もはや昭和ではない。

「もはや昭和ではない。」

ニュースでそんな言葉が流れてきました。

どこかで聞いた言葉だなあ。

そう、1956年に出された経済白書に書かれていた言葉。
「もはや戦後ではない。」

1956年と言えば昭和31年。
私が生まれる4年前のことですが、戦争が終わったのが昭和20年ですから、戦後わずか11年で「もはや戦後ではない。」と宣言したことになります。

戦後復興から経済的に立ち直って国民生活が安定したことが「もはや戦後ではない」という言葉になったのだろうと思いますが、その背景には1950年から3年間続いた朝鮮戦争による特需があったのだと思います。
隣りの国で戦争が起きたときに物資などを調達する場所として日本がちょうど良い位置にあって、そこにアメリカ軍が進駐してきていたのですから、日本の国内は特需に沸いたことは容易に想像できます。また1952年にはサンフランシスコ講和条約が発効し、それまでの米軍占領下から国家としての主権を取り戻しました。

こういう社会情勢で急激に復興を遂げた日本が1956年に「もはや戦後ではない」と言ったのですが、その後、総理大臣となった池田勇人は「所得倍増論」を掲げ、10年後に国民所得を倍にしますと宣言して大きな話題になりました。

そんなことはできるわけないだろう。
野党陣営から言われた池田首相は「私はウソは申しません。」と言ったそうですが、確かに10年後には国民所得は倍増しました。
ただし、これにはおまけがあって、給料は確かに倍になったけど、物価も倍になったのです。
「所得倍増論」というのは、確かにウソではなかったのでありますが、経済というのはそういうものであります。

その証拠にお隣の韓国が前の大統領の時に「最低時給を1500円にします。」と宣言して法律を改正しました。もちろん低賃金で働いていた労働者は大喜びしましたが、結果どうなったかというと、従業員に時給1500円払えない会社は雇用継続を断念し、仕事そのものがなくなって、多数の失業者が出たのです。そして、1500円を払うことができた会社は製品原価にその分のコストを上乗せしましたから、物価は上昇。
仕事はなくなる、物価は上がるのダブルパンチを受けて韓国経済がどん底に突き落とされたのはわずか5年前のことでありますから、選挙演説で最低時給1500円などと言っている人の話は信じない方が良いと私は思います。

さて、「もはや昭和ではない。」と言うのが2022年に出されましたが、昭和はいつまで続いていたかと言うと昭和64年は1989年でありますから、今から実に33年前ということになります。間に入って30年も続いた平成がすでに終わっているのになぜ今頃になって「もはや昭和ではない。」と政府が宣言するのかと言うと、その内容は経済の回復ではなくて、生活スタイルや考え方の変化に伴って、仕事のやり方の変化が求められるからで、実は日本はこの部分においては諸外国に比べると大きく遅れているからなのであります。

男女平等が良い例ですが、会社の中はいまだに男性社会というところが多く、女性の意見がなかなか取り入れられない。「女性活躍」などと宣言しなければならないこと自体がおかしいのですが、そういう宣言をしない限りは動かない組織がとても多い。
昭和を知らない若い人たちは、今がすべてですからいかようにも対応できるのだと思いますが、昭和を引きづっているお爺さんお婆さんたちにとっては、自分たちが経験してきた昭和スタイルがすべてですから、自分の生き方だけじゃなく、会社での働き方のスタイルも昭和を引きづっていることは間違いないのですが、自分たちにはそれがわからないのです。

だから、国が敢えて「もはや昭和ではない。」と宣言する事態に至っているわけで、コロナ禍で今までのやり方が通じなくなって、急速に世の中が変化していく中で、日本の企業、特に伝統的産業はまったくついて行かれなくなっていることがよく見えてしまいました。

コロナ禍が2年以上も続いているのにいまだに遠隔会議のソフトすら入れていない会社や、「会社というのは毎日来るのが当たり前だ。」と信じて疑わない幹部がいる会社も多く、「押印廃止です」と言いつつ、ハンコは不要だけど今まで通りの書類がそのまま社内を回っているような会社がまさしく昭和なのでありますが、幹部が気付いていないから変わる気配すらないわけで、若い人たちは「困ったもんだ。」と思いつつ我慢しているか、「こんな会社はダメだな。」と見切りを付けるかを迫られているのが世の中の現状なのであります。

つまり、今、世界で日本は一番遅れている国になっていて、一番賃金が安い国になっているということに、昭和の時代を生きてきたお爺さんたちは気づきもしないのであります。

何しろ、昭和の時代の人たちは韓国や中国、東南アジアというところは物価が安く、50円も出せばお腹いっぱいにご飯が食べられるところだと今でも思っている人たちがほとんどで、確かにそういう時代はありましたが、そのころの韓国や東南アジアというのは、「男の人がお金を持って遊びに行くところ」でしたが、今の時代は若い女性がお金を持って非日常の旅を楽しみに行くところになっているのであります。
BTSの活動休止が日本で大ニュースになるって、理解できますか? って話ですから。

さて、本日のテーマ、「もはや昭和ではない」でありますが、ライフスタイルの多様性にどう対応するかが会社にも社会にも求められているということでありますから、当然鉄道会社だって同じで、今までの「地域の足」だけでは存続できないということは明らかなのでありますが、昭和を引きづっている考え方の人たちはローカル鉄道が観光鉄道を標榜すると、「観光なんて遊びだろう。お前は税金を使って遊びをやるのか。」と顔をしかめる人たちもたくさんいて、つまりは、そういう考え方を変えていかないと田舎の鉄道は残ることができないし、鉄道ばかりではなく、田舎そのものが残りませんよ、と言うのが私が言いたいところなのであります。

でも、都会の最先端を行くジャーナリストの皆さんは、私が言わなくてもそんなことは百も承知なわけで、つまりローカル鉄道をどうやって使うかが地域に問われているということなのですが、今回、それを2日間に渡って朝日新聞が経済面で記事にしてくれました。

取材にいらしたのはまだ若い記者さんでしたが、私が「この人立派だな。」と思ったのは直江津発8:43の快速電車から夕方の急行4号までずっと乗っている。
そしてその翌日取材のインタビュー。
「鉄道好きなんですか?」と尋ねたら全然そんなことは無くて、交流直流なども知らない人でしたが、
「昨日乗せていただいていろいろわかりました。」
だって。

乗りもしないでわかったような記事を書く人もいますが、姿勢としてははるかに立派でございました。

そしてこの記事。

読む人が読めばマニアが書いた文章じゃないことはわかるでしょう。

そういう普通の人から見て、私がやっていることはこのように見えるんだなあ、と言うのが実に参考になったのであります。

実際に2009年に前職についたときに「ローカル鉄道を上手に使えば地域が全国区になるし、地域が浮上することができますよ。」と申し上げましたが、それは房総半島の山の中だけじゃなくて全国のローカル鉄道に言えることだと考えていたわけで、あれから10数年が経過して今の時代は各地でローカル線が元気になっているじゃないですか。

なっていないのはJRの田舎の路線だけでありますから、それは会社そのものが変わらないといけないということなのであります。

ということで、私が言うとおりにやっていれば、日本のローカル線はお客様がたくさん増えるのであります。

「はい、私はウソは申しません。」なのであります。