祝 沖縄返還50年

ニュース等によると今日は沖縄が日本に返還されてから50年の日だそうです。

1972年5月、私は小学校6年生でしたから、佐藤総理大臣が万歳していることとか、沖縄が日本になったとニュースで大騒ぎしていたこととか、学校の先生が「アメリカがやっと沖縄を返してくれた。」と教室で言っていたことをはっきりと覚えています。

でも、自分にとって沖縄というところはまったく無縁で、例えばビーチリゾートなどという言葉もありませんでしたから、いったいどういうところか想像もできませんでした。

まぁ、11歳のガキには無理からぬことで、第一、沖縄には鉄道がないと言われていましたから興味もわかなかったのですが、唯一、沖縄に関した記憶とすれば、同級生の上原君の田舎が沖縄で、今度の夏休みにお父さん、お母さんと一緒に沖縄へ帰るんだという話をしていたことぐらいでしょうか。

ある時、多分今日、返還の日のことだと思いますが、先生から指名された上原君は朝の学活の時間にみんなの前に出て、田舎が沖縄で、お父さんが沖縄出身で、親戚が沖縄に居るというような話を、ちょっと照れながら話してくれたことを覚えていますが、あれが50年前ということになります。

上原君はその夏休みに沖縄へ帰っていて、私は9月になって学校が始まると待ってましたとばかりに上原君に沖縄の話をしてくれと聞きました。
でも、私が興味があったのは、沖縄とはどういうところかという話ではなくて、東京から沖縄までどうやって行ったのかということで、上原君が言うには東京駅から鹿児島まで汽車で行って、鹿児島から船で沖縄へ行ったということと、鹿児島までの汽車は寝台特急じゃなくて座席だったということ。

上原君から聞いた話はそれ以外は全く覚えていないのですが、彼は鉄道に興味がなく何という列車に乗って行ったかはまったく記憶にない。でも、座席の汽車で鹿児島へ行くということは東京駅を10時ちょうどに出る「桜島」に違いないし、その「桜島」が鹿児島に着くのが翌日の午後。そしてすぐに船に乗り継いだとしても鹿児島から沖縄まで船でほぼ24時間かかるから、月曜日の朝に東京を出たとしても沖縄に着くのは水曜日の夜になるという、沖縄というところは実に遠い所だったということが、私の50年前の沖縄の印象なのです。

ちなみに上原君はとても運動神経がよくて、走らせてもサッカーをやらせてもマット運動でもいつもカッコイイ少年でしたが、今思えば、音楽やスポーツで沖縄というところは優秀な人材を輩出するところというのがこの国では常識になっていますが、上原君を見ていてもそうだったということになりますね。

ちなみに私は音楽と運動は全くダメ。
つまり、上原君をうらやましいと思っていたのであります。
(だから覚えているんだろうね。)


これが昭和1972年ゴールデンウィークの私。
11歳だから半ズボン。
東京の子供は小学生のうちは半ズボンというのが定番でした。もちろん冬でも。

当時の私は千駄ヶ谷の塾へ通っていて、カバンにカメラを偲ばせて出かけていました。


下板橋から東上線に乗って行くか


板橋区役所前から都営三田線(当時は都営6号線)で行くか。
高島平から巣鴨止まりだった三田線がちょうどこの年、私の12歳の誕生日に日比谷まで延伸したのであります。(行先表示が懐かしい日比谷行)


千駄ヶ谷ではこの年の7月に電化でなくなるキハの急行「そと房」を撮影。


錦糸町に回るとすでに快速電車の試運転が始まっていました。
ピカピカの113系です。

1972年のこの年、ゴールデンウィークに私は青梅線へ出かけていて、その時撮ったのが時々出しますこの写真。

ストが解決するかどうか、ぎりぎりの攻防だったと思いますが、何とか電車が走ってくれたので青梅線のチョコレート電車を撮りに行ったのですが、落書きだらけでがっかりしました。


都内から直通する特別快速「おくたま」は101系。
石灰輸送の貨物列車を引く電気機関車ED16もペンキで汚れていまして、がっかりです。


電車に「72沖縄・・・」と書かれているのがわかると思います。


これは鳩ノ巣駅だったかな。
運転席に3人乗っているのがわかると思いますが、私がカメラを構えていると、運転室のおじさんは皆下を向いてしまいました。

11歳、半ズボン姿の小学生の前で堂々とすることができず、下を向いてしまう大人たちを見て私は「ダメだな、こいつら。」と思いました。

偉そうに闘争だ何だと言っていても、子供の前で堂々とできないやつらはダメ人間です。
これが半ズボン少年の世の中の見方だったのであります。


この時の唯一の収穫がコレ。
軍畑で(いくさばた)で見たクハ55。
4扉の72・73系電車の中にあって、この3扉車のクハ55は独特の雰囲気の車両でした。

先頭にこれが付いてきて「お~ぉ」。
ということで、この電車が奥多摩へ行って折り返してくるのを待って立川まで乗って帰ってきました。

これが今から50年前、1972年のちょうど今頃、初夏の私の思い出。
皆さんほとんど生まれてもいませんよね。(笑)
ジジイになったなあ。


私は沖縄の離島が大好きで年に何度も出かけてましたが、ここ数年行けてないなあ。

落ち着いたら行くかな。

沖縄の皆さん、本土復帰50周年、おめでとうございます。
(おめでたいかどうかはどうかわかりませんが、日本に返還されたということは少なくともよかったことだし、その後50年間日本のままでいるということも良かったと、私は思います。)