地方創生 どうなるの?

JA全中、全国農業協同組合連合会中央会が各農協に関する独占監査権を失い、一般社団法人化するアベノミクス案を受け入れたという報道がなされました。
私のように都会育ちの人間には「農協」と言われてもどうもピンときませんが、准組合員を含めると1000万人以上の組合員がいるようですから、日本人の10人に1人程度が農協の組合員なんですね。
もっとも、農協の組合員と言っても、半数以上が准組合員で、そういう人たちは農業はやっていないけれど、金融や保険などで農協を利用しているのですから、今や農協と言えども1金融機関であって、農業指導以外の金融機関としての機能の方が大きい農協という存在を、JA全中が監査するのはおかしいのではないか。国の一般的基準と同じように、公認会計士が監査するべきではないかというのが、今回のアベノミクスの主張のようです。
まあ、このぐらいのことは都会育ちの私でもニュースを見ていれば理解できますし、いすみ鉄道に遊びに来てくれる皆さんも、たいていは都会から来る人ですからご理解いただけると思うのですが、政府の主張を聞いていると、「監査権を廃止することが農家の所得を増やす。」と言っているのがわかります。では、なぜ監査権を廃止すると農家の所得が増えるかというところが良く理解できないわけで、その点を突いて民主党などは「全く不透明で、論ずるに値しない。」と断じています。
私も、なんとなくおぼろげにしか見えていませんでしたので、もう一度日本の農業について頭の中を整理してみるために、このブログを書いてみようと思います。
まず、農協というのは戦後、日本が貧しい時期に、農家がお互いに助け合うために日本各地に誕生した組織です。各農家1軒1軒は弱い存在ですが、力を合わせれば大きな存在になります。そういう形で誕生した農協ですが、景気不景気が繰り返される時代に地域農協単体では生きていくことが難しくなる中で、全国の農協を取りまとめる組織として誕生したのが今回のJA全中です。
これが今から60年前の昭和30年の話です。
その当時は、地方の農家というのは中には悲惨なところもたくさんあって、満足に生活もできない人たちもいましたし、地域格差というものが大きかったですから、各地で差が出てきていたそれぞれの農協を取りまとめる中央組織は立派に存在感を示し、日本の高度経済成長の波に乗って全国の地方都市が豊かになって行きました。
豊かになるということはどういうことかというと、経済の拡大再生産の原則に従えば、お金が増えるということです。ということは、農協は銀行のような役割も担うようになりますし、将来に備えての保険業務なども行うようになりました。
農家に農業指導をするのが本来の役割だった農協が、農産物の販売を行う部門と、
金融部門と保険部門も持つようになって、各地の農協組織の中の販売部門を取りまとめるのが全農、金融部門を取りまとめるのが農林中金、保険部門を取りまとめるのが全共連と、こんな形が出来上がって、その3つを取りまとめて頂点に立つのがJA全中というわけです。
つまり、ここまで大きな組織になってしまうと、政府の言うことも聞かなくなるというのがアベノミクスが危惧するところで、農業改革を進めようとする政権側にとっては邪魔な存在となるわけです。
では、どうして邪魔なのかというと、農家と一口に言っても、農家の中にもいろいろあるわけで、一生懸命頑張って良い商品を作ろうとしている農家と、とりあえず農協に買い上げてもらえば現金収入になるからそれでよいという農家がいるわけで、日本の農業がこれから国際競争力を付けなければならない時期に、何も考えずにただ農協に買い上げてもらえば良いというような考えの農家は、淘汰されるべきだというのがアベノミクスの根底にあるようです。
確かに、私がいすみ鉄道沿線でふだん接している農家の人たちにもいろいろな人がいて、新潟のコシヒカリよりもうまいコメを作っていると自負する人もいれば、このあいだまでスイカを作っていた農家が急にピーマンを作り出したので、「どうして?」と尋ねると、「年取って重いのが億劫になったからピーマンにした。」などという安易な考えで農業をやっている農家もあるわけで、そういう農家も農協に出荷さえすればとりあえず現金になるわけですから、農協は努力しない農家にとっては便利な存在なんですね。
では、努力して競争力がある米や野菜を作っている農家の人たちはどうかというと、農協に出荷したら一定価格で買い上げられて他の米や野菜と混ざってしまいますから、自信を持って作った米や野菜は、できるだけ農協を通したくない。、これが、今、全国で直売所などが流行っているということなんですが、何とか自分で販路を切り開いて、例えば米などもブランド米として完成させたいと考えて試行錯誤しているわけです。
若い人たちは信じられないかもしれませんが、昭和の時代には農家が米を直接販売したら法律違反で警察に逮捕されたんです。
当時は食糧管理法という法律があって、農家は自由に米を販売することができなくて、採れた米は農協に納めなければなりませんでしたし、国も一定量の米を農家から買い上げなくてはなりませんでした。
そうして農協に集められた米は、おいしいお米もそうでないお米も全部混ぜられて出荷されるから、せっかく頑張っておいしいお米を作っても認められないどころか、自分で「俺の米だ」といって販売すれば逮捕されるんですから、農家としては何も考えずに米を作る以外にないわけです。
では、その米はどこへ行くかというと、消費する都会の人たちはおいしくもなんともない米を食べさせられるわけですから、だんだんとご飯から離れてパンやパスタなどへ移行していく。すると米が売れなくなって余るようになるから、政府は減反政策といって「米を作らないでくれ。」と農家に言うようになり、作らないけど生活保障はしなくてはなりませんから、田んぼを遊ばせておくだけで農家にはお金が入ってきたわけです。
これが食糧管理法という法律の弊害なんですが、実はこの食糧管理法というのは第2次世界大戦中の東条内閣の時にできた法律で、当時はお金を出せば米が買えるということはいけないことで、貧乏な人にもお米が行き渡るようにという趣旨で生まれた法律です。
農家の人たちが着物や貴金属と引き換えに都会から買い出しに来た人たちに米を分けているのを映画やドラマで見たことがあると思いますが、お金がある人たちだけが米を手に入れることは良くないという時代にできた法律が、平成の初めまで堂々と機能してたわけで、この食管法が農家をダメにしたという人もいるわけです。
昨日、テレビでJA全中の改革についてインタビューを受けていた福井県のある農協の幹部の人の言葉が印象的でした。
「自分たちは良いものを作って、競争力のある農業をしている。だから今回の改革は当然だ。」というような発言内容でしたが、私の記憶をひも解くと、おいしいお米を一生懸命に生産して、「俺の米はうまいぞ。」と言って直接販売を開始して何軒もの農家の人たちが警察に逮捕されたのは、確か福井県や北陸地方に多かったと思います。
つまり、そういう気力に満ちて創意工夫して農業をやっていく農家の人たちにとっては、アベノミクスの改革は追い風であって、ただ言われたとおりに作物を作って、農協に買い上げてもらうだけの創意工夫のない農家の人たちにとってはアベノミクスは逆風になるということなのでしょう。
つまり、頑張った人たちは所得が増えるし、そうでない人たちは今まで通りにはいきませんよというのがアベノミクスということであるならば、地方創生と言っても、全部の地域が創生されるのではなくて、市や町、村の単位で、生き残れるところと淘汰されるところが出てくるというのが、アベノミクスなんですね。
まあ、人口が減るわけですから、つまりはそういうことで、いすみ鉄道も淘汰されないように沿線地域を巻き込んで創意工夫を持って頑張っているということなのであります。