ああ、島原鉄道

先日、長崎県の島原市議の皆様がいすみ市に視察にお見えになりました。
ローカル線の再生に関してもご興味がおありとのことで、私がいすみ鉄道代表としてご挨拶をさせていただきました。
島原市には長崎本線の諫早(いさはや)から分岐する島原鉄道というローカル線が走っていますが、昨年、路線全体の約半分にわたる区間を廃止してしまいました。
ローカル線を「赤字」という理由だけで廃止するような地域に活性化はありえないという私の持論を、つい昨年廃止してしまった市議の皆様の前で展開し、かなり辛口の意見を述べさせていただきましたが、「今あるものを利用することができない」ということは、地元として相当考えなければならない点だと思います。
島原鉄道は第3セクターではなく、純粋な私鉄でありますので、やたらに財政を投入することができないという理由は理解できますが、大義名分に追いかけられて、「実」を取ることができないというのが、日本全国的に見た地方の現状でしょう。
つまり、今の状態があるにはそれなりの経緯があり、理由があるわけで、それに携わってきた地元の、生え抜きといわれる人たちの手では、そういう経緯や理由を打ち破ることが不可能なわけです。
地元の名士や、権力者が重鎮として君臨している中で、新しいことをするためにはいちいち顔色をうかがい、「筋を通す」ことが第一条件となるような、部落的集りの中で、今までやってきたことから新しいことへ変えていくためには、そういった経緯を知らない「よそ者」が、思い切って改革しない限り、地方の再生などはありえないわけです。
島原鉄道の半分の区間を廃止してしまった彼らは、今、いすみ鉄道で行われていることを見聞し、「こうやれば良かった!」と、遅まきながら気づいて、ものすごく後悔していると思います。
私がいつも事ある度に言っていること、それは
「鉄道を廃止するということは、地図から自分たちの町が消える」ということに等しいということ。
車社会の中で、今の自分たちの生活に必要がなくなったからと言って、「廃止」というような発想をする地域に、活性化などありえません。
それは工夫が足りないからです。
地方の良さは、都会化することではありません。
今ある状態をどのように工夫して、都会の人たちにアピールするか。
それができて初めて、地方の活性化があります。
今までの日本は、田舎に箱モノを建てて少しでも都会を目指すことが発展だとされてきました。
そういうことを30年も40年もやってきて、それでよくなってきたのでしょうか?
考えなければいけないのは、そういう今までのやり方では駄目だということです。
鉄道が必要ないという人が、どの地方へ行ってもある割合で必ず存在します。
でも必要がないといえば、外房線だって、内房線だって、極論を言えば、天下の東海道本線だって、旅客輸送という観点から言えば、現代の世の中ではいらないわけです。
そういう現状を踏まえた上で、どのように活性化するかということが大切なのであって、要不要論は、40年前の日本列島改造論のなれの果てのように思えて仕方ありません。
私のような過去の経緯にとらわれない「よそ者」(バカ者)が、鉄道を残す「方法論」を示していくことが、今の地方鉄道の活性化には必要だと考えています。
ああ、今夜は熱く語ってしまった・・・  すみません。

[:up:] 廃止前の南島原の車庫に揃った旧国鉄時代の車両群。これだけで、存在する価値があるということが、当事者たちには見えていなかったのです。