういう状況を見ると、自分の世代が何百年も続いてきた縁日を終わりにして、自分の世代が海水浴に行かなくなって、房総の海から海水浴客が消えたような気がするのです。
そして、今、いすみ鉄道で働いていて、ちょうどお盆で田舎がにぎわっているのを見て、「人が戻ってきてよかったなあ。」と思うわけです。
縁日がなくなったのも房総の海から海水浴客が消えたのも、別に自分が悪いわけではありませんが、ちょうど自分が子供だった昭和40年代が、日本が大きく変わる節目であり、毎日変化が大きかったことが、結果としてそう感じるわけです。
今日、田舎では家族で提灯を持ってお墓へ行く人をたくさん見かけました。
送り火ですね。
東京生まれの東京育ちは50を過ぎてもそんなことも知らないのですが、灯篭流しの翌朝、早起きして浜へ行って、打ち上げられている前夜の灯篭の破片を拾い集めて、風呂焚きの薪にする手伝いは散々させられた記憶があります。
きっと、その時、房総東線ではC57が煙を吐いて走っていたんだろうなあ。
今夜はなんとなくそんなことを考えます。
親父もおじさんもおばあちゃんも、みんな向こうへ行ってしまったのが、なんとなく寂しいですね。
今ならもっといろいろ話ができるのに、と思う今夜です。
来てるんだろうな、そこに。