あれから40年の日

あれから40年といってもキミマロではありません。

真面目な話。

日本航空の飛行機が羽田沖に墜落したのがちょうど40年前の今日。
着陸直前に寒い海に墜落して多くの人命が犠牲になりました。

この事故の原因は機長が精神を病んでいたことで、着陸直前にエンジンレバーを逆噴射位置に入れたために推力を失って滑走路の手前の海に落ちてしまったのです。

当時航空業界を目指していた私にとっては大変ショッキングな出来事でしたので、40年前のことを鮮明に覚えています。

さらにショッキングだったのはこの墜落事故が2月9日の朝でしたが、前日の2月8日未明(2月7日から8日にかけて)には東京の中心部、永田町のホテルニュージャパンが火災になったことで、燃え盛る炎から逃げようと高層階の窓にしがみついたり、転落したりする宿泊客の姿がテレビに鮮明に映し出されたことです。
2日続きで、東京でこのような事故が発生していたのですから、日本もまだまだ発展途上国だったのです。

今では考えられませんが、当時の日本はホテルやデパートが燃えたり、飛行機が落ちたり、電車がぶつかったりと大きな事件や事故が頻発する国でしたから、私たちの世代は中国や韓国などのお粗末な事故を笑えないんですね。

さて、その羽田沖で墜落した飛行機はダグラスDC-8という機種で、当時ほぼ退役間近でしたが、私は乗ったことがありませんし写真も満足にありません。

今、これを書いているのは新潟の家ですからネガを調べることもできませんが、DC8は今の飛行機でいうとエンジンの数こそ違いますが、ちょうどボーイング757のような感じでした。

新潟の家でHDの中から唯一見つけたのがこの写真。
昭和50年4月に初めて飛行機に乗った時に全日空のトライスターから写したものです。

この時は最後の蒸気機関車に会いに羽田から札幌へ向かったのですが、当時の最新鋭機のトライスターに乗りたかったのと、日本航空よりも全日空の方が好きだったので、ほぼ同時に出発する札幌行でしたが私は全日空に乗り、滑走路へ向かう途中に先に離陸しようとする日本航空の札幌行を写したものです。

トライスターはその後何度も乗りましたので、この時なぜDC-8に乗っておかなかったのかが今でも悔やまれますが、当時の日本航空ではDC-8が主力機でしたので、いつでも乗れると思っていたのだと思います。


1974年7月の日本航空国内線時刻表です。

ボーイング747ジャンボジェットが国内線に就航したばかりの頃で、赤く記されている便がそのB747SRの便。東京-札幌・福岡・沖縄に1日数本B747SRが飛ぶのみで、無印はDC-8。わずかにBとあるのがボーイング727です。
727は貴重でしたが、全日空はほとんどが727でしたので、まぁ、飛行機初めての少年としてはトライスターを選んだのでした。

さて、この写真が1975年ですから47年前。
時が経つのは何と早いことでしょう。

40年前の事故を思い出して、「あの時は凄かったなあ。」などと言っている自分ですが、その40年前といえば1942年ということになります。
昭和17年ですね。

あの当時、自分たちの親を含め、大人たちは皆、「広島の原爆は悲惨だった。」とか「3月10日の東京大空襲の時は下町の空が赤く燃えているのが見えた。」などと言っていましたが、今、私たちが「40年前の逆噴射の事故」の話をするのを若い人たちが聞くと、きっと、当時私たちが大人たちから戦争の話を聞かされたのと同じような気持ちになるのではないかなあと、そんなことを思う今夜であります。

1つだけ確かなことは、私には40年前はあっても40年後はありませんから、そう考えるとちょっとホッとします。

いつまでもそんな過去を背負っていたくはありませんからね。


ということでHDの中にあった40年前の私。
タバコは吸うは酒は飲むはで、志だけは立派でしたが、どうにもならん人間でした。


こちらが約30年前の私。(右)
先輩の神谷さん(左)に可愛がってもらっているところです。
今、那覇にいる後輩の遠藤さんが見つけ出してくれました。


こちらは20年前の私。
台湾の高雄駅です。
う~ん、まだ名残りがあったかも。


こちらが10年前。
キハを訪ねて糸魚川の米田市長さんが訪ねてきてくれた時。
2012年3月です。
米田市長さんには当時から今日に至るまでたいへんお世話になっております。


そしてこちらが現在。
う~ん、なんだかんだでこの10年の落差が激しいような気もしますが、人に歴史ありということで。


事の始まりは半世紀前に撮ったこの写真から。
なんだかんだで私が鉄道車両と一緒に記念写真を撮るようになったスタートが木原線の上総中野駅でございます。

かつての教訓を大切にして将来につなげていくのは、事故の歴史も個人の歴史も同じなのであります。

さて、10年後はあるかな。

まぁ、いいか。