私はトキめき鉄道の若手社員に「社長と若手社員との意見交換会」というのを月に一度開催しています。
基本的にはプロパー社員であれば年齢問わず、誰が出ても構いません。
議事録も取りませんから、何を言っても構いません。
社員の皆様方が考えていることや疑問に思っていることを話していただいて、私が答えられることであれば答えますし、組織や仕事のやり方の変更が必要であれば議題として持ち帰って検討したり、あるいは職場でチームを作って改善する。
そういう目的で、まぁ、簡単に言えば「社長はこんなことを考えている」ということを知っていただきたいし、社員の皆様方がどんなことを考えているのかを知りたいのです。
意見交換会は約1時間半。
開始と同時に、「さぁ、皆さん、何か意見はありますか?」と私が問いかけても意見など出てくることはありませんので、毎回テーマを選んで私の方からお話をさせていただいて、そのお話について疑問点や意見を言っていただく中で、いろいろ言いたいことが出てくるのではないかと思っています。
ということで、前回1月末に開催した時にお話ししたこと。
それは「商売の原則について」でした。
私は東京生まれですが、家があまり裕福ではなくて、どちらかというと貧乏な方でしたので、小学生のころからお金を稼いでいました。
写真も撮りたいし電車にも乗りたい。そのためには自分の小遣いぐらい自分で稼がなければと思っていたので、小学校5年生ぐらいから親戚の家でアルバイトをしていました。
親戚の家は世田谷の真中(まなか)というところで寿司屋をやっていて、「世田谷のおばさんのうちへ行く」と言えば板橋から合法的に(親に内緒ではないという意味)電車に乗れるので、週末になると出かけていました。
渋谷の駅で山手線を降りて、東急バスに乗り換えます。
今でも覚えていますが、渋谷11系統、三宿、三軒茶屋、駒沢公園、自由が丘駅前を経由して田園調布駅へ行くバスですが、当時246を走っていた玉電はすでになく、今の田園都市線(開業当時は新玉川線)はできる前でした。
親戚のうちは寿司屋と魚屋を一緒にやっていて、今こそそういうお店はたくさんありますが、今から半世紀以上前で寿司屋と魚屋を一緒にやっている、つまり「魚屋が魚河岸から直接仕入れた魚で寿司を握っている」という寿司屋は当時はほとんどなくて、伯父さんという人はずいぶん商売に長けていたんだなあと、今でも思い起こしますが、私の主な仕事はお寿司の配達と、空になった寿司桶の回収でした。
当時の世田谷というところはお屋敷町で、近くに福田総理大臣の家や俳優の宝田明さんの家などがあり、皆さん寿司屋のお客様でした。
あるとき、宝田明さんの家からお寿司の注文がありまして、おばさんが「亮、配達してきなさい。」というものですから、自転車に乗って、片手でハンドル、片手で風呂敷に包んだお寿司という出で立ちでお寿司を配達してきました。
帰ってきて集金してきたお金をおばさんに渡すと、
「宝田明さん、いたかい?」
と聞かれましたので、
「いや、いませんでした。」
と答えました。
「じゃあ、お前は誰にお寿司を渡してきたんだい?」
おばさんのその問いに、私は、
「庭でステテコはいて水まきしてたおじさんがいたから、その人に渡してきた。」
そう答えると、おばさんは大笑いをして、
「やだねえ、この子は。その人が宝田明さんだよ。」
今思えば大スターがステテコ姿で水まきをしていて、何も知らないガキがお寿司を配達していたのですから、のんびりとした時代でしたね。
さて、ある時、いつものようにお寿司を持って自転車で配達に行きました。
向かったのは永田さんという大きなお屋敷です。
勝手口から入って、「お待ちどうさま。」と声をかけると、中からその家の奥様が出てきました。
お寿司を渡して、お金を受け取った私は、「ありがとうございました。」と大きな声で言いました。
親戚のおばさんから、「大きな声で、ありがとうございましたって言うんだよ。」と、そう教わっていましたから、言われた通り「ありがとうございました。」と言ったのです。
すると、その永田さんの奥様が、私に向かって、
「こちらこそありがとうございます。」
と言うのです。
私は不思議でした。
なぜなら商品を届けてお金をもらうんだから私が「ありがとうございました」というのは当然ですが、お金を払って商品を受け取る側の奥様が「ありがとう」と言うのが理解できなかったのです。
小学生だった私は、率直に永田さんの奥様に尋ねました。
「おばさん、僕はお寿司を配達してお金をいただいたから、『ありがとう』って言いますけど、どうしてお金を払ってくれたおばさんの方が『ありがとう』って言うんですか?」
お金を払うお客様の方から「ありがとう」ということが理解できなかったのです。
すると永田さんの奥様は目の前のガキの目を見ながら、
「あのね、あなたのお家がお寿司屋さんで、あなたがお寿司を運んできてくれたから、私たちはおいしいお寿司を食べられるのよ。だから『ありがとう』なのよ。」
この言葉は私にとっては衝撃的でした。
どれぐらい衝撃的だったかというと、半世紀以上経過した今でも永田さんというお家の名前を憶えているぐらい衝撃的だったのです。
