今日は時の記念日

今日6月10日は時の記念日です。
大昔の天皇が日本で初めて時間を知らせたことに由来しているとか。
どうやって計っていたのかはとても興味深いですね。

でも、それよりも興味深いのが私の友人の半野久光さんと青森恒憲さんがFacebookにUPされていた「とき」の記念日。

国鉄時代の上越線の「とき」の写真です。

だったら、うちだって「トキ鉄」ですから便乗させてもらおうかなと思いますが、お2人のUPされていた「とき」があまりにも素晴らしいので、お許しを得てこちらに掲載させていただきました。


▲上記3枚は半野久光さんの特急「とき」。
やっぱりボンネットですよね。
181系特急電車です。

カラー写真はヘッドマークがイラスト入りになっているのがわかります。
イラストマークになったのは1979年ですから、その当時はすでに10両編成で食堂車は付いていませんね。
白黒写真の方はそれ以前の文字だけのヘッドマークの時代ですね。

中段の写真の7両目、下の写真の6両目に食堂車が組み込まれています。


▲こちらは青森さんの写真。
カラー写真の方はイラストヘッドマークですから1979年以降の撮影ですね。
中段は文字ヘッドマーク。
そして編成も13両ですから写真からは確認できませんが、食堂車が付いていたはずです。
下の写真は上野駅ですね。
青森さん、イケメンですね。
まさに1970年代って感じですが、当時はとてもモテたでしょう。(笑)

そう、1970年代は上野-新潟は食堂車が必要な路線だったのであります。

特急「とき」は朝6時台から夜19時台まで1時間に1本出ていた国鉄にとってはドル箱列車でしたし、上野―新潟間を4時間で走っていましたので、4時間乗るのであれば食堂車は当たり前という時代だったのです。

なぜ私がそんなに食堂車にこだわるかと言うと、実は1976年8月に「とき」の食堂車に乗務したことがあるからで、上野から新潟に行って、約1時間ちょっと一旦引き上げて、折り返し新潟から上野行になる往復約10時間の行程で、クタクタになった記憶があります。

それだけ食堂は混んでいて、食堂車を基地として前後に売り歩く車内販売もたくさん売れたのです。

それが高校1年生の時。
実は私、アルバイトの目的がカメラが欲しかったこと。
当時カメラはまだ高級品で、うちにはオリンパス・トリップ35というカメラしかなかったので、絶対に一眼レフを買うぞと言って頑張ったのであります。

私だって「とき」を撮ってましたが、カメラがオートだとこんな写真しか撮れなかったのです。

まぁ、でも、一眼レフを買ってわかったことは、カメラの性能ばかりではない、ということ。
写真って、やっぱりセンスですね。

1970年代から、つまり若いうちからこれだけの写真を写していた半野さんと青森さんに敬意を表したいと思います。

記録していただいてありがとうございました。

上越新幹線が開通したのは1982年の秋ですから、今から41年前。
東北本線も特急「ひばり」が1時間に1本走ってましたので、東北新幹線、上越新幹線はやっぱり必要だったんだなあと、今さらながらに思うのであります。

本日は「とき」の記念日のお話しでした。

半野さん、青森さん、貴重なお写真を拝見させていただきまして、ありがとうございました。