鉄道ファンだからわかること。

共通の話題があると、育った場所や時代が違っても、同じ価値観を持つことができると思います。
最近、FACEBOOKが発達してきて、鉄道ファンの皆様方が、昔懐かしい写真をたくさんUPされているのを拝見させていただいて、「ああ、同じ時代を過ごしてきたんだなあ。」と、思うことしばしです。
昭和35年生まれの私は、物心ついたのが昭和38年ごろで、はっきり記憶に残っているのは昭和40年頃だと思いますが、私より年上の、例えば団塊の世代のお兄さんたちが撮影された昭和40年前後の写真を見ると、おぼろげな記憶がはっきりするというか、輪郭だけの記憶に肉付けされるというか、とても不思議な感覚にとらわれます。そして、なんだかありがたい気持ちになります。
50歳以上のSL現役世代の人たちは、かつて全国津々浦々を走り回っていたSLを追いかけて、あちらこちらを旅した経験がおありだと思います。あの頃、SLが走る日本の風景というものは、ディスカバージャパンのキャンペーンに見られるように、地方を回帰し、地方の良さを表現するツールとして最高の素材でしたし、SLが走る景色が良いなあと思うのは、日本人共通の認識であったと思います。
若い人たちにはわからないかもしれませんが、今、寝台特急が廃止されるとなるとマスコミが大々的に取り上げて、あちらこちらで大騒ぎになりますが、当時のSLブームというのは、今のブルトレ廃止の大さわぎがダイヤ改正直前だけじゃなくて、5~6年も続いていたと考えていただければ、どれだけすごい物だったかはお解りいただけると思います。
では、なぜ、SLブームというものが何年も続いて、全国各地が大賑わいしたかと言えば、一言で言えば「都会人の田舎への憧れ」を端的に表しているわけで、昭和40年代の当時でさえ、都会に住んでいる人たちはSLが走る田舎の情景をテレビや雑誌で見ながら、「いいなあ。行ってみたいなあ。乗ってみたいなあ。」と思っていたわけです。
当時はまだ都会でも平屋の家がたくさん残っていて、銭湯へ通っていたり、下町文化が残っていたりしましたが、昭和30年代までは食べていくことで精いっぱいだった日本人が、経済成長で人々の懐具合が良くなったこともあって、地方への旅行ブームというのも後押ししたと思いますが、都会の人たちは田舎へ対する憧れを持っていたということは間違いありません。
では、その都会人の憧れの対象であった田舎に住んでいる人たちはどうだったかと言うと、「もうこんなところはダメだ。」とみんな思っていて、古い物が残っているのが恥ずかしい。だから、せっかく都会から人がたくさん集まってきているのに、「煙を吐いて走るこんな汽車はダメだ。ディーゼルにしろ! 電化しろ!」と言っていたのです。
よせばいいのに、せっかく人が集まってきていたのに、ダメにしちゃった。
そして、今、そういうところがどうなっているかということは、私が言う必要もないでしょう。
つまり、どういうことかと言うと、私たち鉄道ファンは、40年以上かけて田舎がどうなってきたかということをしっかりと見てきていて、記録してきているということなのです。
鉄道が走っている、あるいは走っていた地域ではありますが、全国津々浦々の田舎を40年も見続けているのが私たち鉄道ファンなのです。
そして、今問題になっている地方都市の衰退、地方の消滅ということは、昭和の時代から40年以上続くローカル線問題とぴたりと重なるのです。
都会人がいつの時代も持っている「地方への憧れ」というものを、地方がどうやってキャッチできるかどうかというのが、地方都市が手っ取り早く生きる方向性を見つけられることだと私は考えていますが、SLブームで都会からたくさんの人が押し寄せていた時、「こんなものは迷惑だ」的な意見を言って、せっかく盛り上がった気運を消してしまったのが地方自身であることを考えると、今、ローカル線を情報発信して、田舎の良さを都会人にアピールして、やっと都会から人が来てもらえる状況になったところで、次の手をどうやって打つかが問われているのは明らかで、それが40年前と同じ轍を踏まないようにしなければならないところなんです。
40年前にたくさんのSLファンでにぎわったところが今どうなっているか。
当時の国鉄、つまり行政が、せっかく盛り上がった気運をどうやって潰したか。
そして、そういう地域が今どうなっているか。
全国いたるところで行われた近代化というテーマの地方つぶしを、私たち鉄道ファンはつぶさに見てきているわけですから、地方再生がどうやったら効果的で、どうやったら失敗するかということも、鉄道ファンの皆さんには何となく見えているのではないかと思います。
動力近代化 イコール 箱モノを作る
鉄道の利用者が減る イコール 人口が減る
無人駅、ワンマン化、コスト削減 イコール 財政健全化
列車本数、編成両数の削減 イコール 機能の集約化
過去40年間に鉄道がやってきたことは、すべてイコール地方創生に結び付くような気がします。
全国のローカル線沿線地域の皆さん。
どうか40年前と同じ路線をたどらないようにしてください。
都会人があこがれるような場所をどうやって提供できるか。
大きなお金をかけずにできるのは、当面これしかないのですから。
【1970年代写真集】

▲室蘭本線 白老駅
この列車はDD51でしたが、跨線橋はSLの煤だらけ。
各駅停車が到着して、これだけの乗降があったんですね。
それも交通弱者じゃないお客さんたちです。

▲米坂線 手ノ子
山の中の駅に鉄道ファンが集まる。
当時の米坂線は夜行列車で行くところでしたが、そう考えると結構な人です。
ましてや貨物列車ですから。
でも、貨物列車が走っていたころは、駅は有人で、貨物の取り扱いが行われていたということなんですね。

▲中央西線 上松
電化前のD51。寅さんに出てくるシーンは都会人の憧れです。

▲宮古線 田老駅
国鉄時代終点だった田老駅です。1日数本の列車本数でしたが、1両の列車がほぼ満席になるぐらいの乗車でした。まさしく地域の足ですね。
たとえば、ここに写っている昭和のディーゼルカーはキハ52。
この昭和のディーゼルカーを走らせるだけで、地域活性化するんじゃないかと思って私は実行したわけですが、結果は如何に。


であるならば、こういうものに価値を見出して、どうやって演出するかということだけで、都会人の憧れの場所が出来上がるわけですが、皆様はどう思いますでしょうか。
当時の国鉄のキャンペーンソング レイルウエイ・ララバイ

私の仲良しの小林啓子さんが歌っています。
今でも活動中で、今年のCDの新譜に、レイルウエイ・ララバイが収録されています。
皆さん買ってくださいね。