莫迦の治し方

この間、大雪でしばらく会社の前のホテルに泊まりこんでいた時、部屋から直江津駅が良く見えました。

2m近くの積雪で雪に埋もれた直江津駅です。

この駅はおしゃれな造りで、船の形をデザインしたという話ですが、港の町直江津ならではのような気がします。

船の形をしている・・・

そう思ったときに思い出したことがあるんです。

この年になると、何かふとしたきっかけで大昔のことが昨日のことのようによみがえってくる瞬間があるものですが、その時思い出したのは自分が莫迦だと気づいた瞬間のこと。
根の公式が理解できないとか、右手の法則がわからないとか、そういうことではなくて、生まれて初めて、自分は莫迦なのではないかと気が付いた時のことです。

皆さんは、そういう瞬間がおありでしょうか。

私はまだまだ小さいころ。自分の年齢が片手で十分だったころ。
鉄道ファンの皆様には内房線が房総西線で、袖ケ浦が楢葉だった頃といえばお分かりになると思いますが、その当時私は巌根に住んでいて、お休みの日には汽車に乗って新しく千葉にできた駅ビルに家族でお買い物に出かけていました。

日常の生活品はバスに乗って木更津の坂本デパートに行くのですが、時々、ちょっとおめかしをして汽車に乗って千葉まで出かける。
まだまだ世の中が貧乏だったころのささやかな楽しみでした。

夕方、あらかた買い物が終わって帰りの汽車に乗ります。
石炭を焚いて煙を吐いて走る名実ともに「汽車」でありますが、その時は必ず進行方向右側の席に座りました。
五井を過ぎて姉ヶ崎も過ぎたころ、出光の工場の灯りが見えてきます。
すると、決まって父が私に言うのです。

「アキラ、あれは出光の工場だ。光が見えるだろう。あの光は船の形をしているんだぞ。わかるか?」

今では想像もつきませんが、当時の汽車は波打ち際を走っていて、漆黒の闇の中に工場の灯りがたくさん見えます。
きれいな夜景なんですが、「あの光は船の形をしているんだぞ。」と言った父の言葉が全く理解できませんでした。

船は知ってますよ。
私の同年代以上の人は、特に山の中で育った人は大きな船を見たことがないという人もいたと思いますが、千葉に住んでいましたから船ぐらいわかります。
当時から頭の上を飛行機が飛んでいましたから、それもわかります。
でも、夜空に浮かび上がった工場の灯りの形が、私にはどう見ても船には見えなかったのです。

今でも覚えているぐらいですから、よっぽど衝撃的だったと思います。
これが生まれて初めて自分が莫迦だと気が付いた瞬間です。

その後もちょくちょく千葉へ出かけることがありまして、田舎だから帰りの汽車はいつも同じ時間だったのでしょう。
多分、父が工場夜景を見るのが好きだったのかもしれませんが、いつも右側の座席に座って、「ほら、出光が見えたぞ。」って言うんですが、私も一緒に窓ガラスに顔をつけて夜景を見ながら「どこに船がいるんだろうか。」と一生懸命探すのですが、何度通っても結局私には船を見つけることができませんでした。

通り過ぎる工場夜景を目で追いながら、闇の中を汽車がポォ~って汽笛を鳴らす。
その汽笛の音が、「今夜もお前は理解できなかったなあ」と笑われているように聞こえたものでした。

次に自分が莫迦だと気が付いたのは小学校3年生の時です。

音楽の時間に先生がこう言いました。

「最初は休みです。」

最初は休み?
はて?
どういうことだろうか?

私にはこの最初は休みですということが全く理解できませんでした。
でも、クラスの皆は誰も不思議そうな顔をしていない。
皆わかっているようです。

で、私は先生に聞いたんです。

「先生、最初は休みっておかしいですよ。」

「どうして?」

「だって最初が休みなら、休んだ次を最初にすれば良いじゃないですか。」

「・・・・・」

「学校だって月曜日から始まるでしょ。日曜日から始まるけど、日曜日は休みって言わないでしょう。」

力説する私に先生は悲しそうな顔をしてこう言いました。

「鳥塚君。あなたはいいからね。」

あなたはいいからね、と言われてもどうしてよいかわかりません。
でも、クラスの皆は誰も疑問を持っていません。
おかしいのは私だけなのです。

「ああ、俺って莫迦なんだ。」

そう思ったんです。
でも、私は一生懸命何度も何度もその「最初は休み」というのを理解しようとしました。
そしてついに会得したのです。

つまり、「🎼 ン、チャッチャ♫、ン、チャッチャ♪」の「ン」が最初は休みだということを。

こうしてなかなか理解力が乏しい少年は、夜空に描かれた船を探そうと努力をし、最初は休みを会得したのであります。

その後の私は、記憶力も洞察力も優れた少年になって行ったのは皆様ご承知のとおりでありますが、何が大事かというと、あきらめずに繰り返し繰り返し努力する姿勢であり、わからないことをそのままにしないという習性を身に着けることなのであります。

はい、これが私が身に着けた莫迦の治し方であります。

その後しばらくたってから、「飛行機に乗ってみたい。」などということを考えるようになったのも、わからないことにチャレンジするという前向きな姿勢を身に着けたからこそ。
何しろ飛行機の操縦というのは頭で理解したことを体で理解させることですから、訓練中は「自分は莫迦なんじゃないか?」と思うことの連続なのです。

例えば野球選手が理論の勉強をしてフォームの勉強をしてバッターボックスに立つ。ストライクゾーンに来た球を打てばよいだけなんですが、いくら理論を学んでも体がそれをできない。

飛行機も最初は頭ではわかっているんだけど、体が操作できない。
でも飛行機はどんどん進んでいくから待ったなし。
家に帰って今日できなかったことをもう一度頭の中で繰り返す妄想フライト。
何度も何度も繰り返すうちに、ある瞬間にパッと視界が開けるかのように、今まで悩んでいたことが嘘のように、莫迦が消えていくのです。

この瞬間を味わうと実に楽しくなってくるわけで、それが高じて私はおじいさんになった今でも未知のことにチャレンジしてみようと思うのであります。

ということで、絶対にあきらめないこと。
何度も何度も繰り返す癖をつけること。
わからないことをそのままにしない習慣を身に着けること。

これを繰り返すことが私流の莫迦を治す方法なのであります。

でも、これって若い人に向けたアドバイスでありますから、40にも50にもなった人は、多分今からでは無理でしょうね。

じゃあ、そういう人はどうしたら良いかって?

そりゃあ、あなた。
昔から言うじゃないですか。

「死ななきゃ治らない。」って。

付ける薬などないのですから。

お互いに残りの人生を一生懸命に生きましょうね。

今夜もおあとがよろしいようで。