緊急事態宣言 延長戦へ

緊急事態宣言が延長されることが決まりました。

菅総理大臣の苦痛の表情がテレビのニュースで流れています。

全世界で全人類がコロナと戦っているということになりますが、誰も悪い人はいません。
皆さん一生懸命頑張っていらっしゃいます。

飲食店の皆さんだって、生きていくためには精一杯頑張ってますよね。

そう、誰も悪くはないんです。

だから厄介なんでしょうね。

誰かを悪者にすることが自分の役割だと思っている人たちは、責任をもって何とかしようという自覚がないから、総理大臣が困り切って、国の人たちが困り切って、その中でもなんとかしようと頑張っていることが理解できないのでしょうか。
国のような大きな組織が、時間との戦いで動いているのですから、それはそれは大変だと思います。
多少行き届かないところがあっても、そこを責めるべきではないと思います。

例えば生活に困っている人にお金を給付する。
困っている人以外には配りたくない。
誰だってそう思いますし、おそらくそれが正義でしょう。

でも、畑に水を撒くとしたって、畑の真ん中から水を撒くとしたら、隅々に水が行き渡るためには、真ん中付近は撒き過ぎでビチョビチョになると思います。
それって仕方のないことでしょう。
なぜなら、今の国には隅々に水を撒くスプリンクラーのようなシステムがなくて、畑の真ん中から水を撒くことしかできないのですから。
そんな時に、真ん中付近にビチョビチョに撒かれた水に対して「けしからん」と問題視して、そこを中心に考えたら本当に必要な畑の隅々にまで水は行かないのです。

それにしても、最近、麻生さんの姿があまり見えませんね。

こういう時は財政出動を思い切ってしないと。
薬もそうですが、小出しにしては効果がありません。
思い切ってド~ンと行かないと。

でも、財務官僚は多分国民の生活など興味がないのでしょう。
財務省から見たら、「国民は、生かさぬように、殺さぬように」だと思いますが、このままじゃ会社も商店も飲食店も死んじゃいますから、将来の税収減がみんなダメになってしまいます。
国民の目から見たら、国は税金を取るだけとって、いざという時に助けてくれないのなら、これからは一生懸命税金を納めようという気持ちにもならないでしょう。
国はお金を印刷できる権限を持っているのですから、今こそお金を印刷して国民に配りましょう。

金持ちには配りたくないとか、貯蓄に回ったら意味がないとか、そんなことはどうでも良いのです。そういう人たちはつまり畑の真ん中でビチャビチャに水を浴びる人たちですけど、畑の隅々にまで水を行き届かせようと思ったら避けて通れないのです。
自分たちが考える正義などどうでも良いのです。

私が総理大臣だったら、多分春先に準備をして、国民一人10万円というのをもう一度、今度は3か月連続で行います。

そうしておいて選挙に突入です。

良いチャンスだと思うのですが。

帳面上の数字ばかり気にしていても、こういう時は意味がないと思います。

田舎にいるとわかるのですが、お金が無くなると人々は何をすると思いますか?
人々が始めるのは物々交換です。
あるいは困っている人に物を配ること。
時々テレビでもやっていますが、お米などの食料品を困っている人たちに配っています。
これって、国家にとっては大いなる危機なのです。
なぜなら貨幣経済が行われないから。
すなわち、消費税を課すこともできないし、利益を数字で表せないから法人税も取れない。
そういうことが全国で行われ始めようとしているわけですから、本当は財務省にとっては大きな問題のはずだと私は思います。

さて、どのような「見えざる手」が働くのか。
私は注意深く見させていただこうと思っております。

とは言え、会社はそんなにのんびりしてはいられないのですが。