それまで、私は商売というものは汚いものだと思っていました。
なぜならば嘘をついているからです。
だって、仕入れてきたものに利ザヤを乗せて売ってるんですから。
例えば百円で仕入れてきたものを150円で売るわけでしょう。
本当は百円の価値のものを150円で売っているから、お客様に噓をついていることになる。
私はそう思っていました。
だから、学校でも士農工商と、商売は一番下に位置しているんだと教えられている。
そう思っていたんです。
そういう嘘つきの商売人に対して、お金を払う側が「ありがとう」というのですからね。
理解できないのも無理ないことです。
人生には何度か忘れられない瞬間と言いますか、目からうろこと言いますか、一瞬にして考え方が変わる、いわゆる「気づき」の瞬間があると思いますが、ガキだった私にとって、この時がその瞬間でした。
それから私は商売というものに目覚めたというか、大変興味を持つようになりました。
今から半世紀以上前のころは、学校でも商業学校のようなところは、どちらかというと勉強ができない子が行くところと言われていました。
これって大変失礼なことで、大人になってみるとわかるんですが、高等学校の普通科なんて行ったって、社会に出たら何の役にも立ちません。でも、帳面がつけられたらその後の人生に大きな役に立ちます。
高等学校というのは大学へ行く前提のところだというのがこの国の考え方かもしれませんが、大人になって役に立つという点では商業学校や工業学校、あるいは農業学校といった学校の方が、たとえ卒業後にその仕事につかなかったとしても私は役に立つと思っていますが、結局、経済学部でも法学部でもなく、私は商学部で勉強をしました。
そして、今でも、お金を払っていただくお客様の方から「ありがとう」と言っていただけるような商品をご提供するのが正しい商売だと信じて毎日生きているのです。
とまあ、先月の社長との意見交換会にはこんな話をさせていただきました。
なぜならば、トキ鉄もそうですが、ローカル鉄道というのは社会的には「赤字はけしからん」とか「バスで十分だ」と言われている商売です。
若い社員たちが、そういう会社、そういう業界に勤めていて、モチベーションをどうやって維持していくか。
そのところが大切だと考えるからです。
でも、雪の中、電車が時刻通りにやってくる。
お客様には「ありがたい」と思っていただけるんじゃないでしょうか。
バスの運転士さんだってそうです。
私が通勤で乗っているマルケーバスはダイヤに正確で数分の遅れもなくきちんとやってきますが、バスの運転士さんはドアを開けるとき「寒い中お待たせいたしました。」と言ってくれます。
いやいや、本当に「ありがとうございます。」とこちらが思います。
それだけ私たちの仕事というのは社会に根付いた仕事であって、「赤字だから廃止にしてしまえ」と心無い言葉をかけられるような仕事ではないはずなんです。
駅には灯りがあります。
この時期、駅の灯りは温かく、駅に灯りがともっていると、とても安心します。
でも、「赤字のくせに無駄な電気をつけやがって」と言われます。
そういう心無い意見に、堂々して自分たちの仕事に誇りを持って、毅然とした態度で対応してもらいたいと私は考えています。
なぜなら、私たちの仕事は地域社会を構成するために重要な仕事だからです。
つまり、お客様から「ありがとう」と言われる仕事なんです。
よく、Win Winの関係と言われます。
売り手と買い手の両方の利益になることを示します。
でも私はちょっと違うと思っています。
Win Winの関係という言葉を使われる方々は大学の先生だったり評論家だったりで、実際の商売をあまりご存じない方だと思います。
売り手と買い手が納得すれば、何を売り買いしてもよいのでしょうか。
会社の仕事、あるいは個人でお仕事をしている方もそうですが、私は「三方よし」というのが大事だと思います。
「売り手よし、買い手よし、世間よし。」
提供する商品が、買っていただくお客様に利益をもたらすのは当然ですが、その商行為が社会のためになっていること。つまり「世間よし」というのが大切なことで、私たちが提供する「輸送」や「観光列車」という商品は、しっかりと地域に役立って地域に貢献している商品ですから、私たちの会社の仕事というのは三方よしであり、なおかつ24時間365日、休みなしで社会に貢献している尊い仕事なのです。
ということを社長は言いたかったのであります。
1972年4月。お寿司屋さんでアルバイトしたお金で出かけた青梅線。
この時撮った写真が、あの有名な「当局マイッタカ」であります。
悔しかったなあ。せっかく行ったのにこんな落書き電車で。
「世間よし」からは程遠い時代でした。
▼こちらは8年ほど前に私が出演した番組です。
ヤンヨンヒさんという映画監督との対談です。
ヤンさん、とってもチャーミングな女性でした。
私のYoutubeチャンネルでの公開です。
お時間のある時にでもご覧ください。
【鳥塚亮 出演作品】20161204 BS朝日 鳥塚亮xヤンヨンヒ 1280×720
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