観光地の運命

この春、北海道の新型特急「ラベンダーエクスプレス」が登場しました。
その初列車に乗せていただいて富良野へ行きました。

私の目的は新型特急に乗るだけなんですが、せっかく来たのだからと友人たちにバスに乗せられて観光地巡りをすることになりました。

観光地といっても連れていかれたのはドラマ「北の国から」の撮影地巡りです。

布部駅から始まって、麓郷への道、「ここで○○の撮影が行われた。」「ここで純と○○ちゃんが出会った。」「ここが○○木材の事務所」「ここがUFOを見た場所。」「ここが五郎が最初に建てた家」「これが風力発電」「ここが拾ってきたもので建てた家」などなど、撮影に使われたものが今でもきちんと残っていて、「へえ~、」「へえ~」の連続でした。

でも、私は「へえ~」とは思ったものの、それ以上の感動はありません。
なぜなら、私は「北の国から」というドラマは見たことがなかったからです。

「え~っ」と思われるかもしれませんが、私はあまりテレビを見ない。
特にドラマは百恵ちゃんの「赤いシリーズ」でなんとなく作りがわかってしまったので、20歳過ぎてからはほとんど見ていないのでして、だから、「ふぞろい」とか「カンチ~!」とか「ヨン様」とか言われても、ドラマのことだとはわかりますが、シーンが浮かんでこないのであります。(原作は読んでいるものはいくつもありますけど。)

そんな私ですが、せっかく友人たちが富良野を案内してくれたわけで、皆さんあのドラマのシーンを今でも覚えているようで、もともと好奇心が強く思い立ったらすぐに行動するタイプですから、そういうドラマであれば見てみなければならないと、帰りのラベンダーエクスプレスの中でネット検索して、DVD全巻セットを見つけ、列車の中でポチッとして、その一週間後にDVD全巻セットが届いたのであります。

これが5月の話。
そして、それから5か月近くかかって、先日やっとその全巻セットを見終わったのであります。

考えてみれば私は以前に富良野市からお仕事をいただいて、当時の能登市長さんとも懇親を深める機会がありましたが、当然ドラマの話になりまして、「ドラマの撮影地が観光地になるということを最初に証明したのが富良野ですね。」などと分かったようなことを申し上げて、「ふんふん」と市長さんとお話しさせていただいた時には、このドラマを見ていなかったのですから、何とも失礼な話でありまして、恐ろしいことでありました。


▲2016年11月 能登前富良野市長さんと市長室で。
後ろには倉本聰さんの肖像画が。

ということで、ドラマの内容はともかくとして思ったのは「観光地には寿命がある」ということです。

ドラマも今から40年前の1981年に始まって、最後が2002年ですから、終わってからかれこれ20年が経過しています。
終わってからそれだけの歳月が流れているということは、今の日本で最初からこのドラマを見ている人たちは皆さん50代以上で、2002年の最後の回を初めて見た人でも30代以上になっているというのが現実なのです。

そう思ってこの春に富良野へ行った時に見た光景を思い出すと、若い人たちの姿が見えない。皆さん40代、50代、あるいは60代以上の方々が、口々に「あぁ、ここですね。」「あのシーン、覚えてます。」などと言ってるだけで、若い人にとって見たら思い出でも何でもなく、「へえ~」だけなんですよね。

そして、まさしくこの私が、若くはありませんがドラマを見ていないので、「へえ~」以上の感動がない。せっかくの聖地を訪れたにもかかわらず、「ふ~ん、だからどうなの?」って感じでしたから、熱心な友人たちには大変失礼ながら、つまりはそんなもんなのです。

そう考えると、小樽にあった裕次郎記念館もいつの間にか廃止になっているし、そういうものがもしかしたらどんどん消えているのかもしれません。
あの裕次郎だって、亡くなられてから30年以上が経過すれば忘れ去られるのですから、観光地も然り。
しっかりと継続していく仕組みを作らなければ、富良野といえどもあと10年もすれば、誰も懐かしく思わなくなるのだと、私は確信したのであります。

ロケ誘致がツーリズムになると全国各地でそんなキャンペーンをしているようですが、大河ドラマ然り。
せっかくの努力が実ってドラマの誘致に成功したとしても、その後よほどきっちり計画的に観光戦略を組んでいかなければ、意外と早く忘れ去られることになるのです。

あの、「北の国から」でさえ、そうなのですから。

ところでこの私ですが、全巻見終わって、初めて見たにもかかわらず、実に懐かしい気持ちになりました。

出てくる列車も時代ごとに変わって来るし、「ああ、こうだったなあ。」などと自分の人生を振り返って重ねてみたわけでありまして、もう一度じっくりと富良野に滞在して撮影地を歩いてみたいなあと思う次第でありまして、こういう感情を抱くというのもツーリズムだとすれば、今からでも、若い人たちが間に合うのではないか。いろいろな戦略が立てられるのではないかと考えるのであります。

第2のふるさとを見つけた気分なのであります。