「お父さん、悪いお山はどこですか?」

我が家は4男1女の子宝に恵まれまして、一番下の子が今年成人式を迎えることができましてホッとしているところです。

おかげさまで5人とも無事に育ってくれたのは本当にありがたいことだと夫婦して感謝しておりますが、何か大きな力に見守られてきたような気がしてなりません。

子供が多いということは、言うに及ばず生活はギリギリの連続で、男子4人を高校から私立大学の付属に入れてきましたから、娯楽などという言葉は我が家には無縁な状態を長く過ごしてきていますが、それでも何とか家族の思い出と言いますか、子供たちにいろいろ経験をさせたいと考えてきましたので、家族や親子で旅行に出かけるということは毎年やって来ていました。
航空会社に入ってからは飛行機が主になりましたが、その前は旅行と言えば汽車旅。
各駅停車を乗り継ぎながら安宿を泊まり歩くような、そんな旅行をしてきました。

もう30年以上も前のことになりますが、私も若かったので旅行と言えば青春18きっぷが当たり前。小さかった子供を連れてお正月休みに電車に乗って旅をしていた時のことでした。

乗っていたのは飯山線。
当時の飯山線はとんでもないほどの混み方で、長野から野沢温泉方面へのスキー客でごった返していました。
車両はキハ52の2~3両編成だったと思います。
胴回りが紺で、レインボーカラーの塗装のあの時代です。
はっきり言って、窓から出入りするぐらい混んでいたのですが、私は何とか座席を見つけて子供と座りました。
途中駅で降りる予定はなく、越後川口まで行きますから、乗り込んで座ってしまえばこっちのものです。

列車はぎゅうぎゅう詰めの状態で走ります。
スキーを持っている人も多く、とにかく今では想像もできないほどの混み方で、もちろん国鉄ですから、そんなことは知ったことではないという感じで、ただ列車を走らせているという感じでした。

でもって列車が飯山駅に到着するとしばらく停車します。
停車時間があったかどうかは定かではありませんが、とにかく一旦乗ったら降りることも容易じゃない状態ですから発車できなかったのかもしれません。
車内はムンムンでしたから、冬にもかかわらずあちらこちらで窓を開けています。

その開いた窓から駅名表が見えました。

「飯山か。」

何とはなしに私がそういうと、息子が「いいやま?」っと返してきました。
そして、「お父さん、悪い山はどこにあるの?」と聞いて来たのです。

私は一瞬「?????」となりましたが、「ああ、そういうことか。」と思いました。

いいやま→良い山 だと理解したんでしょうね。

ここが良い山だったら、悪い山はどこにあるの?
次の駅なの?

と、まあ、汽車好きの子供らしい発想です。

子育てをするというのは、なんだか子供と一緒にこちらも育てられているような、そんなもんなんですよね。

私は笑ってしまいました。

漢字で「飯山」と言ったところで理解できるはずもありません。
だから私は「ここは全部良い山だよ。」と答えました。
悪い山はどこにも見当たりませんからね。
息子も「悪い山はもっと遠くにあるんだろう。」と理解してくれたと思います。

今夜、新幹線で東京から帰って来たときに、ふと駅名表が目に留まりました。

「いいやまか。次だな。そろそろ降りる支度をしないと。」

そう思った時に、30年以上前のこの話を思い出しました。

飯山を発車した新幹線電車はすぐにトンネルに入ります。
全長22Kmの飯山トンネルです。

実は、北陸新幹線の路線の中でこの飯山トンネルだけがインターネットが繋がらないトンネルなのです。
どういう理由かはわかりません。
金沢から乗ってくると上越妙高まではネットがきちんと繋がります。
東京から乗ってくると飯山までは繋がります。
そして、飯山-上越妙高間の飯山トンネルだけが繋がらない。

う~ん、もしかしたらここが「悪い山」なのかもしれない。

ふとそんなことを思った今日の私でありました。

息子は覚えてないだろうなあ。

今度会ったら聞いてみようと思います。