今日はお休みで千葉に帰ってきています。
久しぶりに家に帰ってきているので、自分が撮影したビデオでも見てみましょうかと思いまして、ブルートレイン「富士」を見てみました。
こう言っては何ですが、私の映像は商品としての売り物ですから、それなりの価値はあると自分では思っていますが、こういう映像があるということを一般の人は知りませんので、皆様に見ていただこうということで、最近ではyoutubeにUPしているのでありますが、これが結構時間がかかるために、ふだんはできないのであります。
私はかれこれ30年もこういう映像を撮りためていますから、実際問題として2時間物が700タイトルぐらいになりまして、トータルで1400時間。
いやいや、この1400時間のものをリッピングしてyoutubeにUPするとなると、気が遠くなるのでありまして、つまり、たぶん、私の残りの人生をかけるライフワークになるのではないかと思うのですが、そう考えると気が重くなりますので、「しばらくぶりに見てみようかな」と思うものを、リッピングしてyoutubeにあげているのでありまして、それが今日はブルートレイン「富士」だったのであります。
皆様ご存じの通り、ブルートレイン「富士」は「さくら」「はやぶさ」とともに、東京と九州を結ぶ伝統の寝台特急として長年君臨していたのですが、2009年3月のダイヤ改正を持って廃止されてしまいました。
当時の「富士」は東京発大分行でしたが、東京から大分まで延々17時間もかけて走っていたのですから、昭和を引きずっていたといいますか、食堂車の営業もなくなって、言葉は悪いですけどダラダラと走っている状態ではお客様のニーズにこたえることができずに、その割には長く走っていたなあと思うのですが、熊本行の「はやぶさ」と併結されて堂々の14両編成で東京駅を発車するシーンは、さすが伝統の寝台特急を彷彿させるもので、今見ても圧巻です。
勘の鋭い方はお気づきになられると思いますが、東京駅を発車して都内の夜景を見ながら「停まります駅と到着時刻をご案内いたします。」という車内アナウンスが流れますが、実は、あのシーンは嘘なのであります。
どこが嘘かというと、「次は熱海です。」というところ。
東京を出ると次の停車駅は横浜だったのですが、撮影した時の車掌さんは、いちいちめんどくさかったのかもしれません。
東京駅を発車して、有楽町付近に差し掛かった時に「ピンポンパンポン」とチャイムが鳴って、身構えたのですが、なんと、「途中の停車駅と到着時刻は、次の横浜を出てからご案内いたします。」と言って、簡潔に済ませてしまったのです。
「あれれ? そんなはずはないぞ」
なにしろ私は、この車内アナウンスを録音するためだけにA寝台個室を確保していましたので全くの当て外れでした。
しかも、私の乗車区間は東京から横浜までで、横浜で降りる予定だったのです。
なぜなら、仕事の関係で九州まで乗って行くことができなかったのでありまして、当時大学生だった次男坊に、「お前乗るか?」と聞いて、「いいよ」というものですから、私が下りた後、次男坊に横浜から九州まで寝台特急に乗ってもらう段取りだったのです。
でも、東京発の時点では車内アナウンスは無し。
横浜に到着して、私は個室にカメラと録音機をセットしたまま「富士」を降りまして、ドアのところで待ち構えていた息子に、「車内アナウンスが横浜を出てからだから、カメラそのままにしてあるから、小田原の手前まで回して、その後撤去してくれ」と依頼したのです。
なんだかんだで、この仕事はかれこれ30年やってますから、息子も何度も撮影に同行していました。だから、大学生にもなれば親父が何をやっているか勝手知ったるものですから、入れ違いに乗り込んできた息子は「はい、了解」と言って、ブルートレイン「富士」は横浜駅を後にして行ったのでありました。
その時の録音が、東京駅を発車した時の車内アナウンスとして編集で収録されていますが、このDVDは何百本も売れましたけど、「おかしいんじゃないですか?」というご指摘は1回もありませんでした。
2009年1月の撮影ですから、かれこれ15年前ですね。
実は、その10年前の1999年に同じブルートレインの「さくら」を撮影していますが、その時から25年の歳月が流れたということになりますね。
こういうDVDを作るということは実は計画性と行動力が必要で、例えば東京駅で発車していくシーンと、発車後の車窓シーンは、同じ日には撮れません。
夜が明けて、門司の駅で列車が到着するシーンと「はやぶさ」「富士」が分割するシーンと、門司機関区で機関車に乗り込んで客車に連結するシーンは同日には撮れません。
私は運転席にカメラを据え付けて添乗していますか、機関車ですから車内アナウンスは入りませんので、編集で入れるために別途客車の方で車内アナウンスを録音する必要があります。
チームで撮影していればいいですが、息子を使うぐらいですから基本的には私一人でカメラを3台、三脚を2つ持って、何度も同じ列車に乗って撮影、音声収録をするというのが私のスタイルですから、東京発の「富士」だけで3回も4回も撮っているのです。
つまり、採算度外視、好きじゃなければ撮れないのであります。
その10年前の「さくら」などはもっと大変で、当時の「さくら」は東京発長崎・佐世保行。
途中の肥前山口で、長崎行と佐世保行に分割しますから、どちらも収録するためには4回ぐらい「さくら」に乗っているのです。
ということで、そこまで情熱を傾けて撮影した「富士」「さくら」ですが、今見返してみると、我ながらうまくつなげてあると思いますし、とにかく撮っておいてよかったなあと思うのであります。
この他にも、東京発のブルートレインとしては「あさかぜ」「出雲」を記録していますし、九州内の「彗星」も南宮崎まで撮影しています。
30年やっているということは、それだけ映像が残っているということになりますが、今となっては絶対に撮影できないシーンばかりですので、価値があると思います。
ダイジェスト版で一般公開させていただいておりますので、皆様、さわりの部分だけになりますが、どうぞご覧ください。
若い人たちから見たら新鮮に見えるでしょうね。
おじさんはこういう列車を記録するために、航空会社に勤めながら、自分で会社を作って鉄道会社に交渉して、食い込んでいったのであります。
なぜなら、個人ではいくら申し込んでも「単なるマニア」と思われてしまいますが、会社を作れば、鉄道会社もきちんと対応してくれたからです。
我が道を切り開くということは、そういうことなのであります。
PC349 さよならブルートレイン「富士」 2009年1月 ダイジェスト版
本編は私のオンラインサロンで公開しています。またはパシナ倶楽部オンラインショップでご購入くださいね。
なにしろ、これは私が開拓したビジネスですから、タダで見せるのは「チラ見」だけなのです。
リンクをクリックして、ご自由にお楽しみください。
当時を知っている皆様には懐かしい映像です。
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