遠くへ行きたい

昭和の時代は遠くへ行くということは列車に乗るということでした。

東京に生まれ育った人間としてはふるさとというものがありませんからどうしても田舎にあこがれる。
東京駅や上野駅へ行くと、次々と長距離列車が発車していく。
そういう姿を見て、「遠くへ行きたい。」と思ったものです。

例えば上野駅のホームに立つと、特急列車が高嶺の花だった時代ですから私たち庶民の足は急行列車。東北本線で一番遠くへ行く急行列車が電気機関車に引かれた客車列車でした。
機関車に引かれる客車列車は動力を問いませんから、黒磯までは直流の機関車に引かれて、黒磯から先は交流機関車に変わって、その先、電化区間じゃないところだとディーゼル機関車に変わる。そうすればどこまででも走って行かれるということです。

その次に遠くへ行く電車は今トキ鉄で走っている交直両用のローズピンクの急行電車。
福島を通り越して仙台や盛岡へ行くのです。
165系などの湘南色の電車は黒磯までしか行かれませんから、あの交直両用の急行電車を見ると、「遠くへ行くんだなあ。」と思ったものです。

その、遠くというのは、私の場合、蒸気機関車が走っているところ。

例えば急行「ばんだい」に乗って行けば会津若松へ行きますから、只見線、会津線、日中線などの路線でC11が走っていましたし、急行「まつしま」や「いわて」「もりおか」に乗れば石巻線のC11や陸羽東線のC58などに会うことができたのです。

中学生の身ではそんな列車に乗ることは許されませんから、「行ってみたいなあ。」「乗ってみたいなあ。」と遠くの地へ思いを馳せたものでした。

でも、そのためには5時間とか8時間とか、お尻が痛くなるほどの時間を直角のボックスシートに座っていなければなりません。
今考えると気が遠くなるような時間距離ですが、当時は他に方法がありませんから黙って皆さん乗っていたのです。


▲25年前に私が作ったテレホンカード。
前面展望ビデオを買っていただいたお客様に差し上げたものです。


▲夜行列車の朝。
ボーっとして揺られていました。

そういう昭和の時代の汽車旅って、若い世代の人たちに今経験してもらったら、意外と自分自身を見つめなおしたり、いろいろ考え事をしたりできるのではないでしょうか。
今の時代、なかなかそういう旅ってできませんからね。

ということで、明日は急行列車の運転日。
夕方は納涼列車、その後は夜行列車が走ります。

増発したからでしょうか、28日の夜行にはまだ少し空席がございますので、ご希望の方はトキ鉄のサイトよりお申し込みください。

ところで、先日、ジェリー藤尾さんがお亡くなりになりました。
昨日は千葉真一さんの訃報でした。
残念ですね。

昭和がどんどん遠くなっていくようです。

そんな時代を思い出しながら。今夜はこの曲をどうぞ。

遠くへ行きたい