年を取ると不思議なもので、変なことを変な瞬間に思い出すことがあります。
昨日の昼飯に何を食べたのか思い出せないくせに、50年も前のことを思い出すから、まぁ、自分の頭の中のことではありますが、おもしろいなあと思います。
京浜急行と都営浅草線の接続駅泉岳寺。
ここに降り立って、「ああ、そうだ。」と思い出しました。
1970年代の話で恐縮ですが、まだ電車の冷房が珍しかったころの話です。
鉄道ファンの皆様方に伝えるとすると、山手線の103系電車が10両編成のうち、クハ・モハ・モハの前3両と、モハ・モハ・クハの後ろ3両の6両だけが冷房化されて、真ん中の4両が非冷房だったころの話と言えば、大体いつ頃のことかお分かりいただけると思います。
その当時は地上の電車はともかく、地下鉄は冷房できないと言われていました。
その理由は屋根上の冷房機器からの排熱でトンネル内の温度が上昇するから。
丸ノ内線と銀座線は第3軌条方式なので屋根上にパンタグラフが無いため、トンネル内の天井が低く、冷房装置を車体に取り付けることができない。
ではどうしていたのかというと、トンネル内の柱と柱の間に冷房装置を取り付けて、トンネル全体を涼しくしていました。
一番利用者が多かったこの2路線はこうして涼しくしていたのですが、屋根上のパンタグラフから集電する区間では、冷房機器からの排熱があるから地下鉄は冷房化できないとされていました。
でも、当時はぼちぼち私鉄各線は冷房化が進んできていました。
京浜急行の特急電車は都営浅草線に乗り入れています。
看板である特急や快特に使用する車両は早くから冷房化されていて、当然、冷房をガンガン使って横浜の方から品川駅に到着します。
でも、地下鉄線内では冷房を使ってはいけないルールになっていましたので、京浜急行の車掌さんは品川を出ると冷房のスイッチを切るわけです。
そして泉岳寺に到着。
都営の乗務員と交代します。
「異常なしです。」
「はい、異常なし了解です。」
そう言って京浜急行の車掌から列車を引き継いだ都営の車掌さん。
ピ~ッ!
笛を吹いてドアを閉める。
電車は発車します。
そして、駅のホームを出たところで、お兄さん車掌は冷房のスイッチをON!
ブ~ン!
屋根上の冷房機を作動させます。
地下鉄線内は冷房の使用禁止。
そんなこたぁ、知ったこっちゃない!
都営の5000系電車には冷房が無く、乗り継ぎで京浜急行の電車が入って来て、その電車に冷房がついていれば、ラッキー!ってなもんで、そりゃ使いたくなるでしょう。
お客も自分も暑くてたまらないんですから。
当時の電車では冷房は最高のサービスだったのです。
「都営の兄ちゃんが、勝手に冷房のスイッチ入れるんだよね。」
当時のお役人さんたちが、いつだったかの会合で言ってました。
そりゃそうだよ。
せっかくの冷房なんだから。
で、どうなったかというと、トンネル内や駅の温度が本当に上昇するなんてことはなかったみたい。
だって、電車がピストンのように空気を押し出していくんですから。
で、いつの間にか地下鉄線内でもちゃんと冷房を使ってよいという話になりました。

当時の時代背景としては労働組合運動真っ盛りの頃でして、関東の場合は私鉄の職員はきちんと教育されてたけど(東武と京成は除く)、特に国鉄をはじめ、公営交通にはそういう人が多かったように記憶しています。
どうしてわかったかというと、私鉄の職員の皆様方は髪の毛をきちんと7-3に分けていたけど、国鉄や公営交通の人たちはパンチだったり茶髪だったり。そして帽子を斜にかぶってるから、高校生の目でも、「あぁ、そういうことね。」とわかったのです。
だから京浜急行の車掌さんは品川を出たところできちんと冷房のスイッチを切って引き継ぐけど、受けた都営の兄ちゃんは迷わずスイッチオン!
今だったらコンプライアンスとかガバナンスとか、いろいろ言われるんでしょうけどね。
「お前は何をやってるんだ。」
と乗務指導も受けるかもしれません。
でも、当時はそういう世の中でしたから、規則なんか糞くらえ。せっかく冷房があるのに何で使わないんだ。となったのです。
結果として「地下鉄線内で冷房使っても別に問題ないじゃないですか。」となって、今の地下鉄の冷房があるのです。
そう考えると、今は皆さんお利巧さんな時代になってしまいましたので、たぶんそこからは何もブレイクスルーするものが無いから、これから時代が壁にぶつかったらどうするんだろうなあ。
こういうところで国力が落ちていくんだろうなあ。
と、まあ、泉岳寺でそんなことを考えたのであります。
そうか、あそこは四十七士でしたね。
世の中は変わっていくでしょうけど、外圧でもない限り、昔のように劇的に変わることはないのかなあ。
今日、泉岳寺でそんなことを考えたのでありました。
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