観光の歴史から見る将来予測

コロナの後にどんな時代がやって来るか。
特に観光的にどういう流れになるか。
このところそんな事ばかり考えていますが、世の中の原理原則として、未来予測をするためにはまず過去を検証してみる必要があると言われます。

過去にどんなことが起きていて、どういう背景があったか。
そして今までどういう変遷を経て来たか。
そういうことを考えると、これからどうなっていくのかがある程度見えてくるのではないか。

ということで観光の歴史のお話です。

でも、お伊勢参りとか東海道中膝栗毛のような昔話ではありません。
手が届く歴史としての戦後のお話。

昭和20年に終戦を迎えた日本は戦後復興に向かいました。
焼け野原から10年ぐらいは、ただただガムシャラに、寝る間も惜しんで働いたと思いますが、昭和30年代に入ると「余暇」をどう過ごすかということが問われるようになりました。
国民の健康増進のためにはレクリエーションが必要であるという考え方が、昭和30年代中頃には盛んに言われるようになったのです。

そして、当時潤沢だった国民年金や厚生年金などを原資として、余暇を過ごすような施設が多く作られました。
今の若い人たちにはあまりなじみがないかもしれませんが、国民宿舎と呼ばれるような、安価で、その割には近代的で衛生的な宿泊設備が全国的に整えられていきました。
大きな会社では保養所と呼ばれるような施設が海水浴場や山間の行楽地に建てられ、昭和30年代から昭和40年代には休みを取って1~2泊の家族旅行をするのが一般的になってきました。

また、若者たちは日帰りでハイキングに出かけたり、山登りや海水浴、スキーなどに出かけるようになりました。

国鉄では季節ごとに海水浴列車やスキー列車、ハイキング列車などを走らせて、そういう観光客を乗せた臨時列車はどれも満員。海や山は大変な賑わいを見せました。

例えば房総半島では海水浴のための臨時列車が都内から多数運転され、7月20日から8月末までは「房総夏ダイヤ」と呼ばれる特別ダイヤが組まれるほどで、それでも列車はすし詰めの満員状態。泊まるところもままなりませんから、民宿と呼ばれる季節宿泊施設に観光客を収容していました。
民宿といっても、最近のように小綺麗なものではなくて、農家の人が自分たちは納屋に寝て、自分たちが使っている部屋をお客さんに貸し出すと言ったありさまで、下手をすれば全然知らない家族と相部屋になるなんてこともありましたから、何ともまあ日本人はタフだったわけです。

房総半島の海岸線でお爺さんたちが「昔は良かったんだぞ。」と思い出話とも自慢話ともつかないような話を得意顔で話すのは、そんな陳腐な設備でも予約が取れない状態が続いていたからで、つまりはウハウハだったのですが、ではそういう時代がいつまで続いたかというと、私の記憶では昭和40年代の後半まで。
ということは、昭和30年代後半からたった10年間ほどのことだったのです。


▲昭和47年、小海線の臨時列車。
新宿から夜行で走ってきた列車です。
よく見ると車内は満席、デッキにも人が居て通路にも立っている人の姿が見えます。


▲房総へ行く急行列車(昭和45年 新宿駅 撮影:結解学先生)
千葉の海へ行く人たちで押すな押すなの大混雑です。

昭和40年代、東京から100kmから200km圏内の観光地へ行く列車は、常にこのような状態でした。

ところが、昭和40年代後半になると、こういった光景に陰りが見え始めます。

国鉄の臨時列車や近隣の海水浴場といった観光地から急激に観光客の姿が減り始めました。

では、昭和40年代後半にはどういうことがあったのかというと、昭和45年の大阪万国博覧会、昭和47年沖縄返還、昭和49年に国内線にB747ジャンボジェット機が登場します。
そして昭和50年には沖縄海洋博。
国民の可処分所得も上昇するにつれ、それまでの100~200㎞圏内の旅行から全国を又にかけて、より遠くへという志向が強まっていきました。

さらに、昭和50年代半ばになると、海外旅行ブームが訪れます。
昭和53年(1978年)に成田空港が開業し、国際線の便数が増えると供給座席数が過剰になってきて、格安航空券などが出回るようになりました。

昭和55年、1980年代に入ると人々は我先にと海外旅行へ出かけるようになりました。

ここまでわずか20年。

昭和30年代から40年代は近場の海水浴場へ出かけていた国民が、
昭和50年代に入ると飛行機に乗って沖縄の海へ。
そして昭和55年以降の1980年代はグアム、ハワイなどの海外へ。

ビーチリゾートだけをとってみても、わずか20年でこれだけ変化したのです。

そして、今回のコロナ。
2年近く足止めされて、満足に旅行もできない時期が過ぎた後、人々はどういう行動に出るでしょうか。

そう考えると、私はなんだかとても大きなチャンスが待っているような気がします。

なぜなら観光の歴史が「近場」から「遠方」になって「海外」と変遷を経てきたのですから。
コロナが明けたらおそらく当分の間「海外」という選択肢はなくなる。
「遠く」というのは今の時代LCCの飛行機に乗って行くところになると思いますが、まずワクチン接種が終了したシニア世代の人たちはネットでLCCを予約するような人たちではありませんから、そういう人たちはネットの予約が必要ないようなところへ行くでしょう。
どういう所かというと、つまりは駅で切符が買える新幹線の沿線。
昔は100~200㎞の圏内が「近場」でしたが、今の時代は1~2時間の距離ですから、つまりは新幹線で1~2時間のところがまず賑わい始めると思うのです。

そしてそこはどこかというと、長野や新潟が的中する。
私はそう考えています。

海外がなくなって、遠くがなくなって、近場の、それも日帰りや1~2泊の場所がまず最初に賑わうようになる。
これがコロナ明けにまず見られる現象ではないかと考えています。

本当だったら海外や遠方へ行くような人たちが近場を訪れるようになる。
これは新幹線沿線の地域が、コロナがなかったら得ることができないチャンスがやって来ることだと私は考えれいます。

そういう時に、本当だったら自分の町に来ないような人達をどうやっておもてなしをして、どうやって地域のファンにしていくか。
奇跡的にめぐってきたチャンスをものにできるかどうかが問われていると私は考えています。

なぜなら、そういう人たちは本当なら海外や遠方へ出かけているどちらかというと上客に値するような人たちだからで、そういう人たちを地域のファンのすることができれば、地域そのものが浮上することができるチャンスになるからです。