昨日までとは打って変わって寒い一日。
それもそのはず。
何しろ今夜の私は札幌に来ているのでありますが、ただいまの気温は3℃ほど。明日は雪の予報が出ています。
この季節の雪は「なごり雪」。
そして、なごり雪と言えば、伊勢正三(かぐや姫)ですねえ。
私よりも年下の人は、イルカという人も多いかもしれませんが、同じ歌であります。
「汽車を待つ君の横で僕は、時計を気にしている。」
歌詞から察するにこれから東京から故郷へ帰ろうとする彼女をボーイフレンドが見送っているシーンです。
では、彼女がこれから乗る「汽車」って、いったい何なのでしょうか。
この曲が流行ったのは昭和40年代。
今ならさしずめLCCか高速バス、せいぜい新幹線になるのではないかと思いますが、この当時は地方と東京を行き来するには汽車に乗って行くのが当たり前だったわけです。
でもって、当時の鉄道少年としては、この「汽車」とはいったいどの列車なのか、実はとっても気になるわけで、そう思うおじさんたちはきっとたくさんいるのではないでしょうか。
では、考察してみましょう。
まず、「電車」ではなくて、「汽車」であるという点で、特急電車ではないですね。
東京から「ディーゼルカー」で地方へ向かうというのも、昭和40年代では常磐線の「奥久慈」、東北方面への「おが」などわずか数列車しかありませんから、これも除外です。
だとすると、おそらく電気機関車がけん引する客車列車というのが妥当なところでしょう。
そして、春の季節に「東京で見る雪はこれが最後ね。」と雪を話題にしているということは、雪国の人ではないはずで、なぜなら雪国の人なら雪などは見飽きてうんざりするはずで、雪にロマンを感じるようなセリフにはならないと思うからです。
とすると、この女性が乗ろうとしている列車は東北方面や上信越線ではなくて東海道を西へ下る列車。かぐや姫のメンバーの出身地は九州の大分県ですから、自分のふるさとをイメージして、そこへ向かう列車で、機関車がけん引する列車ということになります。
1972年(昭和47年)3月号の時刻表です。
夕方16時半以降、東京駅から立て続けに寝台特急が発車しているのがわかります。
すごい時代でしたね。
私が塾の帰りに寄り道をしてブルートレインの出発を見送っていた、まさにその時代です。
さて、この中から九州方面の列車はというと、「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」がありますね。
そして、その中で大分へ行く列車といえば、「富士」ということになります。
この歌詞にうたわれている彼女が待っていた「汽車」というのは、「富士」だと私は考えます。
じゃ~ん! 在りし日の「富士」です。
でも、考えてみると、この時代の寝台特急というのは金持ちが乗る列車というイメージがあって、ふつうの人、特に若い人はなかなか手が届かない列車でした。でも、なぜ若い彼女が、そんな高級な列車に乗るのでしょうか。
「なごり雪」の歌詞を考えて、若いころから私はその点が腑に落ちなかったんです。
ところが、ある時、と言っても今から20年以上前の話ですが、息子の同級生のお母さんで宮崎出身の人がいました。彼女は京都の大学を出ているんですが、聞いてみたんです。宮崎から京都の大学へ進学するときは何に乗って行ったんですか、って。
そうしたら、私より少し年上の彼女は「彗星です。」って答えたんです。
私は不思議だったんで、「彗星って高いし、寝台券がなかなか取れなかったでしょう。」と聞きました。
すると、「はい、兄たちは急行の座席に乗って上京しましたが、私には父が特急の寝台を取ってくれたんです。きっと、女の子だから心配だったと思いますよ。」との答えでした。
私がそれで合点がいきました。
男ならなんだってよいんです。でも、女の子には人種のるつぼのような夜行列車の自由席で旅をさせたくない。
これは親心だったんでしょう。
自分も親になってみればわかる気持ちです。
だから、この時代でも、若い女性が一人で故郷に帰る時には、金持ち専用の感じがしていた寝台特急(ブルートレイン)も当たり前だったのでしょう。
だから、やっぱり「富士」で良いと思います。
では男はどうだったのか。
チューリップの心の旅の歌詞に出てくる「あしたの今頃は、ぼくは汽車の中。」の「汽車」とはいったいどの列車なのでしょうか。
この「心の旅」は財津さんが上京する時の心境を歌った歌。博多から上ってくる当時の時刻表を見てみましょう。
これですね。同じ1972年3月号です。
寝台特急に混じっていくつもの「急行」が走っているのがわかります。
京都、大阪、名古屋、そして東京行。
当時はこんなにたくさんの列車があったんですね。
その中で財津さんが東京へ出てくるときに乗ったとすれば、「桜島」でしょうか。
この「桜島」は西鹿児島発、鹿児島本線経由の東京行。
同じ西鹿児島発で、日豊本線経由の「高千穂」と門司で併合されて「桜島・高千穂」として運転されていた列車で、ほぼ全車両硬い座席の自由席で編成されていた貧乏人専用列車のような存在でした。
男は自由席。座れなければ新聞紙でも敷いて通路に座っていくのが当たり前の時代でしたからね。
「だから今夜だけは、君を抱いていたい。明日の今頃は、ぼくは汽車の中。」
博多を20:46に出る「桜島」なら、時間的にもピッタリでしょう。
さて、「なごり雪」「心の旅」から数年後に、太田裕美さんがデビューしました。
彼女と言えば「木綿のハンカチーフ」があまりにも有名ですが、私が一番好きな曲は「赤いハイヒール」。
その中で、「東京駅に着いたその日は、私おさげの少女だったの。」という歌詞があります。
この、東京駅におさげの少女が降り立った、その列車とはいったい何なのでしょうか。
私はこれは絶対に新幹線だと思います。
当時すでに新幹線は博多まで開業していましたから、この少女はどこの出身だったかは関係なく、東京駅に降り立つとすれば新幹線。
新幹線なら、名古屋、大阪、中国四国地方、そして九州までが射程距離に入ります。
「ふるさと訛りが、君を無口にさせた。」とありますから、「こだま」ではなくて「ひかり」号でしょう。
そんなことを思うのであります。
まあ、これは私の個人的な解釈でありますので、異論はたくさんあると思います。
また、ご本人たちがおっしゃる「正解」もあるでしょうね。
でも、歌に「汽車」が出てくるだけで、こんなにも想像力を膨らませて楽しむことができるんですね。
昭和の時代はそれだけ「汽車」や「鉄道」が身近だったんでしょう。
ただ、最近ではあまり鉄道が歌詞に出てこないような気がします。
歌詞にうたわれるような汽車が走っていないのかもしれませんし、若者にとって鉄道は身近な存在ではなくなってきているのかもしれません。
今、鉄道会社はしっかり啓蒙活動をしていかないと、将来のお客様がいなくなるのではないか。
鉄道は、ただ単、目的地へ向かうためだけの交通手段ではないはずだと私は思うのです。
40年前の若者は、みんなこんな汽車で旅をしていたのです。
ということは、このお姉さんもそろそろ還暦ですね。
若いころの経験は、そのぐらい大きな影響を人生に与えるものなんですね。
気温3度の札幌で、そんなことを考える今夜。
明日はこちらで行われる末の息子の大学入学式に出席いたします。
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