今日は5月1日、May Day(メーデー)です。
最近ではあまり話題にもならなくなりましたが、May Dayは労働者のお祭りの日。
私が子供の頃は、公立学校の先生たちは組合に加盟している人が多くて、5月1日は皆さんメーデーの集会に出かけていたことを思い出します。
労働者といえば、労働組合が団体交渉に入るのが4月の頭ですが、会社側との交渉がうまく行かずに長引くと、だいたい4月の下旬ごろまでストライキをやったりしていました。
最近では有名になっているようですが、私が撮影した「当局マイッタカ」は昭和47年の天皇誕生日(今の昭和の日)、4月29日に青梅線の奥多摩駅で撮影したカットです。
ダウンロードして勝手に使っている人も多く居るようで、中には模型化している人もいるみたいですが、小学校6年生の私が撮影したものです。(NFTでもするか)
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だから、ほら、2枚あるでしょ。
横と縦。
当時はネオパンssというフィルムの20枚撮りをカメラに入れて出かけましたので、1日20枚しか撮影できませんでしたが、「このペイント車両は将来きっと話題になるに違いない」と思って2枚もシャッターを切りました。
今思うと恐るべき小6ですね。
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同じフィルムには奥多摩駅のED16型電気機関車と101系の特別快速が写っています。
特別快速「おくたま」は土休日に運転されていた青梅線直通の行楽列車で、当時の奥多摩は東京から直通する臨時電車が運転されるほどの賑わいで、大変電車が混んでいたことを記憶しています。
この時はタケドンと私が呼んでいた近所の高校生のお兄さんが「おい、鳥塚。青梅線に行くけどお前も行くか?」と言って連れて行ってくれました。
タケドンは面倒見がよくて、私をいろいろなところに連れて行ってくれたり、写真の撮り方を教えてくれました。
今、観光急行が走り始めて、小中学生がカメラを持ってやってきて、高校生や大学生のお兄さんたちと仲良くなって鉄道談義をしているのを見ると、半世紀前の私を思い出します。
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ここは川井の鉄橋だったかな?
最初に奥多摩まで行って、鳩ノ巣、川合、沢井、軍畑と戻りながら電車の写真を撮りました。
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来る電車、来る電車、こんな感じでビラが貼ってあったり落書きしてあったりで落胆するばかりでしたが、「後になったらこの時代の記録としてきっと価値が出る」と自分に言い聞かせてメゲずにシャッターを押し続けたのです。
やはり、恐るべき小6だな。
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一駅二駅間ぐらいは山間の小道を歩いたと思います。
どこの鉄橋かは忘れましたが、やってきた電車には「72 沖縄○○春闘勝利」(○○は意味不明)と書かれています。
1972年、昭和47年は沖縄返還の年。
5月でしたから返還直前だったのですね。
「おい、鳥塚。あの電車撮れ!」
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やってきた電車を見てタケドンが叫びました。
それが軍畑(いくさばた)駅で撮ったこの写真です。
タケドンは駅前広場から鉄橋を渡って来る電車を望遠レンズで撮っていたのですが、先頭車がクハ55なのを見て、すっ飛んでやってきて私に「撮れ!」と指示しました。
当時、青梅線でも珍しい存在になっていたクハ55ですね。
他の列車が20m4扉車なのに、このクハ55は20m3扉です。
このカットで私の20枚はほとんど終わってしまいましたので、このクハ55が奥多摩へ行って戻ってくる列車で帰路につきましたが、夕方になってきて行楽客の帰りでものすごく混んでいたことを思い出しました。
「メーデー」と言えばもう一つ。
航空機の遭難信号がメーデーです。
5月1日の労働者のお祭りは「May Day」ですが、航空機の遭難信号は「Mayday」。
これを「Mayday Mayday Mayday」と3回繰り返して無線で発信します。
緊急事態に陥って一刻を争うようなときには、パイロットはこのメーデーコールを発信します。
こういう無線通信はあまり聞きたくはありませんし、もちろん言いたくもありませんが、昔覚えさせられましたので、今でも覚えているのです。
もちろん言ったことはありませんが。
ということで、5月1日はメーデー。
高田の町中で誰かがシュプレヒコールを上げているのが聞こえましたので、「そうか、きょうはメーデーか」と思ったら、なぜか青梅線の記憶につながりました。
今から52年前の1972年のゴールデンウィークのお話でした。
そして今、直江津の車庫の中では、この時代の電車を再現する作業が行われているのです。
20m3扉。
小6の夢よ再び。
(撮影 神谷武志氏)
※お知らせ
5月3~4日に神奈川県海老名のロマンスカーミュージアムで開催予定でしたトキ鉄の物販イベントは、担当者急病のため中止となりました。
楽しみにしていた皆様方には申し訳ございませんが、何卒ご了承ください。
ロマンスカーミュージアムでの展示は行っておりますで、ぜひご覧ください。
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