昭和35年生まれの私はもうじき62歳になります。
この間まで若造と言われていたのに早いもんですね。
その私の年代は、親の世代は大正末期から昭和一桁生まれ。
お爺さん、お婆さんは明治生まれの人がほとんどだったと思います。
以前にも銭湯でシベリア帰りのおじさんに可愛がってもらっていた話をしたと思いますが、あれがだいたい昭和45~6年ごろだったと思います。
終戦が昭和20年ですから、戦後25年ぐらいの頃ですね。
つまり、当時の大人たちは皆さん戦争経験者だったということになりますが、だから子供の頃は大人はみんな戦争の話をしていました。
例えば食べ物の好き嫌いをすると戦争中に食糧がなかったころの話をされるし、親の言うことを聞かないと兵隊に行った時に上官からこっぴどく叱られて殴られた話をされるわけで、いい加減うんざり。
「もう、戦争の話はいいよ。やめてくれ!」
って思っていました。
そういう時代でしたから、テレビや新聞の写真に平気で事故など亡くなった人の姿が写っている。三島由紀夫が自害した時も、丸の内の三菱重工が爆破された時も、報道ではそのまま映していました。
今の日本ではそういう画像を見せないような協定でもあるのでしょう。
いつのころからか、どのマスコミも一切出さなくなりましたから、それが私たち日本人の平和ボケが進む原因になっているのかもしれませんが、戦争経験者が世の中の多数を占めていた時代では、ほとんど抵抗なく受け入れていたのだと思います。
今回のウクライナ侵攻でも、酷い画像は何も見えないように報道されているから、日本人には深刻さがわからないかもしれませんが、そんなことを考えていたら、当時の大人たちが口を揃えて行っていたことを思い出しました。
何を言っていたかと言うと、
「ロシアは嘘つきだ。」
「ロシアは泥棒だ。」
「ロシアは人殺しだ。」
親の世代も祖父母の世代の人たちも、みんな同じことを言っていました。
占領されたのがアメリカでよかったと。
私は不思議でした。
原爆を落とされて、東京大空襲でひと晩で10万人が死んで、沖縄であれだけの戦いがあって、「戦争はいけない!」と口を酸っぱくして言っていた人たちが、敵で、加害者であるアメリカのことを「占領されたのがアメリカでよかった。」って言ってるんですから、「何言ってんの?」と思っていたのですが、大人たちは、「もし、あとひと月降伏するのが遅かったら、北海道は日本じゃなかったよ。北からロシアが攻めてきて、皆とられちゃったよ。」と言っていたのです。
ロシアという国は、昔から自分たちの領土を拡大したい欲望があります。
その理由は国土のほとんどが寒い地域だからで、拡大したいのは南の方面。
ロシアは昔から不凍港(冬でも凍らない港)を求めて南へ領土を拡大しているのです。
クリミア併合もそうですし、ウクライナもそうです。
とにかく自分たちの領土を南へ拡大したい。
南へ行けば貿易も有利になるし、作物も多くとれますからね。
7年前に亡くなった義父がニュースを見ながらよく言ってました。
「北方領土なんか帰ってくるわけないだろう。」
不凍港を求めて南へ南へ領土を拡大したがっているロシアから見れば北方領土は最南端ですから、昭和一桁の人から見ればそう見えたのでしょうね。
なんとなくわかるような気がします。
そんなことを考えていたら、また思い出しました。
おととしの水害で不通になっていて、復旧の手が付けられていないJR九州の肥薩線のことを。
肥薩線は八代から球磨川に沿って内陸部に入り、人吉からスイッチバックとループ線で峠を越えて鹿児島へ入りますが、実はもともとは鹿児島本線でした。
鹿児島本線として明治時代に建設がすすめられ、東京から鹿児島まで線路が繋がったのですが、その後、ずっと後になってから水俣、出水を回るルートが建設され、その線路は今、肥薩おれんじ鉄道になっていますが、なぜ最初は険しい山越えのルートを選んだのか。
海岸に沿って走れば平たん路線で建設も運転も楽だったと思いますが、なぜわざわざ人吉、吉松を通るルートになったのか。
それは、ロシアが攻めてきたときに鹿児島への補給路を確保するためです。
ロシアは当時大艦隊を持ってたので船で攻めてくることが予想されました。
そんな時に海岸線を線路が走っていたら、まず最初にやられてしまいますから、わざわざ山越えの道を選んだのです。ちょうど日露戦争があったころですから、国防上の理由ですね。
同じく、今は第3セクターの天竜浜名湖鉄道になっている二俣線もそうです。
東海道本線が浜名湖付近で海岸線を走っている。
まして鉄橋で浜名湖を渡っている。
ここに何かが起きたら日本の大動脈が機能しなくなってしまいますから、昭和になってから東海道本線のバイパスルートとして、浜名湖の北側を回る二俣線が開通しています。
おもしろいのは、二俣線、今の天竜浜名湖鉄道は1~2両のディーゼルカーしか走らないのに、駅の構内がやたらに大きくて長いホームが残っている。
その理由は、東海道本線の列車が走ることが想定されていたからですが、このように昔の日本人というのは、もし何かあった時のためにバイパスルートをきちんと確保していたのです。
その、もし何かあった時のためというのは、災害や天変地異はもちろんですが、戦争で敵が攻めてきたときのためにというのが当時の時代背景です。
私の世代は、とにかく大人たちからいつも戦争の話を聞かされて育ちましたから、「そんな事あるわけないだろう。」と半分アレルギーのように拒否反応を示していたのですが、今回のロシアのウクライナへの戦争攻撃を見ていると、昔の人が言っていたことが、今、現実になっているのではないかと思うのです。
何しろ、日本とロシアは国境を接している隣り同士の国なのですからね。
そのロシアが、噓つきで、泥棒で、人殺しの国だってことが、なんとなく「やっぱりそうなのかなあ。」と否定できない状況になっている今、田舎の町の町長さんたちがお金を出したくないから、「鉄道なんか要りません。」と言って、重要なバイパスルートを廃止してしまおうなどということをこの国は言っているわけですから、昔の人が見たらなんて言うのかなあと、草葉の陰からこちらを見ている爺さん婆さんに聞いてみたいと思うのであります。
民営化した鉄道会社の経営者は株主の方しか向いていませんから、もしその株主が外国資本だとしたら、いざという時の国防のために鉄道は使えないということで、自衛隊は北海道から本州や九州、沖縄方面へフェリーをチャーターして戦車やトラックを送る練習を行っていますが、フェリーもいいけど、やっぱり鉄道も同時進行で活用していかないと、船は沈められたらお仕舞いですからね。
というようなことを、同じくお隣の国でこうやって戦車が運ばれているシーンを見て、私は、もしかしたら鉄道の民営化と言うのも、この国を骨抜きにする外国の戦略なのかもしれないと思うのであります。
韓国京釜線東大邱駅で見かけた戦車を運ぶ貨物列車。
しばらくするとその同じホームに特急列車が入ってきました。
ヤバそうな国と国境を接している国は、ふだんからこのぐらいのことが当たり前なんですが、日本はどうやらチコちゃんに叱られそうだと思うのは私だけでしょうか。
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